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外部リンク (画像) 文芸春秋の敗訴確定 性の儀式で「幸福の科学」に謝罪 2015年
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職員残酷物語-元職員の証言に見る、幸福の科学の実態

2011/11/06 06:17  Category:「幸福の科学」を科学する

【10年くらい前のシンパ系サイトです。有田氏の著書と同名ですが、無関係です)

「幸福の科学」を科学する 【真理の番人編集】-より
http://www1.ocn.ne.jp/~h-ok/or-ocn/3-4.html



(3)元職員の証言に見る、幸福の科学の実態

職員残酷物語

概要
 幸福の科学の信者たちに顕著に見られる傾向は、どのような欠点を指摘されても決してそれを認めず、すべては仏の手のひらの上などという「予定されていた事(必要悪)」として捉えてしまうことです。これは一種の自己弁護にしか過ぎないのですが、このためにどのようなことが起こっても自分たちの悪を認めないため、彼らは永久に反省ができません。では本当に信者たちが言うように、幸福の科学には「悪」は存在しないのでしょうか。また、例えあったように見えても、それは「仏により予定されていた事(必要悪)」なのでしょうか。
 ここでは「自己弁護」の必要のない元職員の目から見た幸福の科学の現実の姿を語ってもらうことで、幸福の科学の実際の姿をより客観的に把握してみたいと思います。では以下は元職員の方にバトンタッチします。

【※もう思い出したくもない記憶ですが、あまりにもひどい内容のため、多くの方の教訓としていただくために書かせてもらいます。ああ、また胃潰瘍になりそうだ!(元職員談)】



(1) 職員の実際の生活

・月給
 91年に私が入局するときには、給料はそれまでの会社時代の確か75%もらえるということでした。これは様々なところから入る方たちに共通の取り決めだったと思います。だから当初は月約40万弱頂いていましたので、普通の生活ができました。しかしこれもつかの間、91年7月の「大伝道」が失敗することで、会は借金体質となってしまいました。このしわ寄せはまず職員に来ました。
 まずそれまで会員150万人体制を前提として大量に採用した職員の、解雇が始まりました。このときに辞められた方たちは、形の上では自己都合の自主退職という形をとっていますが、実際は幹部職員から「肩たたき」を受けています。まず狙われたのが独身職員です。次に経歴のあまり良くない(と考えられた)職員です。つまり、「弱い職員」から順に辞めさせられました。勿論退職金などはありません。
 次に残った職員にも一律給料カットが始まりました。私の場合で約28万円となりました。ボーナスなどありませんでしたので、年収を考えると、家族持ちという点からしてもかなりの低所得者階層となりました。


・ボーナス
 ボーナスは前年まではあったようですが、大伝道失敗以降は91年末には10万円の現物支給(任意のテープや書籍)となり、翌年からは「有難いことに、大川先生に植福させていただくことになりました」という言い訳とともになくなりました。数年後には「僧がボーナスなどもっての他」ということで何も言われなくなりました。勿論意義を申し立てるような勇気ある職員もいませんでした。 【※植福=布施・献金】


・職員の立場~労働者ではない
 私が入った頃は、職員も普通の労働者的立場でした。だから当然各種保険にも入っていました。しかし、95年の末位に、突然「職員は労働者ではなく僧である。」として雇用保険なども解約させられました。代わりに法人が入る団体保険に加入することになりました。これが元で後々退職した職員は、雇用保険の受け取りが全くできなくなりました。
 しかしこの真相は、当時辞めた職員から「労働基準法違反」ということで訴えが出されていた様です。確かに救世運動の名の元に、残業代なし、休日出勤は当たり前、しかも大幅な長時間労働という、労働基準法違反がまかり通っていました。そこで幸福の科学は95年末位に極秘で労働省と掛け合い、職員は僧であると認めさせて、労基法の適用を逃れることに成功したのでした。これで法的にも職員には何をしてもよいことになりました。
 しかしその後今では保険も回復した様です。すると、「職員は僧である」との、あの言葉は一体どこへ行ったのでしょうか?そうすると多分ボーナスなども復活しているものと思われます。結局金がないときには何だかんだと理屈をつけて金の支払いを渋り、祈願などで金に余裕が出来るとすぐに支給するという、浅ましいご都合主義の運営がまかり通っているのが幸福の科学の実態です。


・労働時間と休日
 職員は「労働者ではない」僧のはずなのに、何故か出勤時間と定休日が決まっています。当初就業規則では、労働時間は一応9時~6時までとなっていました。しかしこれは形だけのものであり、実際は各本部に任されています。しかし本部長も他の本部への見栄と対抗意識から、どうしても長時間労働を指示しがちです。ひどいときには朝8時から夜11時くらいまでの超・長時間労働が当たり前ということを私は経験しています。
 休日は一応月曜日です。しかし本部長によっては、月曜日も会員から電話があるかもしれないということで、交代で店番をさせられたこともあります。普通昔の支部では二人体制だったので、この時には支部長と主任が交代で店番をするため、休みは月に2回しかなくなるという恐ろしい状態が続きました。職員の心は「早く出て行けSa本部長!」…・でした。
 また一応規則では、行事のない日曜日は休みとされていました。しかし地方本部は日曜日は稼ぎ時なので行事ばかりです。しかし総合本部は行事などないために、みなさんお休みしていたという不合理がまかり通っていました。


・苦しい生活
 支部行事や東京ドーム等の行事には職員は強制参加となりますので、とてもまともにやっていけるものではありません。少ない給料では服一着も満足に買えなくなりました。昼ご飯も必然的にお弁当となりました。これ以降会の活動以外、全く何もできなくなりました。いくら切り詰めてもお金が不足していきますので、自分の貯金を削りますが焼け石に水状態で、最後には何もなくなってその日暮らしのような状態になってしまいました。(これは課長以下の職員の話です。しかし支部長以上はその限りではありません)


・職員間の不公平
 職員全員が苦しみを分かてばまだ諦めもつきますが、幹部職員などは結構もらっていたのです。ある50代の支部長などは50万円位もらっていました。30代の支部長で40万円位でした。これからすると地方本部長や総合本部の偉いさんなどはかなりもらっていたと思われます。ちなみにSi元総合本部長は「われわれの給料は100万円でも少ないくらいだ!」と怪気炎を上げていたそうです。
 しかしそれとは正反対に、独身男子職員では十数万円、独身女性職員で7~9万円という有様です。しかしどう見ても仕事をしているのは主任といわれる支部の独身職員であり、支部長などは実務は何もしていませんので普段は暇です。檀家回りと称して家に帰ってくつろいでいる方もおりました。おまけに地方本部長などは各支部へ目標の割り振りを指示しているだけで、まともに仕事をしている様子はありませんでした。

 私はこれらの現実を見て、あまりの不公平さにやりきれないものを感じました。そしてこの私の観察と思いは、96年の「イノベーション」で大川総裁が「管理部門は何も仕事をしていない。地方本部長は何も偉くない。地方本部廃止。職員階層廃止。」と命令したことで、すべて正しかったことが証明されました。つまり96年までは、それまで何も「仕事」をしていなかった方たちに、延々と高額の給料を払いつづけていたのです。末端職員の苦しみを尻目にして…・・。それらはすべて会員のお金からの支出であることは言うまでもありません。

 そして99年位からはまたまた本部長制度が復活した様です。本当にご都合主義の見本のようなところでした。



(2) 職員の実際の仕事

地方本部の実態
 地方本部などの管理部門には、支部を管理するしか仕事がありません。そして自分たちの存在意義を守るためには、地方本部は次々と管理の仕事を作り出していくことしかありません。だから次々と報告書を作り、せっせと毎週毎月各支部に詳しい活動結果報告を求め、延々と活動結果報告と目標達成率などの分析と資料造りに邁進することになります。必然的に報告・分析書類が増えていき、支部(主任)の(いらぬ)負担が増加するという仕組みになっていきます。
 また地方本部長の実際の仕事は、支部への目標の割り振りだけです。おまけに実務はすべて本部職員がしますので、現実的に仕事はありません。的確な指導をしてくださるのであればそれでも構わないのですが、ともかく総合本部の言うことをそのまま地方に伝えるだけなので、これでは誰がしても同じです。そして暇に任せて本部長のすることは「法」のお勉強と本部学習会、そして檀家回りで時間をつぶします。特に何か役がつけば有難がる会員がほとんどですので、この檀家回りは堪えられない役得といえるでしょう。金持ちの会員の家にばかり行っている方もおりました。
 本部長の能力は、私が見ると?です。特に悟りが高いように見える方はおりませんでした。どちらかというと押し(自我)の強い方がなられていたと思います。また「仏陀」の威光をかさにきて、内心は「自分が偉い」と思い込んでいる方が大半であり、謙虚な方は一人もおりませんでした。自由闊達であるはずの「真理の団体」がどうしてこのように硬直的なのかは、やはり本部長などの幹部の性質の現れであるし、その元凶は大川総裁の性格に起因するものと思います。


支部の実態~目標の達成率ですべてを計られる

支部長の仕事

 実務はすべて職員がしますので、支部長の仕事も実際にはほとんどありません。支部長がしていたことは、金持ちの会員のご機嫌とりと行事の導師と「法話」です。特に活動の主役となるご婦人たちのご機嫌は、しっかりととらなくてはいけません。ここに失敗すると、実績が上がらずに左遷となります。だから特に活動の主役となる会員の役職者に対しては、おべんちゃら(不綺語)を使ったり、送迎までして持ち上げます。そしてその方たちが自我に捕らわれていても、何も指導できません。それは何か悪口を言われるのを恐れているからであり、支部長の自己保身からくるものです。
(※会員は役がつく人は、たいてい自我の強い人でした。これは職員とも共通の現象のようです。)
 会の行事での「法話」にはすべてマニアルが届きますので、それを見ながら話せば良いわけです。年齢ゆえにたまたま支部長になられた方は、仕事も楽で給料も多く、目標の達成さえうまく立ち回ればほんとうに幸運だったと思います。だから、後々みなさん支部長の職に執着するようになります。それは裏金を使ってまでも自己保身(目標達成)を図るところに顕著に表れます。その方法は単純であり、行事収入や一般植福から目標オーバーした金額をプールしておき(その分は報告しない)、達成不足の行事に割り振るというものです。しかし支部長にそこまでさせるのも、会員が増えもしないのに各期ごとに目標が上がるような、総合本部が考える仕組みそのものにあるでしょう。言わばゴールのない「目標達成無限地獄」です。


職員の仕事
 職員の仕事は、各目標を地区・チーム・活動部別に割り振り、毎週達成度をチエックするというもです。かつては支部二人体制であったため、支部の実務のほとんどは主任一人がしていました。一人で活動の細かい行事・支部運営実務から報告・連絡・活動収支管理(書籍・グッズ売上、行事収支、日常収支)などを行うため、その仕事量では休む暇がありません。普通の社会人と比較しても、最低でも3倍位の仕事量があると思います。これはある程度この世的知性と実力がないと、とてもこなせない役割であったと思います。そして当初はいくら実力があっても、単に年が若いというだけで主任になります。また実力がなくても年であれば支部長になりました。だから私の知っている職員でも、やはり支部長よりは若い職員の方に優秀な方が多かったように思います。しかしこの事実を知らない会員は、ともかく役がつくだけで支部長の方が「偉い」と思い込んでいるのですから、本当に幸福の科学には愚かな方たちが集まっているものだと思っていました。


幹部の無能さゆえの悲しい仕事
 支部の倉庫に大量に積まれていたPR用の書籍などはとても保管できなくなり、96年に極秘裏に処分せざるを得なくなりました。
□月刊誌
 当初は大手のT印刷で印刷していましたが、KD社に印刷部数を調べられて幸福の科学の会員数の嘘を指摘されました。これを受けて当時の幹部がまずしたことが、月刊誌のカラ印刷(虚偽の会員数に合わせて印刷)でした。そして大量に余ったものを支部に「献本用」として割り振りました。次には印刷会社を代えて内実がつかまれない様にしました。
□「ノストラダムス戦慄の啓示」他の書籍 
 これも献本用として大量に支部に保管されていました。中にはベストセラー対策として大量に購入した書籍もあります。誰も貰い手がいなく、部屋に山積みとなっていました。
□グッズ類その他
 91年「大伝道」時に大量に作成した「リバチャン」シールやエプロンなどは、無駄づかいの極致でした。D代理店に乗せられて、ノストラに出てくる「リバイアサン」をキャラクター展開するという馬鹿げた無駄づかいをした結果、大量に余って積まれていました。また伝道用に作られた小冊子なども、積まれていました。
 
※しかしついに全国から何とかして欲しいとの要望が出されたのでしょう。96年位にはついに総合本部も極秘裏の処分を許可しました。そして「すべては光の書籍」と言っていたにもかかわらず、その「光」の行き先は廃棄物処理工場でした。巨大な「ゴミ捨て曹」の中に他の汚物といっしょに吸い込まれて行く大量の「光の書籍」を眺めているうちに、ふと幸福の科学の行く末を垣間見たようで、やりきれない思いとなりました。幹部の無能さのおかげで、会員たちの貴重な布施と末端職員の汗の結晶がゴミの山と化したのでした。



(3) チーム・活動部の実態

チームの実態
 実際の活動はチーム・活動部単位で行われます。チームは毎週一回集まり、そこで報告や連絡を行いますが、毎回出る顔ぶれは一緒です(時と共に減ります)。そしてチーム長のレベルは人にもよりますが、まああまり言うと何ですので、明言は避けておきます。
 チームの目標が達成できないときには、特に地区長やチーム長などの「真面目な」方は自腹を切って献金して数字を出していました。そしてお金がなくなった方で何か気がついた方は活動からは引き、次の方に引き継がれるということになります。「耐用年数」という言葉がまことしやかにささやかれていました。
 会員の印象は、みなさん基本的にはよい方が多いと思います。そもそも宗教に入るくらいですから、そんな「悪人」はいないでしょう(しかし邪教も同様と思う)。しかしやはり広く学習されていたかたは少なく、ほとんどが会の教義の丸暗記によって作られた「金太郎飴型会員」でした。「善意の無知」ほど怖いものはありません。みなさんご自分の大切な心(神性)を傷つけていることに気付いて欲しいものです。


活動部の実態
 活動部は、婦人部以外は実質的にはあまり活動していません。婦人部の長となるような方は、男勝りの強い自我のある方が多かったと思います。本当に真面目で素直な方は、役についてももたないでしょう。だから必然的にそのような方ばかりになります。中には家庭を放り出して不和になる方も見受けられました。またある支部の壮年部のT部長夫妻など、上級試験でお互いの答案丸写しをするような、平均以下の感性を持たれていました。ご主人は普段もカッとなると突然爆発し、奥さんは気に入らない人をすぐに告げ口するような陰湿な方でした。該当の支部長などこの方たちの「告げ口」パワーを恐れ、何も指導できないばかりか送迎の便宜を図るという情けない現状でした。多くの支部の活動部を見ましたが、婦人・壮年の二つはたいていこのような方が上にいるため、私の目には悲惨な方たちの集まりと映りました。しかし中堅部と青年・学生は、一応理性が働くので、若くなるほどまだまともでした。
 まともな会員という意味では、どちらかというと何も役のない一般会員の方が、まともな方が多かったと思います。そして私心のない本当に「仏」のお役に立ちたいと頑張っている方がここには沢山いたと感じます。特に地方へ行けば行くほど、情報が遮断(支部からの一方的情報しか入らない)されていますので「素直な」会員が増えてきます。ある本部長などは「こちらは東京と違って素直な会員ばかりなので、これだよ!」と左手でウチワで仰ぐ真似をしていました。しかしそこの支部でも活動部長は別でしたので、ともかく会員にも、役がつくほど執着(自我)が増えるという相関関係が見られました。



(4) 幸福の科学の組織体質

全体主義的軍隊組織
 顕著に言えることは、会では個人の個性などは全く無視され、ともかく大川総裁と教義と組織の方針(通達)が唯一絶対の価値基準となるということです。少しでもそれに反するものは、「悪魔の手先」として排除させられますので、誰も「信仰・正信」の名の元に疑問を口に出す事はできません。また組織は完全にピラミッド型になっており、上の命令には絶対服従です。下の意見が吸い上げられることは全くありませんでした。だから、たまたま幹部職員となった方たちにとっては、幸福の科学はまさしく「天国」のようなところであったろうと推測されます。何せ自分たちがどのような間違いをしても隠せば済むし、悪いのはすべて下の責任にして首を切れば終わりです。だからさんざん好き放題して失敗した結果も、誰も反省せず誰も責任を明確にとっていません。
 逆に自分の心(理性と良心)を大切にされる方には、幸福の科学の活動はまるで拷問部屋のような感覚に陥ることでしょう。でも会員の場合はまだましです。嫌なら出てこなければそれで済みますから。ところが私の場合は悲惨でした。簡単に嫌だから辞めるでは済みません。明日から失業者となってしまいます。また「仏の作られた団体だから、きっとそのうち良くなるはずだ」という淡い期待もありました。しかしそうであっても自分の心を欺いてまで反対のことを言わなければならないそのストレスは、並み大抵のものではありませんでした。辞めたくても辞められない苦しいジレンマの毎日が続き、まさしく地獄のような日々でした。そしてストレスのおかげで内臓疾患にもかかってしまいました。
 でもこの苦しみは結局私の「給料が欲しい、失業したくない」という自己保存が作り出していただけですので、今から考えると、もっと早く言うべきことを言ってさっさと辞めておけば良かったと、大きな自分に対する教訓としています。


密告社会
 「真理の団体」として一番理解出来なかったのが、「密告」が一般化していることでした。職員も人間である以上は長所・短所を兼ね備えています。また誰にでも好かれるような完全な人間などいるはずがありません。ましてや会員の方が職員よりすべて悟っている訳でもありません。自ずから人と人との摩擦なども生じるでしょう。問題はそれにどう対処するかです。少なくとも「真理の団体」であるからには、お互いに法を基準として、素直に当事者同志で問題の解消を図れば良いはずです。
 ところが何か(幹部)会員と職員の間にトラブルらしきものが生じたとすると、(幹部)会員が直接職員に言う事は全くありませんでした。することは支部長や本部長への告げ口、また総合本部への投書です。投書は広報部が担当しており、日本全国から投書が集まってきています。そして恐ろしい事に、その告げ口(密告)が百%正しいものとして受け取られることです。職員の言い分など全く一言も聞かれません。そして尚恐ろしい事に、そのことに対して、該当の職員には全く何の指導(?)もされずに監視され、ある限界点を超えた段階で首を宣告されることです。これは支部長なども同じです。しかしこれではまるで北朝鮮や共産ソ連の暗黒社会と同じではないですか。
 会員はお客様ですのでどんなことでも疑わずに聞き入れられるのと反対に、職員は機械の部品扱いですので、性能が悪ければ交換すれば良いと考えているようです。これがあるために、自己保身を図る職員は、ひたすら幹部会員のご機嫌取りに走るという結果になります。そしてそのような「あってはならない現状」が我慢ならない職員にとっては、この「密告社会」という現状を知りながらも解決の可能性がゼロであることを悟っているので、再び良心の声に背くような無限地獄の暗い日々が続くことになります。

 このように、「幸福の科学は民主的で自由闊達な組織」という大川総裁の話とは全く異なり、幸福の科学は密告が横行する全体主義的軍隊組織でありました。良心のある職員はたまらなかったことでしょう。逆に言うと、今残っている職員は、そのへんの感性が欠けている方たちであると私は断言します。



(5)すべての原因と責任は、大川総裁にある

 以上幸福の科学の腐敗の現実をかいつまんで話してきましたが、いよいよすべての責任の所在について書きたいと思います。
 幸福の科学では、どのような悪いことがあったとしても決して反省することがありません。また無能な幹部の独善による組織運営の失敗の結果でも、当の幹部たちは決して自分たちでは責任をとりません。このように会と会の幹部の不祥事の責任は、普通の社会ではトップの責任となります。つまりこれらはすべて大川総裁の責任です。そしてすべてを観自在力で見ることが出来ると豪語する大川総裁であるならば、尚更自分に責任があるはずです。しかし「仏」に間違いは許されませんので、自分の責任であることを認めることは、「仏」であることを自ら否定することになってしまいます。しかしそれは幸福の科学の存立の基盤を根底から覆すことになってしまいますので、どんなことが起きようとも、いくら言われようとも、大川総裁が誤りを認めることはできないのです。そして間違いはすべて幹部職員のせいにせざるを得ないのです。しかし、幹部を正しく指導できずに責任転嫁すること自体が、もはや自分は「仏」などではないことを証明していることに気付かなくてはいけません。
 いくら職員には自在力を使わなくとも、大川総裁がまともな方であったとすれば「このままではいけないのでなんとかしなさい」という高級霊からの注意があったことでしょう。そしてもうすこし早く会を改革していたことでしょう。しかし、それさえもできなかったということは、やはり94年以降(ひょっとすると91年以降?)にはもう神示が降りていなかったという明白な証明にもなります。
 ともかくすべての責任はトップにあることは常識です。つまり幸福の科学がカルト宗教と成り果ててしまったのも、すべて大川総裁の責任です。反省できない天国の住人などいません。恐らくこのままでは大川総裁は死後地獄と呼ばれている世界に落ちるでしょう。そして大川総裁と会に対して三宝帰依されている会員もすべて地獄に落ちるでしょう。これが縁起の理法を素直に解釈すると導かれる恐ろしい結論です。

 私は多くの幸福の科学の会員たちが地獄へ行くことを望んではいません。しかしそのためには、大川総裁自らが、自分の誤まりを素直に認めることが最低の条件となるでしょう。そしてその具体的内容は何であるかを、最後にアドバイスさせてもらいます。

 大川総裁と会員たちにとって、地獄行きの方向から逃れられる、唯一の幸福への実践論は以下のことです。
 大川総裁はまず自己顕示欲を捨て、自分に執着することを止めること。そしてすでに神示が降りていないことを素直に告白し、会員をすべて解放し、そして教団を解散すること。その後は一修行者としてもう一度「平凡からの出発」の心境を取り戻すこと。
 
 幸福の科学の関係者が皆さん自分たちの誤まりに気がつかれ、本来の真理の探究の道に帰って来られることを心からお祈り致します。


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元職員による「幸福の科学」への手紙 ・紹介文-1996年末

2011/11/07 00:22  Category:「幸福の科学」を科学する

(3)元職員の証言に見る、幸福の科学の実態

概要
 職員や熱心な会員を辞められた方は、何故か幸福の科学の実態について口をつぐんでしまいます。その理由は多分以下の二つにまとめられます。

□もう幸福の科学には触れたくないから
 幸福の科学での活動に対する反動や嫌悪感から「幸福の科学に関する事はもう忘れたい、話したくない」という気持ちとなってしまうから。
□悪人になりたくないから
 幸福の科学の「悪事」を訴える事は何か「悪口」を言うことと似ているので、自分はそのような「悪事」を行うことで、「悪人」になりたくないと思い込んでいる事。特にマインドコントロールから抜けきれていない場合には、会の批判は大阿鼻叫喚地獄行きであるとの強迫観念が残っているので、怖くてできない。

※だから、幸福の科学のことに言及するよりも、「自分の問題」として処理することになる。



 話したくないその理由は、よく理解できます。しかし結局その理由とは、本人の「自己保存」にあるのではないのでしょうか。しかし、そこで体験した事が不合理であるほど、また他の人の被害の大きさを知るほど、そして自分の心(理性と良心)と真摯に向き合うほど、「自己保存」の執着などを凌駕してしまうような、神の子としての多くの方への愛の気持ちが湧き上がってくる事でしょう。そして少しずつ、人は真実の事を語り始めるようになります。「話したくない」という自己保存の執着に負けることなく、より多くの方達のためになると思えば・・・・・・

 今まで幸福の科学の実態について、(元)職員の視点で説明されていた方は、関谷さんなどを除いてはあまり聞きません。しかし幸福の科学という組織の内部事情、またその隠された活動の実態、職員や会員の隠された実像を日常的に見ていることで、幸福の科学の本当の姿を本音で知っているのは元職員の方たちです。ここで会員を動かす立場にあった元職員の証言などを通して、幸福の科学の隠された実像に迫ります。

※手紙の内容では人物名等はすべて頭文字としていますが、少しでも思い当たる方にはそれがどこの本部でのできごとなのかは、すぐに分かるはずです。



元職員による、一般社会への復帰後に出した、
幸福の科学に対する提言の手紙(96年末)


 この元職員の方は、職員を辞めてからようやく心の平安を取り戻しました。しかし、幸福の科学の内部事情を熟知していただけに、この不合理でおかしい実態をどうしても黙っている事が出来ず、少しでも幸福の科学が良くなって欲しいという淡い期待を持って、幸福の科学総合本部へ提言の手紙を出しました。
 この方はこの時点では、すべての原因は最高責任者にあるとは分かっていましたが、それを言ってもきりがないので、職員に反省を求めることに的を絞ってまとめたということです。
 しかし、この幸福の科学に少しでも良くなって頂きたいという会員からの手紙に対しても、幸福の科学からは全く何の返答もなかったという事は、言うまでもありません。
 

内容の概略
【手紙を出すに到る背景】【手紙の目的】【二回目の手紙】【本部長の実像と実態~ □Saさん □Bさん □Siさん他】【支部長の実像と実態~ □T支部、SI □H支部、H他】


次回、本編の「手紙」に関する報告です

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元職員による「幸福の科学」に対する提言の手紙①現状分析 -1996年末

2011/11/07 01:06  Category:「幸福の科学」を科学する

「幸福の科学」を科学する 【真理の番人編集】-より
http://www1.ocn.ne.jp/~h-ok/or-ocn/3-1-1.html


元職員による、一般社会への復帰後に出した、幸福の科学に対する提言の手紙(96年末)


<第一部・現状分析>


【手紙を出すに到る背景】
 職員を辞めてから早くも五カ月が過ぎようとしています。新しい職場にも慣れ、ようやく人並みの中道生活が送れるようになったこと、深く主・エルカンターレに感謝申し上げます。この間私は自分の生活を建て直すことに主眼を置き、幸福の科学の事にはあまり関与しないようにしてきました。そしてこれからも貴重な時間をより生産的な方向に使いたいと思っていたのですが、どうしても心に引っ掛かる事がありました。それはかつて私が「サンガ」の中で体験した事柄を思い出すたびに、なんともやるせなくまた虚しい思いに捕らわれてしまう事です。その最大の原因は、支部を指導している支部長ら職員の愚かさが分かるからです。そこで何度も迷いました。どうすべきか、私も忙しいのでこのまま放っておきたいのだが・・…、と。しかし、普通のこの世的会社なら「勝手にやって勝手に潰れなさい」で済ますこともできたのですが、なにせ仏の創られた団体です。現場の生々しい実態を知っている者としてはやはり黙って沈黙を守り、自分の心の平安のみを求めていれば良いという訳にはいきません。そして先生の教えが脳裏に蘇ってきました。

□正語においては、消極的に「こうしたことを言ってはいけない」ということもありますが、積極的に「正しい法論を説く」ということも、非常に大事なことです。決して弱々しき善人になるべきではありません。(仏陀の証明第1章)
□善悪の区別がつかないということと、善悪不二とは違います。善悪の区別のつかない者に対しては、善悪の違いを教えることが大事な教育なのです。(心の挑戦、第4章)
□無我の思想でもって他人の我を増長させ、そして悪くするようなことをしてはいけない。それに対してはやはり厳しい智慧の目を持って対処していく。そして、間違ったものに対しては、きちっと対応していく。違いを教えてあげることも愛。(心の挑戦、第5章)


【手紙の目的】
 やはり現場の真実を知っている者の義務として、書くことにしました。「何も知らない・知ろうとしない」総合本部の責任ある方達に少しでもサンガの現状を知っていただき、そして幸福の科学が本来の救世の団体としての使命を全うできるような組織に一刻も早く変革を遂げてもらいたいという願いを込めて最後の手紙を出させていただく事にしました。(本当に皆様が仏陀の高弟として私達会員より遥かに高い認識力をお持ちであるならば、一度この手紙を読めば真実を理解できるはずですので、これで私の義務も終了です)

 そして今回は現場の生の情報をお伝えすることに主眼を置いています。なぜなら、私がどんなに活動や組織の改善策を提案しようとも、皆様方が現場の現状を正しく把握出来ていない場合には、改善する気時ちも起きてこないからです。さて、セールスプロモーションの世界の企画書は、まず現状分析から始まります。現状を正しく見ることができないと、その後の企画も砂上の楼閣となるのです。これは、四諦にも当てはまります。
 苦の発見とは、たとえどんなに自分に都合の悪い状態であろうとも、リアルにその現実を認めなければならないものです。そして苦の発見ができなけれぱ永遠に反省もできず、改善もできないといういことになります。従いまして、ここでは現場の生の情報を率直に伝えさせてもらいます。総合本部の皆様には現場の正しい声が届く機会がかなり限られており、現場の本当の姿が見えていないと思われますので、私が率直にお伝えさせていただきます。(もっとも広報というかつてのS部長の個人的趣味で現場の情報という名の悪想念を集めていたところもあったようですが・それは別にしまして)

 皆様は謙虚に話を聞いていただき、これが会員の本音であり本当の気持ちなのだ、現場の状態はこうなっていたのだということを少しでも認識していただきたいと思います。この苦の発見に皆様が成功されたのならば、賢明なる皆様のことですから、あとは自ずから滅の状態に向かい動きはじめることでしょう。・・ただし、この手紙の内容もあくまで私の見方の範囲を越えていませんので、仮に事実と異なる内容がある可能性もあります。どうしても信じられない所はどうぞお調べになり、もし私の方が誤っていた場合にはお許し願いたいと思います。
 また当時から時間も経過していますので、当事者の方の中には今は心から反省されている場合もあるかと思いますが、この手紙は個人の攻撃を目的としておらず、成された悪の行為とそう仕向けられた構造的な悪の発見と是正を目的としていますので、当事者の方にはご容赦願いたいと思います。尚、悪を犯した人は実名にて書かせてもらい、会員・職員の正直な本音の部分はその方に有形無形の被害が及ぶことが考えられる場合、原則無記名にて書かせてもらいます。


【二回目の手紙】
 実は幸福の科学への提言の手紙は、これで二回目になります。一度目は今から約三年程前(93年)のこと、あまりの会の活動のひどさに憤慨して書きました。しかし、もしその事が判明したならぱ、本部長などから何をされるか分かったものではありませんのでさすがに目分の名前を書くことは出来ずに、遠隔地の友人に頼み投函してもらいました。職員にこういう思いをさせるほど会の雰囲気は悪いという事の証明でもあります。
 その時の主旨は「中道からの発展を目指せ」をコンセプトとして、無理な活動の引き起こしている現場の矛盾の実態を伝え、今のやり方では長続きしない事、その原因は会の活動を指導している者たちの目我の心・自己保存の心にある事を明らかにし、そのためにはまず『総合本部の職員自らが反省し、活動と職員の待遇を中道に戻し、パレートの法則からあれもこれもと目標を押しつけることなく、まず伝道のできる伝道者を育てることから始めるべきである』という内容だったと記憶しています。今から見て内容的にいかがですか・・…?
 真理とは王様が喋ってもまた乞食が喋っても同じはずなのに、所詮どこかの一職員の提言など聞く耳持たぬ本部の皆様方には全く無視され、この恐ろしい似非軍隊的・官僚的組織はその後も宗教活動の名を借りた「職員自己増殖活動」を続け、それは先生の「やめなさい」という声が発せられるまで続くのでした。悲しいことです。



【本部長の実像と実態】
 さて、まずはHにいらした本部長についてです。仏陀の選ぱれた方ですので、それは高い悟りを持たれているはずだ、と最初は皆思っていたわけですが、現物を間近に見ていると、何ということはありません。全員に共通して言えることは、良く言えぱ五次元の善人であり、悪く言えぱ人を見る目が無いので善悪の区別が付かず、皆様自分を持ち上げてくれるゴマスリ支部長には弱かったということです。そして中には普通の会員以下の俗物も混じっていたようです。


■Saさん番人注:極端な性格を直すようにとつけられた法名もやがて没収され、還俗しました)
 はっきりと言って人に好かれない典型ではないでしょうか。友人がいるようには見えません。あまりにも法の根本である愛が欠落しているのではないですか?「話が人の心に響かない」などが辞めるべき理由であれぱ、この方こそ真っ先に辞めるべき方でしょう。何故このような方が幹部となってるのか不思議です。金持ちの会員さんの所ばかり回って現金や衣類などの布施を一人で頂いていたようです。また総合本部から職員に対する布施の扱いの明確化の指示があるまでは、会員の車を個人的に乗り回していました。まるでどこかの官僚のようにそもそも常識的におかしいことや不偸盗という戒律を犯していても、言われるまで修正できないような認識力の持ち主です。そうであるから、かつて当時の支部長二人や会員数名から批判の投書が東京に出されるという異常事態が発生した訳なのです。それでも総合本部は本部長のかたを持ち、支部長らの決死の手紙を無視しました。あまりに勝手ではないでしようか。


■Bさん番人注:法名さえももらえず、人知れず還俗しました)
 人の品性は顔に現れます。この方の顔は失礼ながらあまりに酷いとおもいます。上にはペコペコし、下の者には傲優にという典型的小市民の醜さが現われています。本部の次長時代には、勤務中に床屋に行き当時のSa本部長に怒られてただひたすら頭を下げ、また本部長時代には部下に対しては威張るだけで、何の有効な指導もできません。また本部のトイレの窓から外に煙草の吸殻を沢山投げ捨て、私が命じられて掃除をしてきたこともあります。そしてトイレでの喫煙がまずいときには向かいのホテルのロビーまで出かけていって喫煙していました。恐らくいまでも煙草を吸っているように、目分の欲望のコントロールさえできない人です。

 また人を見る目もなく、当時のある支部の壮年部長であるT夫妻のことを「あの方達は信頼に値する」といって、多分その方たちから仕入れた私に対するマイナス情報を鵜呑みにしていました。しかし、Tさんが私を嫌っていた理由とは、実は彼らの上級試験(家で書く論文)に於ける不正を私が発見したことにあります。その不正とはお互いの答案の丸写しなのです!(鳴呼、そうまでして講師になりたかったのでしょうか!これがリーダー会員の本当の姿・…仏陀の法を本当は信じていない哀れな姿がここにあります!)当時支部にて採点をしていた私がこれを発見しやんわりと今後はしないように答案に一言書いておき、結果も当然の事ながら不合格にしました。その後彼らは採点の場所を調べ、私だと分かったようで、その後あることないことを本部長へ告げました。(世間ではこれを「逆恨み」と言います。)しかし何よりも彼らは支部の中では自我の強い物事の道理をわきまえない困った人達であると思われているのです。このような方達の云うことをまともに信じる本部長とは、まさしく波長同通の法則が正しい事を証明しているだけといえます。何故ならかつての論文講座の原稿を本部の職員Kに下書きまでさせて出していたのに、「私はかつてB論文で一番を…」などと最近会員の前で自慢するなど、先の壮年部長のTさんと同じく、俗物以下の卑しい人間といえます。

 そもそもこの方の頭が良くない事くらい、皆様は分かっているはずです。それなのに、N本部で使い物にならず、またTHやTやKでも使い物にならないような人物を、何故Hに本部長として持ってこなけれぱならないのですか?Hの人間を甘く見ないでください。いくら人の良い方達が多く、「誰がきても文句を言う人もいないからHならばBでも大丈夫だろう」などと考えているようならば、幸福の科学の人事部も終わりです。まだSaさんにはIQがありましたが、Bホン(…とその筋の会員にはある意味での親しみを込めて呼ぱれていることをご存じでしょうか?)にはIQも最近流行りのEQも欠落しておりました。このような能力のない以前の問題として心の卑しい方をこれ以上高い給科で養っている事は会員の布施の無駄道いであり、会員の信頼に対する背信行為と言えます。物事の道理をわきまえている会員の目をごまかすことはできません。


■Siさん番人注:還俗後に法名と似た山がある地方で何やら活動していたようです)
 本部長にはめずらしく職員にもっと良くなって欲しいという気持ちが伝わってきていました。私心というものがあまり感じられませんでした。それだけ救世運動に熱心だったと思います。ただし、支部の報告の数字のみを結果として重視することに表れるように、深い洞察力(智慧)が欠けていました。一例をあげると、報告の数字が上がったので当時の地方の担当者Kをかっていました。ところがそこの実情は組織崩壊の直前まで追い詰められていたのです。余りの目標必達の追求に、会員は離散しつつあったのです。そして誰もこの現状には見て見ぬふりです!私事ながら当時の私の家にもそこの会員さんから相談の手紙が来たくらいです。
 また例えぱ祈願祭などの開催回数も、四回開催の担当者と比較して三回の担当者には熱心ではないと云われる始末です。「数字をみていると支部の実情が分かる」と豪語していたように、保険会社的数字のトリックに捕らわれていたことを除くと、その動機は幸福の科学幹部には珍しく無私に通じるものがあったのではないかと思うくらい、気持ち的には純粋な方だったと思います。

■Fさん 一人一人の職員との対話を心掛けていた事は良いと思います。しかし、それだけでした。
■?さん 失礼、名前失念しましたように、平凡で支部への指導が全くありませんでした。
■Iさん(番人注:自ら推薦して職員にさせた方が本部の雰囲気になじめず、かわいそうにすぐ帰天されたようです。)
 当初赴任されてきたときに、法の学びを職員への指導の戦略としたのならば、活動の数字が下がったくらいで簡単に方向転換して取り下げないで欲しかったと思います。
■Tさん
 会員と沢山話をしようという姿勢に好感が持てました。怖い顔が無くなったことは、かなり自己変革の努力をされたのではないかと推察されます。しかし、いかんせんまだ若すぎるのではないでしょうか。


結論:今回のイノベーション(96年)にて本部長らの役職がなくされたということは、そもそも本部長らというのはいままで必要が無かった、また仕事をしていなかったという事の証明となります。

■お寺のお坊さんなどは、そうした般若修行をずいぶんしているわけですが、この世的に疎いところがあって、その疎さが結局、救済力を虚しくしていくこともあるのです。…普通の人なら「こうしたらこうなる」ということがわかるのに、それを知らないがために失敗するのです。(沈黙の仏陀、第5章)



【支部長の実像と実態】
 本部長でさえ仕事をしていなかった事以前に、人格的・能力的に疑問のある方が就いていたという事は、支部長クラスとなるともっとその差は激しくなるということが推察されます。少し前にTさんが辞めたと聞きました。残念ですが致し方ありません。本人のためにもその方が良かったと思います。しかし、Tさんなど可愛いものです。本当はTさんの前にもっと早くいの一番に辞めなければならない人がまだひっそりと隠れております。職員が見ても、また会員が見ても「あの人変だ」と見られている特に問題のある二名に絞りその実態をお知らせいたします。
 二人の共道点は上に対するゴマスリが事のほか長けており、それだけで本部長に取り入り、今まで生き長らえて来たことです。しかし、どちらも職員三人寄れぱ、三人とも「あれは酷い人」と云うはずです。支部長であること以前に、幸福の科学の会員としての信頼を日々損ないつつある方達の本当の姿をお知らせいたします。



■T支部、SI 

〈貸付金使い込み事件〉
 四年前位に当時A支部の会員の貸し付け金300万円を使い込んだことは有名な出来事です。不倫盗を犯し、普通の会社ならば懲戒免職の刑事事件です。何故か一般の社会より厳しい筈の幸福の科学では、当時のSa本部長とK課長、そしてSi総合本部長がもみ消しを行い(?)一時的にA支部で課長に降格されるも(この時に後の広報部Sとコネができたようです)すぐにまた支部長として復帰するという不思議な扱いを受けてきました。これも恐らくその前から続いていたSIのSa本部長に対するゴマスリ(不綺語)の効果が見事に出た事の証明と言えるでしょう。しかし300万円返済は不可能のはずですので、一体誰が支払ったのでしょうか?そして、そもそも300万の窃盗犯がいまだ支部長をしているこの謎は何でしょうか?
 この一件だけで普通はもう十分のはずですが、普通ではない事態が結構な頻度で起こる幸福の科学ですので、続けて書くことにいたします。


〈部下を使えない〉
 当時のA支部に行った主任は大抵SIのイジメにあい、一人はやせ細り笑顔が消えて帰り(今は会員のY)、一人は余りの理不尽さに腹を立てて、喧曄して辞める寸前まで行ったという事です(現A支部のIさんの話)。またK支部のAさんは、本来は経理の担当アルバイトでありながら、報告や集計など主任業務全部の仕事をおしつけられ、またクドクドと文句も云われまいっていました。Aさんは本来事務処理も不憤れなため、当時の書類整理のスピードに着いて行くことができずに、机の中は書類の山になっていました。仕事もそうなるとパニックです。それなのにSIは整理を手伝うのでもなく、傍観を決め込み、仕事が遅いと文句ばかり言っていたのです〈自分勝手〉。ともかく目分で仕事は全くせず全部部下に任せ目分は本当に全く何もしない。そして部下への感謝の気持ちなどなにもなく、やって当然という態度で臨むために皆に嫌われます。仕事の事は何も指示も出せずに、その上結果だけみて文句を言い、悪いのはすべて人のせいにします。このように誰が見ても無責任なことを平気で行うその神経をまず疑います。

 またK支部時代でも講演会は当時A市で開催していたため、Nにある実家に泊まりたいために講演会の前日の昼過ぎから仕事はAさんに任せっきりで家に帰っていたということです。(備品の準備からボランテイアの手配、金銭管理まで一人でやらせていたとは・…)「行事の前には支部長がいつもいなくて私困っていたワ」とはAさんのコメントです。
 K支部では、自分の席を奥の六畳間の個室に置き、普段は襖をしめて出てきません。仕事の指示も全く出すこと無く、毎日何をしていたのでしょうか。またK支部のある時期には、自分の昼御飯をいつも当時波長同通していたO婦人部長に事務所の台所で作らせ、1~2時間も延々と矯声を上げながらの長いランチタイムを続けていました (一部取り巻きとの支部の私物化です) 。あまりのひどさに、この件は後に支部職員がH本部の婦人部長Yさんに連絡して、Oさんの所業を止めさせてもらいました。


(報告操作〉
 報告数を操作していました。行事が終わるたびに、元婦人部長のOさんを中心に集めた人と何やら隅の方で相談して、「今回は・・人で報告しておいてください」などと、毎度のことながら職員も面と向かい嫌だとも言えませんので、云われるままの数字を出していました。毎回100%を達成するよう報告し、ついに他の支部ではとても100%いかない行事でも何故かK支部だけは100%突破が続きました。ともかく報告数には自分の成績が現れると思って執着しておりました。
 この体制を維持するために、SIが外出する時の行き先は、先のO元婦人部長とO婦人部長、そしてKさんの三人とほぼ決まっていました。何故支部で打ち合わせができないのでしよう。


〈金の疑惑〉
 SI本人は借金があり、金が自由になりませんので、報告操作用の金は多分Oさんの親戚のKさん(大黒天)から貰っていたものと思います。尚、支部の部屋で暮らしていたSIでしたが、ある時から3LDKのマンションに職員にも黙って移りました。後で職員がなんらかの拍子に契約書の写しを見ましたら、それはKさんの所有する賃貸で、家賃はたったの3万円(!)だったということです。そして家賃を本当に払っていたかどうかまでは分かりません。このように本来もらう立場でないのに貰う「不偸盗」を犯していました。


〈本部長接待〉
 特にKには有名なW市場があり、本部長が来るたびにここの大黒天Kさんの店へ連れていき、高価な魚介類をプレゼントしていたようです。実力の無いものに限ってこの方面の才能はあるのです。


(能力不足)
 親から譲り受けた会社を潰したことで証明されるように、リーダーとしての能力が全くありません。まず経営者的感覚がなく、K支部に人を集めようという意識などなく、また無実化しているチームをなんとかしようということさえも考えようとしていませんでした。あまりのずさんさにある学生の会員Iが怒って当時のI本部長宛にクレームの手紙を出した程です。
 また話も自分では自己陶酔し時間をオーバーするほど上手だと思っているようですが、会員にしてみれぱこれほどつまらない話はないでしょう。K支部の元壮年部長・元中堅部長によれば「月刊誌講習会も、始めは多かったが、SIが話をするほどにだんだん人が減っていった」ということでした。
 また論文講座は何故かHで一人だけ(本部長除き)B講座をしていたようですが、いつも奥の部屋で一日中論文ばかり作成しているのならば、なるほどとも思います。しかししかし、I本部長がこられて職員に論文試験を与えられたその結果を見るならば、その本当の実力は職員の平均レベルのやや上か(中の上)というものでした。そもそも日常業務の内容がピンからキリまで異なる職員を(特に支部長と主任とでは極端な所ではその業務量は20倍以上位の差はつきます。これは決してオーバーな数字ではありません)論文の結果でその悟り(???)を判断しようなどというその発想が間違っております。やるなら統一試験のように同じ条件で書かせなければ不公平の極みです。


(会員の評判)
 K支部の中堅部の元職員Sは「あんなのが支部長やってたらだめだね」とコメントし、また他の中堅会員KOは「みんな何故分からないんだ、あれはおかしい、でも僕までが支部長を追求しだすと悪の手先になりそうなので、それはできない」と言っていましたが、実は彼はSIから直接被害を被ったので真実が分かるようになったのです。(SIは仕事を全然しないため、直接被害を被る人は少ないのが実情)この会員は面目な方であり、そのために相手の非を言い立てるよりも、自分で耐えるしかないと思ってしまいます。この例とば逆に、自我の強い会員は「今度Hさんが支部長として来るようだが、変な事したら直ぐに書いてやる」と私に言ったように、面白くない所があれば、直ぐに言い立てるのが特徴です。またある青年女子は「あのSI支部長、私達はどうしたら良いのでしょうか・・」と聞いてくるし、またある地区長は「実はあのSI支部長は仕事が全然できない、ここだからまだ分からないけど、H本部にいったらもたない」と始めから看破しており、別の地区長もA時代に対決しただけあって嫌っております。

 このように少しでも心ある会員にはすぐにSIのおかしさは分かります。わからないのは不綺語が見抜けない本部長(FさんはSIの口車にのってなんと部長にしようとさえしたらしいのです!絶句…)と、その報告を暢呑みにしている総合本部の皆様と、そして支部長という役がついているのなら誰でもよく見える、SIと波長同通している一部の自我の強い婦人部の方達のみです。(もっともこの一部のご婦人たちも、普通の婦人部の皆さんから見ると、変に見られているのです。)
 SIが今回行ったT支部での会員の悲鳴が、かつて他支部にまで伝わってきていました。かつてT支部にいたことのある職員の家には「SIさんてホントに友達がいるの?」という電話がT支部の婦人の方から入りました。あちらでも例によって会員を裁いているらしいのです。何しろ今度は一人ですから、自分で仕事をしなくてはなりません。能力のないSIにはそれはつらいでしょう。ついイラついて会員に文句を言いたくなるその気持ち、私には良く分かります。増員の依頼を出しているようですが、とんでもない話です。


(職員の評判)
 職員も口には出しませんが心の中では良くは思っていません。しかし、T支部での会員の悲鳴がかつて他支部にまで伝わってきてた時でも、当時のそこの支部長は自分たちに災いが及ぶのを恐れ、「総合本部からSIのヒアリングが来ても、皆知らないと言いなさい。我々が言わなくてもきっとT支部の○○さんたちが絶対に投書するから分かるはずだ」とだんまりを決め込んでいたことに代表されるように、悪い職員がいても、誰もそのことを指摘できるような勇気ある方はおりません。皆、無関心を装っています。しかしその中でも、SIと直接仕事を経験したものならぱ、ハッキリとあれはひどいと口に出します。
 私は断言します。「SIは職員以前の問題として、普通の社会人のレベルでみても失格だ」・・と。もう一人、現A支部のI職員も「職員になるべきでない人が支部長をしてる」といっておりましたので、もし私の話が信じられなけれぱ、どうぞIさんにお聞きになってください。その他本音を聞かせてくれる会員もご希望とあれぱいくらでもご紹介もいたします。このような仕事の能力も無いような人が支部長になり、会員の布施と尊敬を受けて当然と思いながらやってはいるが、間違いなく今のままでは死後に孤独地獄へ落ちると私は断言します。ともかくこんな卑怯な男に毎月四十数万円も払っている総合本部とは、一体何を考えているのでしょうか。正に「泥棒に追い銭」です。



■H支部 H

〈部下を使えない・すぐ怒る〉
 今までまともに部下を指導できません。なぜならあまりに自分のやり方にこだわり、また学歴コンプレックスがあるために主任をどうしても下に見てしまうからです。そのため我流の押し付けが今までのパターンでした。少しでも気に入らないと下には直ぐに怒ります。わがままな本部長も大嫌いで(自分と似ているからでしょう)、Bさんのことはボロクソに言い(もっともそれ自体は正しいのですが)、Saさんに対してはTさんと共同で批判の手紙を東京に出しました(もっともその内容自体は正しいのですがあまりに文面が下品だったそうです)。職員のなかでは不人気度合いはSIと一二を争います。しかし、本部長への不綺語だけはとてもお上手でした。


〈法を無視し、我流にこだわる〉
 洪水防止のためにミラクルを堤防沿いにばらまく、とか霊障には深呼吸で霊がとれるとか、地区長を無視し勝手にチーム長を交代させるとか、他人の意見に耳をかさず、ともかく自分のしたいようにやってかき回しておりました。H支部では就任そうそう自我の強い会員からのクレームで本部に戻され、K支部に来るという話が出たときには、かつて散々K支部をかき回して会員を離散させていたので、K支部の会員の顔に恐怖の影が走りました。K支部やN支部・H支部でもHさんがいなくなって会員さんはホッとしたのです。


〈抜群の処世術〉
 しかし、この変わり身の速さだけは一種の才能と言えます。イノベーションがかかると一気に押しつけは影を潜め、会員さんを大切にしようという言葉が直ぐに出てくるところは大したものです。心の底から本当に反省できているのならば・・…。(しかしある時,会員とのやりとりの後で思わず「チェッ、あの馬鹿野郎が、調子に乗りやがって・・!」とつぶやいたのを、私はしっかりと耳にしました!)すでに「有」の状態です。自己変革は無理ではないですか?



■K支部、K(おまけです)
〈ともかく能力不足〉
 K支部の青年女子の方が遊びにきたとき私にこっそりと言っていました。「今度のKさんて、こんな事言ってもいいんでしょうか、・…話があまり上手ではないんですね」…私は「うん、どちらかというと下手くそな方だろうね」と答えておきましたが、自分の能力の不足を認めることなく、変に虚勢を張り時には威張るような人です。A支部でその正体がようやく見破られたと思った矢先に、またKで復活したとのこと。それも本人が本当の意味で反省した事が評価されたのではなくて、多分Mが宇都宮に行かされてその後がいなかったからでしょう。ほんとに人事部とは何を見てるのでしょうか!
 このK復活の話を聞いたあるN支部の壮年の会員さんは「まあ、K支部の会員さんがかわいそうね、こんなことしてるから人事部はだめなのよ!」と言ってました。職員はまだたくさんいるはずなのに、余程人材が不足してきているものと思います。

■M(おまけです)
 かつてSa本部長の手先となって各種便宜を図っていたのがこの人です。H支部のツアーもMが来てから、今までの旅行会社から、仲の良いある会員が個人的に経営しているツアー会社に変更しました。またKに来る時、前任のSIから聞いたのかKさんの賃貸を借りるべく交渉しており、Hさんに見つかり取り止めたこともあります。
・・…以上、支部長編でした。



[サンガを去ったある人]
 反面、全く逆の事もまた起こっていたのです。次に私の知っている元職員の話をしましょう。元職員Aは当初の頃より職員をしていたのですが、もう辞めさせられました。その辞めさせられた理由がまたひどいものでした。その人から聞きましたが、一言で云えば「職員としての素質に欠けている」ということだったらしいです。しかし、私はその人の人格を知っているためそれは嘘だと言うことが分かります。そしてなによりそのAがいた支部の人達の事を私はまた知っているので、確認いたしました。Aに対する評価は、「今までに来た職員のなかで、一番良かったと思う」「一番仕事をしていった人だ」ということです。また特徴的なことでは、「話がとても良く分かりやすかった」「今まで来た人の中では一番分かりやすく話してくれた」というのが共通していました。特に某男子会員の「たまにジョークが出るところが本当にユニークで面白かった。こんな人は職員では始めてだ」という意見に代表されるように、会員にどうすれば楽しく真理を親しみを持って聞いていただけるのか、という今では職員の皆様が気にしている「会員二一ズに合わせる」ということを当たり前のように出発点として話をしていた方です。ところが、そのAにも欠点(?)が二つありました。

 一つ目は、悪を悪として放置して置けない性格です。支部の会員の中にも、それこそピンからキリまでいるのは当たり前のことなのですが、何故か幸福の科学の管理部門の職員の人達には、「会員は全てすぱらしいものである、だからもしトラブルがあれぱそれは職員に原因がある」という恐ろしき現状無視の短絡思考(無知)がはびこっています。また現場の職員にも、「会員にいらぬおせっかいをして気分を害され、逆恨みされて文句の投書でもされて、自分の評価に傷がついたらかなわない。だから敢えて話をややこしくする必要はない」と、分かっていても会員の悪に目をつぶっている事なかれ主義がはびこっているのが現状です。
 しかし主宰先生がおっしゃっているように、会員である事と正しい事は全く無関係のことであるのです。そもそも職員と云えどもまた一会員なのです。だからAは良くない会員に対しては、結局その人の事を考えていたのでしょう、断固として妥協はしませんでした。相手が悪いという点に関しては、貴方がいけない、という事を率直に表明していたのです。しかも自分から相手の悪のアラを探していた訳ではなく、何かの拍子に噴出してきた相手の自我について、それは受け入れられませんと表明してきただけなのです。

 Aはあくまでこのままでは幸福の科学のサンガが良くならない、その会員もまた良くならない、と思いやんわりと相手の不備を指摘した訳です。ところが、自我の強い人には通用しませんでした。その言われた会員は強い己の自我のためにくやしくなり、面白くなくなり、あることないことAのあら捜しに奔走しだしたのです。(またこれを逆恨みといいます。)動機がアラ探しであれば、どんな事でも簡単に理由付けはできるものです。そして、結局いろいろなことを本部長や総合本部へ告げ口されたということです。

 また二つ目の欠点は、あまりに正直すぎたため(?)、本部長に対して全くオベンチャラやお世辞を云わなかったということです。本部長も人の子ですから特に本人が自我の強い場合は面白くはないでしょう。その要因が重なり、自我の強い会員の悪想念と同通した本部長はそれを鵜呑みにしてしまいそして上層部の評価を下げ、本人の言い分など全く聞かれることなく、遂に辞めさせられたということです。似たような経験をしている私は、Aの気持ちが本当に良く分かります。

 このように、現場のまともな会員の意見ではとても話が扮かりやすくて尚かつ仕事もよくしていた、という評価が出ているにも係わらず、本部長と総合本部の段階では全く逆の評価が成されているという実態があるのです。しかし、どちらも正しいということはあり得ません。真実は一つのはずです。どちらかが本当で、どちらかが嘘なのです。判定のコツは簡単です。「Aは良かった」と言っているのは、Aの日頃の活動や話の内容に接してきた現場の会員の方であり、「Aはふさわしくない」と云うことを信じている本部長たちは、Aの日頃の活動や話の内容を見たり聞いたりしたことがない、という単純な事実です。どちらがより真実に近いのかは、明らかでしょう。

     TB(0) | CM(0)


元職員による「幸福の科学」に対する提言の手紙②組織の腐敗とその原因

2011/11/08 06:50  Category:「幸福の科学」を科学する

http://www1.ocn.ne.jp/~h-ok/or-ocn/3-1-2.html

元職員による、一般社会への復帰後に出した、幸福の科学に対する提言の手紙(96年末)


<第二部・組織の腐敗とその原因>


「非難すべきものを褒めて、褒めるべきものを非難するというのは間違いだ」ということを、仏陀も言っているのです。非灘すべきもの、間違っているものに対しては、「間違っている」と言わなけれぱなりません。・…善悪を言えないような宗教というのは、宗教としての使命を果たしていないのです。間違っているものについては、「間違っている」と教えなけれぱ、人は救えません。(仏陀の証明第6章)


【評価逆転の構造】
 今まで私がのぺてきたことは、大方の他の職員とまともな会員の素直な感想ではないかと思います。おそらく総合本部の皆様には今まで聞いたことも無いような話であり、今までの評価は全く逆であったことと思います。では何故このような現実と正反対の評価しかできないという事が起こるのか、その種明かしをしてみたいと思います。直接の問題点は、総合本部で本部長や支部長や一部自我の強い会員のみの意見にしか耳を貸さなかった事です。言葉を変えると、正見が全く出来ていなかったということにつきるのです。この事を「正しく人を見るための判断基準」(真説・八正道、第二章)に従って検証してみます。

□映像を客観的にとらえる→上記の一方的意見しか聞かない。
□自分の感じ方を知る→これしかない。
□相手を相手の立場から見る→全く無視。
□真理の立場から見る→だからできるはずがない。

 このように、正見の手順も踏んでいないことがすぐに分かります。こんなことで正しい業務も行えるはずがありません。ではなぜこのようなおかしい判断しか出来なくなったのでしょうか。その仕組みを解説します。

■法則1 悪情報居座りの法則
●自我の強い会員→面白くない体験→腹を立てすぐに文句を出す→悪想念情報すぐ集まる
◎まともな会員→面白くない体験→自己責任として受け止め耐える→まとも情報届かず

 自我の強い会員ほど、些細なことで直ぐに怒り、文句を出します。ですから悪い情報がすぐに集まります。そしてまともな会員はなかなか文句をいうことなく、じっと耐えるために、その情報がなかなか顕在化しません。そのためそちらに届く内容のほとんどは自我の強い会員の悪想念が混在した、信頼感が欠如した不平不満の一方的意見しか集まりません。

■法則2 悪職員が良職員を駆逐する法則
●自己保存職員→会員の欠点→波風たてないように何もしない→文句も出ない→問題なしと見られる
◎まともな職員→会員の欠点→きちんと言うべきことは言う→文句が出やすい→問題ありと見られる

 自分の事しか考えない支部長などに限って、会員の欠点に対して目をつぶります。それだけのことで全く文句なども出ないことでしょう。だから問題が無いわけでは全くないのです。反対に、まともな職員ならぱ会員といえども、その悪いところはきちんと対処します。結果反発をくらい文句を言われることもあるでしょう。だから、この職員が悪いというわけではないのです。おまけに、自己保存の強い職員に限って、本部長への不綺語がお上手なため、本部長の評価も高くなる。まともな職員はお世辞など言わないため、相対的に評価も低くなりがちである、という傾向があります。

■法則3 悪職員居座りの法則
●支部長・本部長→報告通る→下の間題のみ顕在化する→時に良い職員も辞めさせられる
◎一般職員→意見言う機会なし→上の問題潜在化する→悪い支部長も居すわることになる


 今いる職員はたまたま年齢や学歴によって支部長や一般職員としての役目を頂いたはずです。現状を見れば明らかなように、決して悟りの差でもなく、ましてや人格の差でもありません。それどころか部下と人格が逆転している支部長もいるのです。それなのに、たまたまできた職制に従って、支部長・本部長の意見のみが正しいものであるとの暗黙の前提に立ち総合本部の皆様は判断してきた訳であります。しかし現実は支部長・本部長の方が職員よりも信頼できるというその前提が違っているのですから、自ずからその結果も間違ったものとなるのは自明の理であります。実際にも泥棒とかやくざ者の支部長がまだいる訳です。くれぐれも支部長は職員よりも信頼できるという盲信・幻想は捨てられると良いと思います。もしそんなことはないと言うのであれぱ、職員の上に対する意見が正しく出せる場を作るべきでしょう。 

 別に自慢するわけではないのですが、私はかつて某一部上場企業に勤めていまして、沢山のまともな社会人を見てきました。その人達と比較すると幸福の科学の職員と会員のレベルがどの辺にあるのかは一目瞭然なのです。私は入局した次の日には分かりました。ともかく本当に認識力のある方が支部長となり、職員を指導していくのならば本当に喜ぱしいことなのですが、社会的に見てもどうも経験もなく、また能力的にも疑問符を付けたくなるような方に支部長を任命して、全ての采配をその人の自由に任せ、支部長が交代するたびにやり方がコロコロとかわるような体制を取り続けてきたことのしわ寄せが、最後にはどこにいくと思っているのでしょうか??
 このように、総合本部の皆様が何故現場の実体と正反対の間違った評価しかできなかったのかという種明かしは、以上の法則1~3の要因が重なり合って生じてきたことなのです。しかし、このようなことは少し考えると分かりそうなものですが、何故今まで放置されているのでしようか。これで一番迷惑をしているのは、一体誰だと思いますか??


【間違った評価の本当の原因】
 さあ、正しい判断が出来なかった仕組みが分かりましたが、いよいよ間違った評価を続けてきたその本当の原因を解明する時が来ました。本当に悪いのは自我の強い会員でしょうか。それとも自己保存の支部長でしょうか。勿論彼らも悪いです。しかし、本当に責任を取らなくてはいけないのは、そのような誤った意見が通りやすい体制を見抜きそして改善する立場でありながら、全く自分たちの仕事を怠り、不適格な支部長を見抜くこともできず、今でも悪をのさぱらせ続けているのみならず、全く逆のまともな職員まで辞めさせるという愚行を犯している総合本部の人事部、活動推進部の責任者ではないでしょうか。もし泥棒とかやくざを支部長や本部長として指名したとすると、それは指名する方が間違っているのです。組織論を持ち出すまでもなく、無能な人物であることを見抜くことが出来ずに、長い期間使ってきたということは、使う人の責任です。

 人事部長ば以前私にこう言いました。「何故直接悪いと言えないのですか。主宰先生に、この人はだめだから、と私は云わなくてはならないのですよ」と。しかし、自分がそう言えるのはそれが仕事だからではないですか。人事として仕事にしている業務が他の職員にはできないからといって何ら関係のないことです。おまけに職員の間でそんなことを面と向かい言えるような状態ではないことを御存じないとは、現場の実情がいかに分かっていないかということの証明でもあります。何でも話せる自由闇達なサンガなど昔の話であり、今の組織は似非軍隊の官僚組織です。少しでも他の職員にクレームがいえるような人など、どこにもおりません。

 次のような例もあるのです。以前私はSIのあまりの酷さ(全く仕事が出来ず、ただ報告書の水増しで自分の成績だけ良く見せており、支部を何とかしようという気持ちが全くないという自己保存の醜さ)を知るにつけ、とても我慢が出来ずに、ある日人事のKさんにどうするべきか電話しました。すると「あなたにはその中心人物になって欲しくない、本部長にはそのうち分かるはず」と言われ私も我慢することにしました。しかし、もし人事部長が自分のセクションのせめて職員だけでもきっちりとご目分がおっしゃっているように指導できていたのなら、現場からの職員のSOSに対して、もっと適切な対応が出来たはずだと思います。ご自分の言葉とは裏腹に、人事部にはあまりにもことなかれ主義が蔓延しているのではないですか?(この件はあまりに酷すぎたので、後にはI本部長に直接告げました。お陰で、代わりにHさんがようやく本部を脱出して交代することになってしまったが…)ついでに言わせてもらいますと、誰かからの告げ口を鵜呑みにして、問題が出た時点でつぎつぎとその対象者を処分して他の者と差し替えているだけのことであれぱ、そのような事は誰にでも出来る低次元の「仕事」であると言えます。



【苦の発見から反省へ】

 いかがでしたでしょうか。まずはこの手紙の内容をよく検討していただき、不信な点はどうぞ納得の行くまでお調べになり、現場と職員の実態を早く掴んでください。そしてきちんとした現状認識をしていただきたいと思います。そのためには今までのやり方に頼るのではなく、現場の真実の姿が見られるような正見の工夫が絶対に必要です。そして職員の上層部が全く反省が出来ないところに、今の幸福の科学の不幸があります。会員と職員を散々使役して、その方法が間違っていたことを先生に指摘されたのに、誰も会員に対して謝っていないというところに、幸福の科学の闇の部分を見る思いです。
 普通の社会を見てみると明らかなように、経営に失敗した幹部や責任者はクビです。会社に損害をかけた社員もクビか弁償です。ところが、ふつうの会社よりその倫理は厳しいはずの幸福の科学の幹部は、一体どんな経営失敗の責任をとったのでしようか。それどころかほんの少しの降格のあとでたやすくまた支部長などに復帰し、のうのうと幹部を続けているではないですか。そのくせ下の者が少しでも「悪い情報」がでようものなら容赦なく切る。この上に甘く下に厳しい体制は、上の方達の既得権を守ろうとする卑しい意識の現れではありませんか。さんざん職員と会員を困らせ迷惑を掛けてきたその当事者のかた達には、反省と責任はないのですか??お互いにかばい合うその姿は、まさしく先生のご指摘通り、官僚そのものです。

 給料(と敢えて言わせてもらいます。こちらの方が実態に合っています。)の面からもその不平等と不公平さは明らかです。何も仕事もしないような支部長や本部長が40~50万円~も毎月貰うなどと言うことが、あっても良いのでしょうか。ホントにこれでは当事者の支部長にとっては、「こんなうまい商売、やめられません」と思われているのではないですか?もしこの実態を会員が知ったら何と言うでしょうか。職員は皆少ない給料で頑張っていると皆さん思っているのですが、実際安い手当てで耐えているのは、下の一般職員だけではないですか!皆様は本当にそれだけの金額の違いが出るくらいに、支部長と職員の間に、人格的能力的そして悟りの上での違いがあるとでも思っているのですか??ひょっとして給科体系を決めているのは上の人ですので、自ずから上に甘い(自分に甘い)給料体系としたのではないですか?こと待遇の面だけ見ても、あまりに不透明な点が多すぎます。一度公平に全職員に給料の情報公開をしてみたらいかがですか?

 話は戻りますが、会員に対して今までここが間違っていたということを明確に示さないと、会員も今までのことも必要悪としてしか捕らえることが出来ません。それでは本当の苦の発見ができないでしよう。ということは自ずから反省もできず、反省なくして悟りなしの言葉どおりに、組織や個人としても進歩に向かうことが出来ないでしょう。その事は今の組織の現状を見れぱ明らかです!!一刻も早く、皆様が正見が出来るようになり、苦の発見とそれに伴う反省を通して、まず自分達の組織自体に自浄能力を生み出し、会員からの布施を受けるにふさわしい組織へと変革を遂げていただきたいと思います。


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元職員による「幸福の科学」に対する提言の手紙③正しく考え、正しくあれ

2011/11/08 06:56  Category:「幸福の科学」を科学する

元職員による、一般社会への復帰後に出した、幸福の科学に対する提言の手紙(96年末)


<第三部 正しく考え、正しくあれ>



 ここまでがいかに今まで誤った指導がなされてきたのか、という事の証明のための部分です。次に私の気の付いた問題も含めて、救世の団体として本来の活動が出来るようになるための、未来に対しての処方菱を簡単に記しますので、なんらかのお役に立てれば幸いです。

【真理の流布を妨げるものの改革】
 信者を増やすことを妨げている改善すべき重要なポイントを記します。


●変革を求められる総合本部の姿勢

(1)自己認識
 自分たちが会を動かしているなどと思わず、謙虚に末端の職員の智慧を借りることのできる方法を考えること。あらゆることに正見の出来るように努力すること。これなくして後もなし。


(2)現在の評価システム
 報告書による評価では活動の本質が分からず、自己保存の支部長は数字の操作に走ります。そして金銭の不正も出ます。皆が納得する方法を考えるべきでしょう。


(3)階層差別の撤廃
 本来職員も会員と同じ修行者です。ならぱ本来階層はあってはならないものでしょう。しかし、必要上最低限の役職はいるかもしれません (支部長、本部の部長職など) 。それならぱ役職は必要上残しておくとして、階層差別の本質である給料は公平かつ平等に年齢や家族構成で決めるべきです。個々人の能力を正確に評価・判定できない今の体制の下では、歳が同じであるならぱ同じ給料というのがベターです。これならばお金の点で変に支部長等の役職に執着するものもいなくなり、本来の無我の奉仕ができるようになるはずです。これに反対の方こそ金に執着している証拠となります。そもそも金の点で辛い思いをしているのは、若い一般の職員だけで支部長などは結構もらっていること自体、おかしなやり方です。
 将来的に、職員としてもっとも相応しい方は、ある程度会社勤めを終えて生活にも困らないような人格者で、本当の奉仕の精神で支部の事務などを手伝える能力の有る方が、職員として採用されるべきであると思います。そうすることにより本当に奉仕の精神で働きたいという人のみが集まってくることでしょう。


(4)情報公開と責任の大幅委譲
 職員のやる気を出し使命感を高揚させるには、職員を信頼することです。いつまでも軍隊の一兵卒のように扱っていては、やる気をそぐばかりです。優秀な職員の実力を発揮できないのは、使う側の能力不足であることを反省していただきたいと思います。そのことが端的に出るのが、会員数や財務関係などの会の情報を隠していることです。この情報の隠匿は特に会員に対しては顕著であり、本当の事を知られると活動が止まる等という理由で本音を伝えられないのであるならば、これは組織的な「宗教詐欺」と言ってもおかしくはないでしょう。会員は今でも、全ての人事と活動の指針・方針・目標は主宰先生が出されたものであると固く信じ込まされています。まさに幸福の科学のカルト的一面がここに現れています。
 また何でも総合本部の許可を得なけれぱならないという点です。もし職員が信頼に値すると本部が思っているのならぱ、情報を公開し決定権を現場に認めるべきでしょう。もし、できないのであれぱ、何故できないと思うのかをよく考えられたら良いと思います。規制自由化と情報公開は世界のトレンドです。幸福の科学も同じです。ひょっとするとここが幸福の科学が発展に向かう最大のポイントかも知れません。(尚、職員にやる気を出させる秘訣のことは、ダイヤモンド社、K.ブランチャード著「1分間エンパワーメント」が参考になるでしょう。)
※こうして見てくると、幸福の科学でも大きな官僚組織が出来ていたことに気づかされます。しかし、権力は絶対に腐敗する、の言葉通り、また日本でもそろそろ官僚組織の崩壊の序曲が始まったように、幸福の科学でも、形だけ階層を無くしたように見えても本質的には何も変わっていないために、一部幹部達の官僚組織(意識)は絶対になくさなけれぱならないものであるのです。


(5)会員に対する見方
 先生の「会員の二一ズ」という言葉が金科玉条のように一人歩きしています。そもそもあまりにも職員のやり方が酷かったため、一転語の役割をしたのが「会員の二一ズ」という言葉と思います。そしていつものことでもありますが、いったんそうなると何でもかんでも「何でも会員の言うことを聞くのが会員二一ズに沿うことなのだ」という極端な意見になり、少しでも会員に意見する職員や会員から少しでも不満の出る職員は不適格と見なすのが幸福の科学の欠点です (思考停止) 。そもそも本当に巷の株式会社がそうであるように、会員(客)の二一ズを最大の活動理念とするならば、何処かの有名百貨店の店員をスカウトしてきて職員にすると最高の発展をとげることになるでしようが、これこそまさしく宗教ビジネスです。
 民主主義が衆愚政に陥りやすいのと同じで、昔と違い四~五次元の人が多い(と思われる)現在の会で「会員二一ズ」に合わせていくと、同じく四~五次元の組織と成らざるをえません (確かに支部に集まる人達の話す内容とそれに迎合する職員とは、残念ながらそうなっていると思われます) 。しかし、本来宗教団体に於ける「会員の二一ズ」とは、そんな好き嫌いの感情から出る単純なものではありません。それは「悟りを高め、人の役に立つことができるようになる事」が本来の二一ズでしょう。そうであるならぱ、この線から外れる会員の要求には「NO」と言ってあげるのが(勿論分かりやすく)職員の務めのはずです。此れくらいの事も出来ないようでは、あまりにも職員にも弱々しき善人が多くなりすぎていると思います。そもそもこういう善悪の区別が付かないのでしょうか?


(6)講師制度
 かつての法を求める情熱が最後には結果として反映されるような、他の宗教団体と最も差別化が図られていた制度だったのですが、このままでは講師になる人間がいなくなるという人材の能力不足の現実の前に、ついに高尚な崩してはならない最後の一線を越えてしまい、支部長ならほとんど無条件に資格を与えるという会員への権威付けの象徴と堕してしまいました。それでなくとも、今の在家の研究員(?)はすでに存在意義が消減しています。私の目には、存在感と公平さと意義が失われた資格制度には何の魅力もなくなりました。



【活動の苦集滅道】
 幸福の科学が、本来の活動が出来るようになるためには、まず活動面での四諦を行えばよいのです。この基本的な病から脱出するための方法論を教わっていながら、何故自分たちの活動に対しては実践できないのでしょうか。誠に不思議です。では簡単に流れのみ記します。

《苦》会員は伝道が出来ず、社会から遊離してしまい、経営もうまくいかないこと。本当に二千年・三千年後までこの先生の法を伝えられるのだろうか・・・・…?

《集》外部に対する与える愛の実践が全く出来ていないこと。すべて目標の割り当てを遂行することに活動の目的があるために、本来の目的が見失われていること。つまり手段と目的の取り違え。何かというと経営的に支部にばかり集めさせられ、社会に対してのアプローチが全く出来ていないこと。形だけのイノベーションをいくらしたところで、本当の反省をしていないので、これらは今もなんら変わってはいない。一言で会の特徴を言うとすると、表面の笑顔の裏に見え隠れする「冷たさ」です。

《滅》宗教の本道は、会員の悟りが高まり、新しい人が増えること。

《道》いまこそ、先生の教えを実践するときです。もう新しい教えをこれ以上聞くことは無意味です。今までの基本的法をまず実践してみることから始めなけれぱなりません。つまり、与える愛の実践です。その本質は決して今までのように単に何冊献本したとか、何人行事に連れてきたとかの、目標に対する結果を求めてはなりません。どうするかは先生の法に説かれています。

※与えるという言葉が本領を発揮するのは、与えるという言葉の中に、育てるという意味が加わってきた時である、と私は考えるのです。(伝道論P71)
※愛の本質の中には、持続というものがあるということです。(イェスキリスト霊示集P17)



 かつての釈迦教団の優れた教育のシステムは、和尚制度なのです。ならば、自由闇達な組織に作り替えるための基となるのが、現代の和尚制度であります。それは一人の会員が責任をもって一人の信者を育成することしかありません。この体制をいかに多く作るかに、人類の未来は掛かっているといっても過言ではありません。今はこの体制作りのためのあらゆるバックアップを行うことが総合本部の役目です。これなくして、ただ単に支部長に全てをまかせていても愚民政治になるだけの話で、今のままでは総合本部は何も仕事をしておりません。単なる普通の会社のように事務をこなしているだけで良い訳がありません。くれぐれも総合本部の役割とは何なのかを考えて頂きたいと思います。



【会員の声・ランダム編】
 最後に私が聞いた会員と職員の生の声をお届けします。普通は聞かれなけれぱ批判を恐れて皆黙っています。しかし、私は何時も本音で切り込みますので、聞くと喋ってくれるのです。会員・職員二一ズが知りたくぱ、謙虚にお聞きください。

・「総合本部の波動は、支部よりも悪い。あそこが一番イノベーションが遅れているのでは」(青年)
・「ホントに人事部って何も分かっていないじゃないの、だからダメなんだ」(壮年)
・「Kさんだって何してんの、人事部でしょ。ほんとに会のこと考えてるのかしら」(壮年)
・「てっきり人事も先生が直接してるのかと思ってましたので、誰も反対できない。」(中堅)
・「先生が面接してOKの人だけ残して、後の職員は辞めさせるべきだ」(壮年)
・「今の職員が幸福の科学のオールスターだと思うと、非常に寂しい」幌人)
・「今残っている職員は、皆イエスマンばかり、」(婦人)
・「会の職員は皆自分が一番と思っている人ばかりだ」(某職員)
・「会の偉いさん達は、みんな天狗の集まりだ、誰も反省できない」(某支部長)
・「結局今までのことも総合本部では誰も反省していない」(某支部長)
・「今回宇都宮に行ってきたけど、職員見て憧れが消えた。上も下も会に依存しているという感じ、肩書とったら世間に通用するのかしら…」(青年)
・「新・幸福の科学を作らないとこのままではダメだ」(元主任)
・「先生の指示だと思って目標も追いかけたのに、・・・…」(中堅)
・「あの八・八(三塚総理決起大会)だってどうなったのだ、十年分の仕事はどうなったのだ、何も言ってこないね」(中堅)
・「今の会では、法は人に勧められるけど、会員になれとは勧められない」(婦人)

 その他沢山ありますが、現状認識のためにはもうこれ位で十分でしょう。また私の友人からの報告では、O支部が発展を続け、各地から見学にも来ているようです。こういう良き事実を何故全国に紹介しないのですか?それさえも出来ないとは、本部の人達の仕事能力を疑われても仕方ありません。どうか現場の職員と会員の実態を少しでも知っていただき、この現状認識から始まり、是非幸福の科学をより素晴らしい組織へと変革していくためのきっかけとしていただけたのならぱ幸いです。

 修行者が堕落し、サンガーの内部が堕落すると、世の尊敬を受けなくなります。そして、外部からの外護も受けられなくなります。信者からの布施もなくなり、必ず政治が介入してきて蹂躙するようなことになります。そのようなことをさせないためにも、やはり徳高く修行している人たちの群れでなければいけないのです。…このサンガーの中で(理想郷の)原型ができなければ、それを社会に広げることはできません。・・・・…(沈黙の仏陀第3章)


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元職員による「幸福の科学」に対する提言の手紙④反省なくして悟りなし

2011/11/08 06:59  Category:「幸福の科学」を科学する

元職員による、一般社会への復帰後に出した、幸福の科学に対する提言の手紙(96年末)

<第四部 反省なくして悟りなし>


【幸福の科学の組織の病理原因を掴むために。参考資料:組織の盛衰/堺屋太一著 PHP研究所】
 最後になりますが、幸福の科学の置かれている病気の原因を、参考資料より組織面から考察してみます。

□組織の分類
 組織→共同体=趣味の会など、構成員の満足追求を目的とした組織。
     機能体=外的な目標を達成することを目的とした組織。

□人事評価
 評価→共同体=組織内の評判を中心とした内的評価
     機能体=組織への功績を中心とする客観的評価、適材適所の能力主義

※大切なことは客観評価のためには、役職者の個人の主観を排除するのみならず、組織としての社会的主観も排除しなければならない。もし、組織内で社会的主観による人事が行われると、構成員はそれに合わせた行動をとる。それは組織外との摩擦を生み挫折する。

□組織の病気
機能体の共同体化 

 機能体の組織が確立すると、構成員が固定化し、その地位の向上と権限の拡大が組織全体の目的化することになりやすい。これが強まれぱ構成員の間に共同体意識ができ、もっぱら構成員の幸せを求める「構成員共同体」となってしまう。これが「社員共同体」「役人天国」。この怖いところは、これを肯定する人事と資源配分がますます強化され、やがては「正義」をもって語られるようになること。共同体化した組織において、高い地位と大きな権カを持つことだけを願う小心な野心家は、構成員の推挙を得ようとして、構成員の幸せ追求、つまり共同体化を一段と徹底するようになる。・・・・そして人気取りの粉飾も忘れない。それは給与を上げずに長時間勤務に励むこと。これで世間の同情を得てしぱしぱ人格者という評価を受ける。しかし、自分の出世を目的として組織本来の目的を無視し、構成員の評価を得ようとすることは、最も悪質な出世主義にほかならない。そうなると組織の機能は低下し、機能低下を推進する人物がさらに評価されるので、一段とそれが進む。つまり自浄作用が働かない。悪化が悪化を促進する。


組織倫理の頽廃
 機能組織の共同体化の原因は組織倫理の頽廃。世間一般で罪悪とされることが組織の中では正義と言う場合には頽廃の極み。正義の仮面を付けているため、容易に是正されない。多くの場合に組織内では評価されることが多い。同じ会社の他の支店の活動を妨害していながら、数字の上の伸びだけを喜ぶこともよく起こる。コスト意識なし。自らに明確な責任が掛からない限り、他のことは気にしない。

□共同体化の尺度
年功人事→能力主義の否定と年功人事、内部の競争の排除~不適材不適所~

 共同体化した組織の恐ろしさは、失敗したものが全く懲罰を受けなくなること。
情報の内部秘匿~特に不祥事や内紛などは、内部で処理しようとする。

□共同体化が生む問題は、創造性の拒否または排除である。
 創造力というのは必ず少数者から出されて、従来の多数派に変革を求める性格がある。従って、共同体化した組織では、創造性は和を乱すものとして排除されることになる。共同体化した組織では、構成員の目は内志向となり、共同体内部だけの多数意見が正義正解になる。敢えて創造性を発揮するものはいなくなり、たまに現れると異端者として中枢から外されてしまう。このため、結局は従来の経験と憤例以外は考えられなくなり、ただそれをより几帳面により過激に行うものだけが出世をする。

無限地獄を招く、縦横の競争
 前年比、他社比で競争を煽ると、ゴールのない地獄に陥る。

□量のノルマは質の低下を招く
 社会主義の崩壊の原因。日本でも売り上高のノルマを課すと、質の悪い取引が増加した。結果として各支店が目標を超過達成しても、会社全体としては一向に良くならない。

□全体の手段が部分の目的
 巨大組織も、内部では各部分がそれぞれに与えられた目標を目的化する。組織全体が目的達成のための手段として下部の部分組織に与えた目標が、それを担当する部局においては目的化する。

□最後に全てにかかわる重要な問題は、企業の理念の確立である。
 人間の哀しさは、自分が本当にしたいことが分からなくなることにある。企業も同じで、本当にしたいことから目をそらし、世間の風潮や評判にのめり込んでしまうのだ。企業の理念とは、その企業の経営者と出資者と従業員が、「本当はどんな会社になりたいのか」という究極の理念を考えることにつきる。それがはっきりと分かれば、その実現にふさわしい利益質と人事尺度を定めることも、有用なヒューマンウェアを確立することもできる。理想を知ることが、理想を実現する第一歩である。


 幸福の科学が、本来の会の使命を果たすことができずに、限りなく仲間同志のうちわ褒めとなり社会の価値観から大きく遊離しカルト化していくその病理の原因が、ここに分かりやすくまとめてあります。一言で云うと、「本来共同体と機能体の両立(進歩と調和。小乗と大乗。悟りの原理の遂行)という中道からの発展の道を歩まねばならないはずの幸福の科学が、初めは限りなく機能体としての方向に盲進した結果破綻をきたし、その反動として今は限りなく共同体と化してしまったという、中道が全く実践できないことにある」ということです。今の端的な病理の現れが、「会員二一ズ」という名目の共同体構成員の心地よさの一方的追求です。世間の利益追求を目的とした会社ならぱいざ知らず、いやしくも宗教団体の幸福の科学が、「会員二一ズ」一辺倒でいくと単なる宗教趣味の会(共同体)となり、そして世間解がなくなりカルトとなってしまうのは明白です。すると本来成すべきことをせずにただ単に会員のご機嫌取りをしている職員が「良い職員」となります。
 一例をあげると、私に対し「サラリーマン的だ」などという言い方をする人がいたようですが、これこそ共同体的短絡思考の極致と言えます。そもそも人並み以上の年収と地位を捨ててまでこの会に来るということ自体、サラリーマンの発想ではないことくらい何故分からないのでしようか。ましてや宗教者の特徴が「会員のご機嫌取りと、自己犠牲の長時間勤務」にある訳ではないこと位まともな智慧があれぱ普通は分かるはずです。  これでも分からなければ次の聖書の有名な言葉を見てみましょう。

その木が良い木かどうかは、その実を見れば分かる。
主よ主よ、と主の名を呼ぶものが天国に入れるわけではない、私の教えを実行する人が賢い人だ。
(新約聖書/明日へのバイブル/山上の説教より)


 先生も何回も例として上げられた部分です。話は簡単です。「いつも信仰心について喋ってはいるが、話し方が灘しくだんだん聞く人が減り、また全然仕事もしない代わりにダラダラと遅くまで残って一部の会員のご機嫌取りばかりをしている職員」と、「信仰についてはあまり言わないが、法は分かりやすくかみ砕いて話すので会員に喜ばれ、仕事は普通の社会人以上に合理的にこなし、しかしあまり遅くまでは次の日の事を考えて残りたがらずまた過剰な会員へのご機嫌取りなど全くしないようなサラリーマンの会員」とを比較すると、さてどちらが主の目には本当に賢い人、信仰心のある人と映ると思いますか?結論は明らかですが、大きな決断のもとに出家した職員を、当人に確認することもなく安易に第三者の意見のみを鵜呑みにして簡単にサラリーマンなどと決めつけるなど、正見を心掛けているまともな感性があれぱ出来ることではないでしょう。般若は識の前提があってこそ発揮できるものだ、という先生のお言葉を信仰心あふれる職員の皆様は忘れているのではないですか?単なる信仰心だけならぱ、オウムや他の邪教の方が幸福の科学よりも数段すぐれた信仰心を持っています。しかし、邪教と幸福の科学との最大の違いは、「識」の部分のあるなしのはずです。口先だけで信仰を言い、行動でまったくおかしなことをしている信仰を弄ぶ職員など、そのへんのサラリーマン以下の低劣な人種であると言えるでしょう。

 まともなサラリーマンは、きちんと仕事ができます。おかしな実をたくさん結実させ(仕事が出来ず)、その反省もなにもしていない皆様こそ、真剣に自分たちの病巣供同体シンドローム)を点検すべきでしょう。今のままでは、先生がいなければ邪教と変わりがありません。このままでは、ますます機能(伝道能力)は低下し病理は進行していきます。この癌細胞の増殖は、早めに治療しなけれぱなりません。
 その治療法は既に書いておきましたが、まずは『その企業の経営者と出資者と従業員が、「本当はどんな会社になりたいのか」という究極の理念を考えることにつきる』から始めるべきでしよう。そして今幸福の科学が力を伸ばすことが出来ずに苦しんでいる間接的原因は、先に書いたとおりに「与える愛の実践が出来なかったこと」につきます。これは何も会員か悪いわけでは全く無く、会の指導者に其れだけの認識力がないために的確な指導が出来なかったことが直接原因なのです。そして、いくらイノベーションをしたといえどもそれは先生からの指示での形式的なものに過ぎず、自分たちが過ちに気がついて行ったものではないために全く反省ができていないので、今でもそのことが分からないでしょう。しかし、まずこれに気がつかなければ、永遠に会は浮上できないでしょう。この手紙を機会に、是非苦の発見から集そして滅から道へと、教えを実践していただきたいと思います。

 初めに掛け間違えたボタンは、後でどんなに取り繕うとしても、最後には必ず合わなくなります。これを直すには、どんなに事態が進んでいても、やはり初めに戻って掛け違えた部分を修正することから始める以外に方法はありません。因果の理法は、昧ますことができないのです。

 これで私の義務も終了です。後は幸福の科学のサンガが本当に会員の布施を受けるに相応しいものに変貌を遂げ、その時が来てまた再び皆様と共に救世運動を推進していけるようになることを心より期待しております。

皆様のご健闘を、心よりお祈り申し上げます。

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元職員が伝道した会員とやりとりした手紙-前編(1996年)

2011/11/09 00:11  Category:「幸福の科学」を科学する

http://www1.ocn.ne.jp/~h-ok/or-ocn/3-2.html

元職員が、幸福の科学について自分が伝道した会員Kとやりとりした手紙
 (前編:96年7月~11月)

概要
 手紙のやりとりをしたこの方(Kさん)は、かつての会社での仕事関係で知り合っていた方です。昔は時々飲みに行ったりもしていました。私が地元に帰ってきて職員になってからは、会う機会もなくなっていましたが、ある時こちらに遊びに来たときに、話が進んで会員になっていただきました。
 一見宗教とは縁遠い方のように見えますが、それ以来一生懸命に「信仰」されたようです。手紙のやりとりも続いていました。そして私が職員を辞めてから、率直に幸福の科学に対する意見を書かせてもらいました。すると事情もわからないはずなのに、この方はともかく幸福の科学は正しくて批判する私がおかしくなりつつあると一方的に決め付けてきました。それに対して、素直に感想を書かせてもらいました。それ以降、この方からはまったく返事が来なくなってしまいました…。今も元気にしているのでしょうか………???(元職員談)



私が前の手紙で幸福の科学の職員を辞めたこと、そして幸福の科学の職員のおかしさを書いたら、自分もひどい経験をしたと返事をくれました。それに対しての返事です。

(96年7月20日)
前略
 直ぐに返事をいただきまして、ありがとうごさいます。いろいろ大変でしたね。でも「法を説くは師にあり、法を広めるは弟子にあり」という言葉が示すように、幸福の科学といえどもその運営は弟子たちがしている、たとえ職員と言えどもまた支部長といえども仏ではなく仏の弟子であり、その意味では会員さんと同じ修行者であるという事です。またいくら幸幅の科学の真理を学んでいる会員といえどもまた同じ修行者であり、悟りのレベルは様々であるという事です。そしてその悟りのレベルはその方の置かれた立場・肩書に係わらず、その方の言動を見ていると直ぐに分かることなのです。まさしく「その木が良い木であるかどうかはその実を見れば分かる」です。大切なことは何を学んでいるかではなく、何を行っているかにかかっています。聖書にも書かれているとおり、「神の名を呼ぶものが天国に入れるわけではない。神の教えを実践するものが天国に入れる」のです。

 この際だからはっきりと私も言いますと、私は多分職員の中では不満分子(会を批判するもの)と受け取られているはずです。全然そんなことはないのですが、どうも幸福の科学の上層部の方たちには現状を素直に捕らえることが不得手の方が多いのでしょう。また我のみ正しいと思い込んでいる方も数多くいます。その証拠は幸福の科学の歴史と活動内容が示しています。最近のイノベーションが端的に示しています。先生が止めなさいと言わなければ永遠にあの忌まわしき目標必達主義と宗教共産主義・似非軍隊主義の組織運営がまかり通り、仏の作られた団体はその使命を果たすことなく、単なる一宗一派の新興宗教となって歴史の隅へと追いやられていた事でしょう。

 毎月単月の目標を追いかけその都度達成だと喜び、いかにも忙しく働いているかのように見せかけてはいたが、ではその結果信者は増えたでしょうか?自分たちのみ忙しそうにして回りに対して何の影響も与えられないこと、これを「コップの中の嵐」といいます。良く解釈すると「努力逆転」であり悪く解訳すると「熱狂的趣味人の世界・サークル、つまりカルト」です。今までの私たちの活動がこれです。戦略目標を持つことなく、現状認識が出来ず、会員さんの事を考えることなく、職員の論理にて無理難題を救世運動の名の基に無理強いしてきたその罪は大きく、責任者たちはあの世で反省することになるでしょう。

 その原因は二つあり、一つは職員が無我の活動が出来ていないこと、もう一つは「智慧」がないことです。支部長と言えども自己保身で活動を行い報告の数字を水噌しし、投書を恐れて言うべきことも言えず不良分子に迎合するという悲しむべき現状は今も変わりありません。Hのある支部でも「なんでこんな非常識で能がない人が…」と言われてる人がまだ支部長をやっています。きっと全国ではまだまだ沢山の不適格者がリーダーとなっている事でしょう。自己保身で動いているとろくなことはありません。
 そして最大の原因は「智慧の不足」「識不足」につきます。「宇宙一」の法を学んでいるために理念的に口ではいくらでも良いことを言うことは誰にでもできます。しかし、しかし、何とその善悪を見分ける能力の低いことよ!そして三次元的能力の何と低いことよ!識なくして般若だけが優れているなどという事はありえないのです。私の目には実務能カの低いおめでた人間と、口ばかり達者だが自己保身に走り自分の主観を押しつけるだけの職員がたくさん混じっているように見えます。同じように会員さんにもこの手の方はまだ多いと言わざるをえません。私のこの見方は先生によるイノベーションにより正しいことが証明されたはずです。

 実は今から三年前に私は活動推進局長宛に手紙を出しました。あまりの活動の酷さに我慢ならずに、匿名にて地方の友達に投函していただきました。その主旨は以下です。 

 「幸福の科学を本来の救世の団体とするためには、以下が必要です。」

1.正しい現状認識~活動の現場では会員さんが押し付けに苦しんでいます。この実態をまず知ること。
2.職員が反省し無我になること~報告の水増しや活動の押しつけの原因は自己保身。その元凶は目標必達主義の総合本部にある。
3.職員の待遇を中道に戻せ~休みや給料があまりにも酷すぎる。肉体がある以上中道が大切。今のままでは長続きしない。

・・だったと思います。そしてその理念は、「中道からの発展を実践せよ」でした。ともかくいまのままでは中道をはずれているのでまず活動を中道に戻し、その後で発展をめざせというものでした。
 当時M局長が代わったばかりでしたが、何故か活動の方針として「中道からの発展」を掲げて下さいました。そして推進局に支部担当者が出来、電話でいろいろ現場の実態を聞きに来るようになりました。やった!これで…と私はこの時期待しましたが、すぐにまた別の方に局長が代わり、元の木阿弥となりました。
 まあ所詮は弟子のする事ですからなんでも鵜呑みにしてはいけません。本部だから、支部の指示だから全て正しい訳ではありません。ひどい人が職員で来たら、これが私たちの修行だなどと弱々しき善人になってはいけません。悪いものは悪いから直しましょうと言える組織が、自由闇達な釈迦教団の筈でした。いわば善悪の区別がつかない会員さんと職員たちが、一部の上層部の暴走を許した結果が今までの活動でした。

 作り上げて来たものは似非軍隊組織にも似た自己満足に満ちた全体主義的組織です。私たちの目指すものは徳治主義的民主主義です。だからこそ、まず自分の頭で考えることが大切と思います。そしてあくまで活動の目的は救世運動にあり、信者を噌やすことにあることを忘れないことでしょう。そして自分のできる範囲で淡々と仏を信じて正しい活動を進めていくことが今の時代に一番必要とされてきています。あの世を信じているのであれば自我を排して縁起の理法を信じてコツコツと正しい活動を押し進めること、これが出来た方はやがて遥かな高みに至ることと恩います。愛を最大限に発揮するためには智慧が必要ですが、智慧は愛を最大限に発揮するためにあります。智慧は愛という目的のための手段であります。だから智慧を身につけ、その智慧で大乗運動をより強力に押し進めること、それが私たちの生まれてきた目的と使命そのものであります。これから来る闇の時代に備え、お互いがんばりましょう。ではまた…



(96年11月25日)
 冬の気配がやって来たHです。早いものでもうすぐ12月が来ようとしています。新しい職場にも慣れ、昔を思い出しながらまた仕事をしています。
 そして、8月より今まで幸福の科学に対する提言の話の構想を練り、さてようやく手紙の作成にかかろうかなと考えていた矢先に、長年使用していた自分のワープロが何故か故障してしまいました。フロッピーの受入口が壊れてしまいました。そういえば考えてみると不思議な事に、少し前にもワープロのフロッピーが行方不明になったのでした。全く不思議なことです。誰もいじるはずもないフロッピーがなくなり関係のない使っていないフロッピーが挿入されていたのでした。消えたフロッピーは今でも出てきておりません。その時はまあいいかと思ってそのまま使っていたのですが、こうなると私がワープロを使うと誰か困る人でもいるのかしら?な~んて思ったりしてしまいます。折から年賀喪中葉書をださなけれぱならない時と重なり、修理になんと二万円もかかるということだったので、ボーナス払いにてついに新しいワープロを購入してしまいました。それが、これなのです(オアシスヨ)。前の職場で使用していたモノとほとんど同じなので、なつかしい感じがいたします。使っていて分かったのですが、何故会社のPCのキーボードが使いづらいのか、それは長年の使用経験によりこのキー配列と間隔の感覚が抜けていなかったからなのですね。改めてこれを使用してみてとても使いやすく思います。

 さて機械も新しくなりましたので、これから私はしばらくの間幸福の科学に対する手紙の作成に入りたいと思います。それは何かというと、「幸福の科学への提言」第二弾です。前回の手紙の主は自分であった事を明らかにし、事態は何も変わっていないこと、そしてその原因は愚かで反省のできないまた正見のできない総合本部の指導者達にあることを指摘し、現時点での反省を踏まえて未来へ向けての確かな対策を構築していただきたいという内容になるかと思います。私もできるならばもう今の幸福の科学とは係わりを持ちたくはないのです。貴重な時間をもっと他の生産的なことに使いたいのです。
 しかし、内部の真実を知っているものの義務としてこれだけはだまっている訳にはいきません。また単なるどこかの会社ならば勝手にやって勝手に潰れろ!で済みますが、やはりここだけは放っておくわけにはいきません。他の誰もが分からずに、またもし分かっていても誰もこのことを積極的に本部へ提言する職員などいるはずもありませんので、それならばこれを言うのは私の今世の使命であり仕事かもしれないという思いにて書かせてもらいます。

 真実をあからさまに…。そしてこれを出してわたしの義務も終わりです。時あたかも日本の官僚制が崩れてゆく前兆が見えています。同じように幸福の科学の職員官僚組織も崩壊させなければならないものなのです。わたしが一番残念なのが、悪しき内容を知っている職員が沢山いるはずなのに、誰も口をつぐんでしまい、このことを言わなくさせられているという真理の団体としてあるまじき現状が展開している事です。職員団に理想郷の原型が作れなくて、真理の伝道など出来るはずがないではないですか。それは先生がおっしゃっていることそのままであります。悪者ばかりがいくらでも勝手な事を言い、まともな人達が黙っていることで結果的に自我の強い人達をのさばらせているとしたならば、それは正しいことを言わなければならないという正語戒に反する事です。そして真理の流布を消極的に妨げていることにもなります。
 ともかく、言うべきことは言わせていただき、あとはきれいさっぱりと今のサンガとの関係を絶ちたいと思います。従いましてこれからややしばらくは手紙の返事も書けないと思いますが、どうかご容赦願いたいと思います。
 O支部にサンガの理想が出来つつあるのならぱ、いち早く全国に紹介し、その良いところを伝えることが総合本部の仕事のはずです。Kさんから聞くまでそんな素晴らしい支部があるとは、全く知りませんでしたし、全国の他の支部の方も知らされていない事でしょう。その事自体が本部の無能ぶりを証明していることになります。「悪を止め善を進める」ことは、幸福の科学自身がまず率先して行わなければならないことなのです。…ということでまたよろしくお願いします。それではまた・・…

そして、この手紙を出した後には、私を一方的に「脱落者」と見なすような返事が届くのでした。


中編へ続く・・・・・
【元のサイトでは前編・後編に分けてありますが、ここでは「前・中・後」にわけました】


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元職員が伝道した会員とやりとりした手紙-中編(1997年)

2011/11/09 00:12  Category:「幸福の科学」を科学する

http://www1.ocn.ne.jp/~h-ok/or-ocn/3-2-2.html

元職員が、幸福の科学について自分が伝道した会員とやりとりした手紙
(中編:97年1月)

概要
 私は長い職員生活で実体験した幸福の科学のおかしい点を、Kさんに書いてあげました。これは伝道した責任上Kさんにも幸福の科学の真実を知ってもらい、これ以上盲信の深みに陥らないよう注意を促したものです。またKさんは私に対して「あなたは私の伝道者。とても感謝しています」と言われていたので、きちんと話せば分かるだろうとも期待していました。しかし私の実体験から得た「事実」を一つも顧みることなく、Kさんからは私を一方的に「退転者」であると決め付けた以下の内容の返事が届きました。(元職員談)

~(いろいろ総合本部に手紙を書くそうですが、)どうか無我で、ご自身の体験よりもこれからの会の発展のためを優先させて下さいね。
~来年からニューホープ、真の発展を教えていただけます。(どんな失敗も)仏は皆知っておられたのだなと思います。やらなきゃいけない失敗もあるんですから~。
~(あなたの)信仰心の分だけ方向違いに行ったときのことが怖いだけです。今の会だってちゃんと見てください。異熟化(神理の番人注:不合理で、縁起の理法が一見働いていない様に見えること)なんてないですよ~。
~(いくら一見悪いことがあったとしても)草創期には何かとあるので、後で笑い話にしましょう。
~(会のことなども)光の磁場(神理の番人注:幸福の科学の支部のこと)の中で考えること、光の磁場でない所で頑張っても力が吸い取られるだけですから。
~野狐禅はしんどいですよ、私もそうしてきたから分かります。
~ユートピアも一人ひとりの集合体だから、良きカルマをいっしょに作っていきましょう。
~どうか悪は己の内にありのように、許しというものを積極的な力として考えてみてください。罪を犯したことのない人はいないんですから。
~この(96年)二月のイノベーションをホントに理解されていれば何か感じられると思います。これだったんですよ。
~仏の方向により近づいた人として復活されることを本当は祈っています。
~(あなたの書かれた手紙を見ると)私自身がよく似た傾向があるので反省材料としてありがたく受け取っている所が多いので((とはホントです。人とぶっかるところとかね)

【これを簡単にまとめると、Kさんの主張は次のようになります。】
「仏はすべてをお見通し。やらなきゃいけない失敗もあるから、悪は己の内にありと思って許してあげましょう。これから本当の発展を教えてくれます。だから我を張り人とぶつかって野狐禅になり、仏から離れてはいけません。光の磁場へ来て復活してください。」……


 勿論Kさんには悪気がないことくらいは知っています。しかしいくら「善意」でも、人の意見に対して聞く耳を持たず、ともかく「幸福の科学と大川総裁は絶対に正しい」という立場から、Kさんは既に人を偏見でしか見れなくなっている「盲信」であることが分かりました。そこでKさんのためにもそのことに気付いていただきたく、その間違いを指摘してあげることにしました。



(97年1月29日
長かった総合本部への手紙もやっと完成し、投函しました。
 さて、世の中の人たちの特徴として、自分の考えが一番正しいと思いがちになる点があげられます。その最たるものが、カルトと呼ばれる「熱狂的宗教団体」であります。ここでは世間の常識が通用せず、自分たちの価値観のみが最上のものとなり、それからはずれる人たちの考えなど愚にもつかないものと軽視されてしまいます。しかし、それでもその価値観が本当に正しければそれでも良いと言えますが、往々にしてほとんどの場合にはその価値観は間違っているものです。その代表がオウムであり、またその他殆どの新・宗教であることに異論はないでしょう。
 精神病患者の特徴は自分が精神病ではないと思っている所にあります。同じようにカルト宗教の人には自分がカルトであるとの認識はありません。しかし、勿論その通りだと相槌を打つ幸福の科学の会員の中にも、既に自分たちにもカルトの特徴が現れていることに気がついている会員は果して何人いるでしょうか。
 「幸福の科学は別だ」と思うところに、カルトの芽は潜んでいるのです。だから正見はほんとうに難しいものです。自己客観視とは、それほど困難なものなのです。しかし、何を根拠にといわれるかも知れませんが、その判断基準は「世間解」つまり「世間常識」のあるなしにかかっています。カルトは世間解を持たずに自分たちの価値観のみで思考します。しかし、幸福の科学はそうではなかったはずで、先生が初めの頃より会員の目指すべき方向として留意されていた「偉大なる常識人」とはまさしくこのことを指しており、「世間の常識もわきまえた上で、また真理も知っている人」を私達は目指さなければならないのです。いみじくも二~三年前から先生がかなり会に対してアピールしていた点もじつはここにあります。法の中のどの部分か分かりますか?

 それは端的に言うと次の点です。「識あってこその般若である」「識は般若を支える足腰の部分」という点です。これは実はとても大切なことであり、幸福の科学を他のカルトと差別化していた最大のポイントなのです。単なる信仰だけを指せば幸福の科学以上に信仰心にあふれている邪教は沢山あるでしょう。しかし、最大の違いは「識」のあるなしです。識の裏打ちがあれば般若修行も十分なものとなります。しかしどんなに法が素晴らしくともそれを実践する側に識がなけれぱ、よくある新興宗教のように凡庸な人間にしかなることはできません。「指月の例え」や「マウドガリヤーヤナヘの仏陀の回答(弟子が皆悟るわけではない)」でも同じことを意味しています。

 識とは「この世的知性」ですが。はたして今の会員にこの識の部分がしっかりとあるのでしょうか。特徴的な会員の思考パターンは、識を軽視(無視)して般若のみを重要視するところにあると言わざるをえません。しかし。これこそ宗教音痴となってることの証拠であり、識(6次元)あってこそ般若(7次元)修行ができるという先生の教えを無視した盲信となっていることの証明となります。気を付けなければなりません。
 さて、ここで最近のKさんに対して私の意見を述べさせていただきます。

『Kさんの手紙を読むと、どうも自分の支部の事ばかり持ち上げて他の幸福の科学の組織などには無関心でどうなっても良いと考えているようですね。しかし、どうかそんな自分中心の考えは止めて、幸福の科学全体の事をもっと考えるようにしてください。
 また支部のこととか一生懸命な事はいいとしてもそれが行き過ぎて盲信になるのが心配です。だからちゃんと常識の立場で考えることが大切です。あまり支部べったりになるとマインドコントロールされて本来の思考力がなくなります。盲信は情けないですよ。私もなりかけたから分かります。会員一人一人がしっかりしなければならないので、どうかよく理性を働かせ良き努力をしていきましょう。そのためには善悪の区別をつけるのが智慧の始まりですから、間違った人にはその間違いを教えてあげましょう。分からない人に教えてあげることは愛なのですよ。是非それができるような当たり前の分別と識見を持つようにしてください。そして間違った信仰から脱して、本物の仏への道を歩んでいただけることを心から祈っています。私もあなたと似た傾向があるので、Kさんの生きかたを反面教師として有り難く受け取り反省しています。特に人を批判するところとか、…。』
 いかがですか?どのように感じている事でしょうか?まず今の自分の感情を良く覚えていてください。

 それでは前回のKさんの手紙の中で、少々このカルトの部分と関連しまして、修正すべき点があるのではないかと思いますので、これにつきましてコメントさせていただきます。あくまで私の事を心配してくれていることは大変有り難いとは思いますが、行き過ぎると良くありませんので確認させていただきます。ポイントはあくまで常識と法の範囲で見てどう映るのかという点にあります。


1.「どうか無我で、ご自身の体験よりもこれからの会の発展のためを優先させて下さいね。」
 単純に考えると、そのままでは「私が会の発展など考えずに我を通して自分の体験を優先させる」と思ったので一言注意をしておいた、ということになります。まず何故私が我を通すと考えたのか、その根拠が分かりません。会を批判することが無我ではなくなることに直結するのであれば、「無我とは、相手の我を助長させるものではない」という先生の言葉をどう聞いていますか?「悪いものには悪いと教えなさい」という先生の考えから降魔経が作られたのです。あまりに幸福の科学には弱々しき善人が増えすぎていたからです。ひいてはこれが言えなかったために、今の会の惨状につながった訳です。「会のやることで奇怪しいと思ったら遠慮しないで言ってくださいね」というのが先生の意見なのです。

 また次に何故自分の体験を書くことがいけないことなのでしょうか。体験と会の発展は別のものではないのです。何故それが会の発展につながるという思考ができないのでしょうか。真に不思議です。四諦の初めは「苦」であり、苦とはどんなに現状が悪くともそれをリアルに認めることから始まります。先生も述べていたように、釈迦とは時には冷たいと言われていたかもしれないが、実に正直でリアリストだったのです。もし苦の発見ができなければ、永遠に減にたどり着くことができないことは明白です。単純に言うと、私は悪くないと思っている限り反省はできず、改善もできないということです。
 では、自分たちは悪くないと思っている本部の人に、いやそうではないのですよ、現実はこんなに悪いのですよ、ということを認めていただくためには何が必要でしょうか。それは現状を知っている会員と職員が自分たちの体験した事実にもとづいて悪い点を指摘してあげなければ、いったいどのようにして悪しき現状が分かるというのでしょうか。企画書は何から始まるか分かりますか?現状分析が不十分で現実を取り違えた企画など砂上の楼閣に等しく、それは今までの会の活動が証明しているではないですか。それなのにまだ自分の体験を言うなとおっしゃるのでしょうか??


2.「来年からニューホープ、真の発展を教えていただけます。仏は皆知っておられたのだなと思います。やらなきゃいけない失敗もあるんですから」
 たとえどんな標語を掲げようと過去の計画が挫折したように、現状に対するきちんとした反省ができないと、また失敗することは目に見えています((ミラクルハーフとか8.8とか、ビッグバンとか、枚挙は無数です) 。そして真の発展とはもうすでに先生から法的には教わっているのです。発展とは決して先生が手取り足取り会員に教えてくれるようなしろものではありません。あとはそれを弟子たちがいかに実践するかにかかっています。私達が自らの力でつかみとるものなのです。失礼ながらこんなことさえも分からなくなっているのですか?また、今までの会に対して先生は「私はこんな会にしたいために今までやってきた訳ではないのです。これ以上できなければ会をつぶしても良いと思っているのです。」とさえおっしゃっているのです。また補佐先生は「先生を裸の王様にしたのは、あなた方職員です。」とまでおっしゃっているのですよ。この言葉を聞いてもまだ先生はすべて知っていたなどと安易なことを言えますか?

 人類の危機を救うという背水の陣を敷いた今回の幸福の科学の活動には、「やらなきゃいけない失敗」などというものは残念ながらないのです。そんな悠長なことは言っている暇は全くないのです。「フライデー事件で救世運動は三年遅れました」とは先生の言葉ですが、私に言わせると職員と会員の愚かさのお陰で百年は遅れたというのが本音ではないのでしょうか。しかし失敗もその中から教訓を学ぶことで勝利への入口に立つ事ができるのです。それを「やらなきゃいけない失敗」と敢えて言ったとしましょう。では、失敗から得たはずのその教訓とは何でしょうか。会員全員がそして職員が知らなけれぱならない教訓とは一体何ですか?Kさんにはその核心が分かりますか?皆さん反省しましたか?誰もしていないからこそ(教訓を得ていないからこそ)私は今回指摘したのです。


3.「信仰心の分だけ方向違いに行ったときのことが怖いだけです。今の会だってちゃんと見てください。異熟化なんてないですよ」
 私がいつ方向違いの方へ行きましたか?もしそうであるのならば、その点を具体的に指摘してくれれば良いのです。リアルに現実を把握していればそれで済むことなのです。全然具体的事実もないのに、ただ雰囲気だけで相手の人を判断することは一歩間違えると偏見への入口に入っていることになります。私がいつ今の会を偏見で見たでしょうか?むしろ皆さんより直接活動していただけに、より詳しく内部の事情を知っています。それだけ真実に近い判断ができると思っています。知ることは力なのです。より詳しくあらゆる角度から情報を集めた人こそ、より正しい判断ができるようになるのです。こんなことは当たり前のことではないですか。

 また異熟化の証拠に目標の強制がなくなったお陰で伝道能力が著しく低下している今の会など、先生の望んでいる会ではありません。仏が創られたはずの団体でありながら、救済能力の欠如している団体など本来のあるべき姿から見ると「異熟化」以外の何者でもありません。それでもまだ違うと言うのであれば、それはOという狭い地域の視点を会全体のものとして判断しているという認識不足の証明をしているだけのことでしょう。(もっとも異熟化とは原因と結果が一時期結びつかないことなので、これを本来の意味で使うと今の会に異熟化などあるわけがないことは当然です。悪原因に悪緒果が出ているだけの事ですから縁起の理法通りです。)


4.「草創期には何かとあるので、後で笑い話にしましょう」
 かなり進んだ癌の患者に向かって、「今は癌にかかるのもしかたがないので、直ってから笑い話にしましょう」と言えるでしょうか??必要なのはそんな気休めではなくて、癌を直すための処方せんを実践することです。安易な光明思想は反省ができなくなるという典型ではないのですか??


5.「光の磁場の中で考えること、光の磁場でない所で頑張っても力が吸い取られるだけですから」
 光の磁場とは支部の別名ではありません。一人ひとりの光の磁場が存在しています。それは物理的なものではありません。どんなに支部へ行ったとしても、自ら光を拒否している会員には光は届きません。そんな会員はいくらでもいます。また、体一つであっても光に対し親和的であれば場所には関係なく光は届きます。そして会員でなくともまた先生の法を知らなくとも、会員より数段光輝いている人など、世間にはいくらでもいるのです。間題は建物などの外部にあるのではなく、その人の心のあり方にあるのです。釈迦の教えの基本の部分が何であるのか分かりますか?そして釈迦の最後の言葉を覚えていますか?「自灯明、法灯明」の意味が本当にお分かりでしょうか??


6.「野狐禅はしんどいですよ、私もそうしてきたから分かります」
 なぜそう簡単に決めつけるのでしょうか。しかし、私が無意識にそうなっているのかも知れませんので、野狐禅の定義をほんとうに理解しているのならば、私がどのように野狐禅をしているのか説明できる筈ですので、是非具体的事実を指摘してください。ただし「支部に行かないこと=野狐禅」などという「野狐禅的指摘」だけは御免こうむりたいですが…。


7.「ユートピアも一人ひとりの集合体だから、良きカルマをいっしょに作っていきましょう」

 このような当たり前の事を今更書かなければならないということは、逆に言うと私が当たり前ではなくなっている事を前提とした話ではないのかと推察されます。もしそうであるのであれば、是非その具体的事実を教えて頂きたいと思います。


8.「どうか悪は己の内にありのように、許しというものを積極的な力として考えてみてください。罪を犯したことのない人はいないんですから」
 ・…ここに至るに、私は言葉を見失いそうです。それでも気力を振り絞り答えるようにします。先程の識と般若に関連しまして、そもそも許しとは七次元の般若の段階であります。そしてその前提として六次元は当然のことながら通過しています。という事は六次元の善悪の区別の段階を済ますことなく許しの段階もないのです。これが「識なくして般若なし」という意味です。会には「許し」を説く方が沢山おりますが、私が見るとどうも空虚に聞こえるのです。その人達が「許し」を説けるだけの人物と悟りにはどうしても見えないからなのです。だからその人たちに聞いてみたいのです。「皆さんは、六次元の段階をもう済ましたのですか??」・…と。もしそうであれば先生は千人の阿羅漢を作りたいと言っておられたが、とっくの昔に幸福の科学は菩薩の大集団と化していたのですね。……! そもそも許し(無我)とは、相手の我を増長させるものではないから気を付けるようにというのが無我に対する先生の注意点であり、何のためにこの注意が出てきたのかをもう一度考えられたら良いと思います。


9.「この(96年)二月のイノベーションをホントに理解されていれば何か感じられると思います。これだったんですよ。」
 という言葉が出るということは、ひょっとすると私が「ホントに」あのイノベーションの意味を理解していない可能性もあるということを前提とした話になっています。何故そうなるのかは私には不明ですが、まあいいでしょう。職員にも理解していない人がいること位は当たり前の事ですので。しかし、普通に考えて、前から幸福の科学の欠点を指摘していた人であるならば、「イノベーション」の意味を理解することくらい簡単なことであると何故思えないのでしょうか??

 しかし、あの出来事を「イノベーション」と会員の皆さんは呼んでいますが、これこそ私に言わせると職員からのマインドコントロールの産物である証明であり、また「イノベーション」の意味を「ホントに」は理解していないことの証明とも言えます。あの実態は「イノベーション」と呼べるような前向きのものではありません。会員にはその実態を知らせることが出来ず、「共産主義から自由主義へ」などと当たり障りのないことを説明していましたが、その実態は先生が各支部の実情を直接ヒアリングされ、自分の思っているような活動が全然出来ていなかったことにショックを覚え、目標必達主義の活動を止めさせたということです。先生の考えは直接職員にはビデオにて話されました。職員の意見は「この先生の話を直接会員に聞かれると、みんなもう出てこなくなり、活動は止まるのではないか」と思っていたのです。それ位先生の意図はあなた方会員には伝わっていないのです。だからいつまでたっても過去は必要悪(やらなければならない失敗)としてしか捕らえることができず、本当の反省まで行き着かないのです。真実が話されていないからです。その意味で「情報公開・共有化」は大切なことです。


10.「仏の方向により近づいた人として復活されることを本当は祈っています。」

 ということは、「私はこのままでは仏から離れていくばかりである」という事態を前提とした話にまたなっています。何故すぐにそう決めつけるのでしょうか。私がいつ仏から離れたのでしょうか。是非具体的事実をお聞かせ願いたいと思います。


11.「私自身がよく似た傾向があるので反省材料としてありがたく受け取っている所が多いので、(とはホントです。人とぶっかるところとかね)」
 私がいつ誰とぶつかったのでしょうか??どこが私とよく似ている傾向なのでしょうか?具体的に聞かせていただけませんか?

 取り敢えず以上です。Kさんの「観念的意見(と思われる)」に対して、できるだけ事実に即しまた法の観点から意見を述べ、また質問を書かせてもらいました。是非上記の質問にはお答えしていただけれぱ有り難いと思っています。自分をより客観視するためには自分の気がついていない点などを知ることはとても大切な事であると思います。

 最後にこの手紙の参考として以下二点の資料を同封しましたのでお読みください。
□「繁栄の法則」(長谷川慶太郎、谷沢永一)より「リアリズムと常識について」のコピー
□「組織の盛衰」(堺屋太一)…「幸福の科学の組織の病理現象の分析、総合本部への手紙より」

 今回の手紙は非常に重要な問題を含んでいると思いますので、良く吟味されると良いと思います。それではまた良い内容の返信を待っています。



しかし、これに対するKさんからの返事は、二か月たってもありませんでした。予想はしていましたが、やはり…という気持ちでした。それでも、あきらめずに少しでもきっかけが出来ればと、次の手紙を出しました。(元職員談)


(後編へ続く)

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元職員が伝道した会員とやりとりした手紙-後編(1997年)

2011/11/09 00:13  Category:「幸福の科学」を科学する

元職員が、幸福の科学について自分が伝道した会員Kとやりとりした手紙
 (後編:97年4月~5月)


(97年4月10日)
四月に入ってからようやく暖かくなってきました。その後いかがですか。二ヵ月振りに手紙を出します。
 私は以前、よく他宗の人達と話す機会がありました。真理を知っていた私は何とかして本当の事を分かって欲しく、色々な話をしてみました。そして自宗にこだわる彼らは、最後にはいつもこちらの質間に答えることができなくなりました。そしてその結果、他宗の人達はある共通の行為を選択するのです。それはこちらがいくらでも相手が納得するまで話をしようと思っていても、他宗の人達は答えられなくなると、一方的に話を拒否して立ち去りました。それは、論理的には破綻している自分の間違いを認める事なく、自分の立場と価値観を守る事のできる唯一の残された手段だったのです。

 本来信仰とは、己の利益のみを求めるものではなく、神の利益、いや自他一体の悟りから来る真実の自己と他人の利益を求めるものであるはずです(利自即利他)。そうであるならば、利自即利他の具体的実践論である伝道とは、自分たちの信じている事への異論に対しては、分かり易くその誤りを指摘し己の間違いに気づかせて、正しい信仰の道に誘うことであるはずです。邪教の人達のようにもし、自分の気に入らない事に対して拒否を決め込むのであれば、彼らのその「信仰」とは、一体何のためのものなのでしょうか。それはその信仰とはそれ程救済力のない教えである事以前に、その「信仰」は一体誰のためのものであり、また何のためのものなのかという、信仰という行為に対する根本的な疑問とならざるをえません。世の多くの「邪教」もしくは正しい教えの失われた伝統宗教の「熱烈信者」に共通している行為が、まさに困ったときの対話拒否にあることを、どうかKさんがこれから多くの方達を伝道する場合に突き当たる壁を乗り越えるためにも、覚えておいて損はないと思います。

 さて、前回の私の手紙の主張の意味がお分かりでしょうか?初めにあの内容の構造を簡単に説明しておきましょう。
□初めにKさんの方から、私に対して理不尽な内容の手紙が届きました。勿論Kさんにはそのような意識は全くなく、善意で知らずに書いているのです。しかし、これは世のカルトの信者も同じです。
□ではどのようにすればKさんの手紙が理不尽な内容であることに気がついてもらえるのか考えました。
□一番分かりやすいのは、Kさんの用いた論法をそのまま使い、返事を書くことだと考えました。
□その結果あの内容がどれほど不快な気分を与えたか、いざ自分が言われる立場に立ったことで良く理解できたのではないかと恩います。だから最近のKさんに対する意見として、わざわざ『 』での説明の後で「いかがですか?どのように感じている事でしょうか?まず今の自分の感情を良く覚えていてください。」と書いておいたのです。
…その結果はKさんの行動が表しています。つまりKさんは無意識のうちに私に対して、自分が言われたのならば黙って対話を拒否するような内容の手紙を、初めに書いていたのだということが実感されたのではないかと思います。
 それでも内容がどんなに不快であっても、それが真実の内容、事実に基づく内容であるならば、これは自分への反省材料として受け取らなければなりません。だから私に対しての具体的事実を指摘して欲しいとも書いたのですが、これに対しての指摘もないということはやはりそのような事実もなかったということの証明であろうと受け取らせていただきます。(実際そんなものはあるはずもないですから)
 しかし、今回の出来事を通しての最大の問題点は次の二点に集約されます。

1.自立した自分を作る教えであるのでKさんに自信を持って薦めた幸福の科学が、もはやサンガが真の救済力をなくしている事。
2.正しい教えを学習し実践することで自己確立を果たしていると思っていたKさん自身が、他の宗教団体の信者と似たようなマインドコントロールの状態にあるということ。正しい理性的・常識的な判断ができなくなってきている事が判明した事。

 よく見ると、1.2は関連しているのです。これに関しては初めに紹介した私の責任もありますので、なんとかしたいと考えていますが、基本的にはあくまでKさん自身がこの事に気がつかなければいけません。指月の例えではないですが、私は事実を指し示すことはできても、それを見てなんとか出来るのはあくまでKさん本人の力にかかっているからなのです。

 再度聖書の中から引用してみます。(先生も例えで使っています。)
「その木が良い木かどうかは、実を見れぱ分かる」(パリサイ人へのイエスの言葉)
「主よ主よと、神の名を呼ぶものが天国へ入れる訳ではない。神の教えを実践するものが天国へ入れる」(山上の説教)
 あまりにも有名な箇所です。信仰の本質について語られています。端的に言うと、本当の信仰とはその成された行為によって決まる、ということを意味しています。どんなに口で素晴らしいことをしゃべっていても、おかしな行為をするということは、その信仰は偽物であるということです。言葉を変えると、正業ができないのはつきつめると正見そして正信ができていないからだ、ということになります。当たり前のことですね。だから先生は、幸福の科学の会員は社会に対してその行動に責任をもちなさいといっておられたのです。

 どうかKさんも、幸福の科学の会員として真理を学んだ事の証明として、是非真理を実践していきませんか?ここで真理を実践できてこそ、今までの学びが本当に自分のものとなったといえます。回りが順調の時にうまく立ち回ることは、誰にでもできることです。その人の本心はつらい環境の中での行為に一番良く現れてくるのではないでしょうか。Kさんはきっと出来るはずです。頑張ってください!

 最後になりますが、先生の講演の中から一部抜粋いたします。
◆幸福瞑想修法第三章P143より、現実をクールに見つめ直す
 …ともすれぱ浮ついていきそうな毎日をもう一度引き締めなおす、ということです。そして、現実をクールに見つめ直して、悲しみや極端な喜びというものが、実は自分自身の空想の産物から出ているのではないか、このへんを知ってみる必要がある。・・これはだいじなことで、私達も救世運動を行っていますけれども、現実の問題、現実の難しさというのは、たくさんあります。・・これを野放図に、「これは神様の計画だから、もう、そのようになるんですよ」というだけでやっていれば、残念ながらいろいろな失敗が起きてくるのです。このへんをよくよく知らなけれぱいけません。
◆悟りの原理、質疑応答より
 幸福の科学の会員になったからといって救われるわけではありません。法を身につけたからといって救われるものでもありません。法を実践することが大切です。
◆幸福の科学入門より
 真理を学ぶ人が素晴らしくなること、これができなければ宗教改革もできない。
◆幸福の科学入門、質疑応答より
 集まって祈っても本当の価値は少ない、一人で静かに祈るのがよい。

 今回の出来事が、Kさんにとっての良い修行の機会となることを祈っています。



 しかし、やはりKさんの頑なな心を開かせることは出来ませんでした。Kさんにとっては幸福の科学を数年「信仰」した結果得たものが、人の言葉を聞けない独善性と頑なな心でした。こうなっているとどんな他人の言葉も聞く耳を持たないことでしょう。私も残念ですが、一縷の望みを託して与える愛の実践でもある最後の手紙を出すことにしました。(元職員談)



(97年5月7日)
五月の連休も終わりました。最後の手紙を出します。
 前回は、世の多くの「邪教」もしくは正しい教えの失われた伝統宗教の「熱烈信者」が、論理的に破綻している自分の間違いを認める事なく自分の立場と価値観を守ろうとする時の最後の手段が「対語拒否」であるという内容でした。しかしその拒否の姿勢自体が、聖書の「その木が良い木かどうかは、実を見れば分かる」「主よ主よと、神の名を呼ぶものが天国へ入れる訳ではない。神の教えを実践するものが天国へ入れる」という記述から見ても誤りであることを自ら証明していることになります。
 しかし、このような説明はKさんにとってはもはやそれほど意味をなさなくなっているように思います。いくら論理で分かっていても、それでも感情の部分で納得できなければ動かないのが人間の悲しい部分であるからです。でもこれだけは覚えておいてください。それでは他のカルト宗教の人と同じですよ、幸福の科学の教えはそういう人間の悲しい部分をなくし、自立できる人間を作る教えなのですよ、ということを・・…。

「これしかない、此れ以外のものはすべて真理ではない、ここだけは間違いがない」…と思うところから誤りは発生することは、他の教団を見れば明らかです。その誤りの本質は他者への依存にあり、判断・思考の停止にあります。どうかKさんも宇宙一の法を学ぶことのできる恵まれた位置にいるわけですから、素直に良心(仏性)の声に耳を傾けて、体験を通して法を自分のものとしていっていただきたいと思います。私の役目もこれで終了です。また人生修行を通じて感じるところがありましたら、手紙でもください。Kさんが真理の学びを通じて、より一層素晴らしい人間になっていかれることを祈っております。

 最後に幸福の科学以外の書籍から一部紹介して終わります。高級霊の言霊をよく味わってみてください。

◆古代霊は語る(潮文社)巻頭言
 あなたがもしも古き神話や伝来の信仰をもって足れりとし、あるいは既に真理の頂上を極めたと自負されるならば本書は用はない。がもしも人生とは一つの冒険であること、魂は常に新しき視野、新しき道を求めてやまぬものであることをご承知ならば、ぜひお読みいただいて、世界の全ての宗教の背後に埋もれてしまった必須の霊的真理を本書の中に見出していただきたい。
 そこには全ての宗教の創始者によって説かれた教えと矛盾するものは何一つない。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に不可欠な霊的知識が語られている。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明かりを灯し、魂を豊かにしてくれることであろう。シルバー・バーチ

◆古代霊は語る(潮文社)第一章シルバー・バーチの使命、より
 人間の宗教の歴史を振り返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏の座にまつりあげ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。そうした人々が説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡知を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうが卑しい乞食であろうが、そんなことはどうでもいいことではありませんか。
・…といって別に新しいことを説こうというのではありません。すぐれた霊覚者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにしてきたためにわたしどもが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いにきたのです。

◆古代霊は語る(潮文社)第一章シルバー・バーチの使命、より
 宗教家とか信心探い人は霊的に程度が高いという考えが人間を長いこと迷わせて来たようです。実際は必ずしもそうばかりとも言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。祭壇の前にひれ伏し神への忠誠を誓い、「選ばれし者」の一人になったと信じている人よりも、唯物主義者とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらでもあります。間題は何を信じるかではなくて、これまでどんなことをして来たかです。そうでないと神の公平が根本から崩れます。

◆古代霊は語る(潮文社)第四章苦しみと悲しみと、より
 悲しみ、無念、不幸、病気等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それは大した価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学べる準備のできた霊にとって深遠なる価値があると言えるのです。
 繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備のできた時始めて学べるのです。霊的な受け入れ体制ができるまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいかなる援助の手を差し延べても、それを受け入れる準備の出来ていないものは救われません。霊的知識を理解する時期を決するのは魂の発達程度です。
・…魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂の肥やしです。…人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。…困難こそ魂の肥やしなのです。困難の最中にある時はそれを有り難いと思うわけにはいかないでしょう。つらいのですから。しかしあとでその時を振り返ってみたとき、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであったことを知って、神に感謝するに相違ありません。…魂の懸賞は、そう簡単に手に入るものではありません。

◆精神的ジャパニーズドリーム(たま出版)新時代の学者によせて、より
 対象を自己のうちにとりこんでゆくということが学びの本質であり、外界のものを内界にとりこむことにより、自分自身の精神を成長させようとしているのだ。…真に本を読んだといえるためには、相互作用が必要であり、本の内にある精神に対して自己の精神が呼応し、相手の精神を映し出さないといけないのである。故に、自己の主体的精神の確立こそが、読書の条件であるといえるし、学者の条件であるともいえるのである。
・…さらに大切なことは、自己の本来の個性、本来の固有の精神に忠実であることなのである。
・…あくまで学ぶということは、真の意味での自己の思想を、自己固有の精神を、成長させてゆくためにこそあるのだという原点を、常に忘れてはならない。自己なくして学びなし。自己なくして精神なし。…
・すべての学者は、真の意味で自己の精神の主人公とならなくてはならない。

◆精神的ジャパニーズドリーム(たま出版)新時代の学生によせて、より
 自己独自の見方・人生観・世界観というものも育んでゆかなくてはならない。…かつてエマソンは、学者にとって大切な義務は、自分自身の内なる精神に忠実であることであって、外なる知識に支配されず、自己の精神を自ら支配し、自己の思想・自己の考え方を、自分自身の言葉で表現してゆく自己信頼の精神態度であると力説されているが、これは学生が本来受け身的に学ぶものであるが故に、同時に必ず身につけておかなければならない、能動的・主体的姿勢なのである。学びの本質とは結局のところ、内なる個性的理念の結晶を育んでゆき、開花させることにあるのであり、これこそが自己が生まれてより大宇宙の理法が自己に託している使命であるといえるのである。
・…このように、自己の思想を育んでゆくためには、常に学んでは内省し、精神の内部において深く深く思索してゆく習憤をつけてゆかなくてはならない。
・…こうした内省的、瞑想的時間を積極的にとってゆくことも、真なる智慧に目覚めるための王道なのである。

◆精神的ジャパニーズドリーム(たま出版)新時代の経営者によせて、より
 どんなに数多くの経験をなしたとしても、どんなに数多くの知識を学んだとしても、それに対して主体的なる思索を加えてゆかなければ、それを智慧にして自らの内に蓄えてゆくことはできないのである。

◆精神的ジャパニーズドリーム(たま出版)新時代の女性によせて、より
 女性の側からみれぱ女性らしさ、例えば控えめで物静かで柔軟な姿勢に徹することによって、よく男性的なるものを制することができるのである。男性的なものに対して、女性が男性的なるものをもって相対しようとする時そこに我が競い立ち、悲劇と不幸が生ずるといえるのである。女性的なる特質も磨いてゆけば至高の徳となり、最大の武器ともなるのである。ここに女性的なる理念の智慧があるといえるのであり、女性が女性的なる理念の智慧をもち、男性が男性的なる理念の智慧をもち、陰陽の理念の智慧が家庭において完成する時、その家庭において理念の革命が成就されているといえるのである。



その後幸福の科学の月刊誌の中でO支部の写真が掲載されており、そこにKさんが写っているのを見つけました。かつての都会っ子らしい元気さは消えうせ、生命感の失せた人形が笑っているかのような顔がそこにありました。最後に何もして上げられなかった自分の無力さを、少し恥じました・・・・・・・。




▲獏論註:「シルバーバーチの霊言」等、スピリチュアル関係には確かに良いことも書いてありますが、だからといってすべてを信じ込むのも問題があると思います。人に感銘を与える言葉がつづられていたとて、それが本物とか真理とは限りません。幸福の科学とて何万もの人たちを感動させて大きくなったのですが、その陰で苦しんだ人も大勢います。

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「幸福の科学」-その教義と行為の比較

2011/11/11 19:26  Category:「幸福の科学」を科学する

【神理の門番・真理の番人】両氏による記事-2000年頃

(4) 教義と行為の比較を通して、法的観点から「幸福の科学」を科学する


「教えの実践」の大切さ

 幸福の科学の会員は、「誰それは○○の生まれ変わり」などという霊界ゴシップが大好きのようですが、宗教のポイントは「教えの実践」にあります。どのような「立派な教え」も、ただ額に入れて拝んでいるだけで全く教えの実践ができなければ、それでは単なる「絵に描いたモチ(教え)」にしか過ぎません。信者にとってこのような「教え」(宗教)とは、簡単にいうと日常生活では何の役にも立たない「机上の空論」であり、それは自己満足の対象でしかないと考えられます。
 また宗教の良し悪しの判別とは、何も難しい教義を調べる必要はありません。信者の行為を見ていると、その宗教の善し悪しが分かります。効果の面から考えると、一般的・常識的に見て「信者の行為が良くなれば良い宗教、変になれば悪い宗教」ということになります。お守りのように、教え(法)そのものが貴いわけではありません。宗教と教えの役割と効用は、教えを実践することで信者が良くなることにあります。良くなるためには、良い内容の教えを実践してみることが必要です。その意味ではこの「教えの実践」ということが、実は宗教の生命線となっていると言えます。

 幸福の科学の基本教義は「四正道」と呼ばれ、「愛・知・反省・発展」から構成されます。もちろんどの教えも悪いはずもなく、これらをきちんと「実践」できれば立派な社会人となることができるはずです。では幸福の科学の信者たちは、果たして教えをきちんと実践できているでしょうか。もしできていないとするならば、「教えを空論とするような別の要素」が存在することが考えられます。では(1)~(2)で検証してきた例を参考にして、幸福の科学の教えと信者の具体的行為を比較し、そこから幸福の科学の本質を導き出してみましょう。


教義(四正道)と信者の行為の比較

   ●教義=教えの内容

=愛の教えが最も大切。愛とは見返りを求めない、与える愛のことを言う。
与える愛の最大のものが伝道。愛とは人に親切に、優しくすること。

□幸福の科学の実際の会員の行為
伝道や行事目標を、お金で達成しようとする。自分が不利になると対話を拒絶する。
少しでも組織の悪い点を指摘すると、とたんに手紙も来なくなる。
「仲間を誘うな」と言われたので、質問の手紙を出しても無視する。
会にいるだけで、自分も「仏」と同列と意識している。だから「悪」をやっつけるのは当然と思ってしまう。
理由も言われずに悪霊つきにされる。
「あなたのことなど支部では誰も相手にしていない。皆あなたのことを笑っている」と平気で嘲笑する。
Aさんのお母さんの伝道依頼を拒否する。その理由を聞きたく訴えても理由を隠す。そして反対にお前が悪いと恫喝される。このことを総合本部に手紙で問い合わせても無視する。

結果 愛の正反対である「奪う愛」、排他的、非寛容、拒絶的



=愛を伸ばすため(盲目の愛とならないため)には、知が必要。知があれば悩みを解決でき、相手の本質が見抜ける。知の本質とは認識力(悟り)のことである。智慧と慈悲が新時代の宗教のテーマである。

□幸福の科学の実際の会員の行為
(愛の実践とは何かという問いかけに対して)「難しいことは分からない。」
相手が法的に問いかけているのに知(法)で説得できずに、おしかけや恫喝・警察に言うと脅すなどして、暴力的手段で対抗しようとする。
法律知識の無知のために、無実の会員を犯罪者呼ばわりする。
理由を示さずに感情で相手を「和合僧破壊者」と決め付ける。
幸福の科学以外の書籍を、職員は会員に読ませない様にする。
幸福の科学以外の書籍に対して、読みもせずに悪魔の書と決め付ける。
自分で他の書籍内容を判断できずに、支部職員に処理を頼む。

結果 知の正反対である「無明」、偏見、非常識


反省=反省なくして悟りなし。愛を伸ばすためには、反省が必要。
仏教の基本教義(釈迦の悟りの基本)は八正道であり、反省のこと。

□幸福の科学の実際の会員の行為
91年のバブル伝道崩壊に対しても全く何の説明もなく、会員数の修正もしない。
大川主宰の「96年の改革ビデオ」も、会員には隠して見せない。主宰の本当の思いを伝えずに、別の理由でうまく言い逃れをする。
指摘を受けて間違いにはじめて気づき「失礼しました」と言うが、また同じ間違いを何度も繰り返す。
マイナス思考は良くないとして、会の欠点からは目をそむけて触れない様にする。
会の欠点を口にすると「和合僧破壊者」にされる。
他の団体の本を勧めるだけで、平気で会員を「和合僧破壊者」(悪霊つき)に仕立て上げる。それに対して善処を申し入れても、その事実を隠して全く無視している。
相手の言い分を全く聞かずに、一方的に相手を断罪しようとする。
人を恫喝しておいて、「お前が悪い」「人はうそをついてもいいんだ、あなたもうそつくだろう」
恫喝や脅しやおしかけのことを「お願い」と呼ぶ。

結果 反省の正反対である「独善」、横暴


発展=愛が拡大していくのを発展という。

□幸福の科学の実際の会員の行為
活動にはすべて目標の必達を要求し、会員は貯金がなくなる。
書籍も一部の会員の買占めによって、ベストセラーに入れている。
失望した会員は黙って去る。
少しでも会の批判をすると悪霊つきにされるので、欠点に気づいた会員も口をつぐむ。
月刊誌を届けてというお願いに、「理由など言う必要がない」と拒絶する。
初対面の一会員を「犯罪者扱い」し、質問にも無視を続けている。

結果 発展の正反対である「衰退」、失望


 この結果を皆さんはどのように感じられたでしょうか。ここに載せてある信者の例は何も特殊な方たちのみを集めてきたわけではありません。皆さん平均以上の頑張る信者の皆さんです。そして普段何も問題が起きないときには、きっとどの信者の方も優しく、寛容で愛深き方たちであると思います。しかしこれはどの宗教の信者(オウムでさえも)にも言えることなのです。では一体どうすればこのような頑なな姿を見せるのでしょうか。その秘密は「緊急事態にこそ、その方の本当の姿が現れる」という点にあります。

 どんなに怖い親分さんも家では優しいお父さんですが、事件が起こると豹変します。大切なことは、一旦何か事が起こったときにどうなるかということです。そこにその方の本性と宗教活動の成果が現れます。宗教の場合には、自分の信仰(宗教)に関わる問題が外部より生じたとき、つまり自分の信じている価値観と異なる価値観が出会ったときに、それが顕著に表れます。しかしその人の「信仰の質」によって、反応は根本的に異なります。良い反応か悪い反応か、それを見ることでその方たちの「信仰の内容」が判断できるでしょう。


教義と信者の行為の比較から、次の事が導き出されました。

教義 ── 幸福の科学信者の本当の姿
愛  ── 奪う愛、排他的、非寛容、拒絶的
知  ── 無明、偏見、非常識
反省 ── 独善、横暴
発展 ── 衰退、失望


また(2)幸福の科学を、具体的事実から検証するの、信者の言行の検証では、
信者の特徴として既に次の共通項を導き出しています。

1.相手を悪魔呼ばわりする(決め付ける・偏見を持つ)
2.対話拒否(相手の言うことを聞けない・自分のみ正しい)     
3.教えが実践できない(口先だけ)

 
 みごとに教えに反する行為が共通していることが分かります。
だから「3 教えが実践できない」という結論となります。



根本的原因は幸福の科学の「慢心」にある

□信者の言行の検証でも提示しましたが、教えが実践出来ない原因は一つに集約できます。
それは「慢(まん)・慢心」にあります。

慢から生まれる幸福の科学・苦の現実の構造

大前提 「仏(大川総裁)は絶対正しい」

だから「仏の組織にいる自分も絶対正しい=慢の発生」
だから「自分に反対するものはすべて間違っている=悪魔呼ばわりする」
だから「相手の言うことなど聞く必要がない=対話拒否」
だから「そんな相手には愛を与える必要などない=教えが実践できない」


 「人を見下す、質問を無視する、平気で悪口を言う、悪魔つきにする」などの独善的で傲慢な共通の行為ができる理由は、自分を「仏」と同列に置くという幻想、つまり「慢(=自己への執着)」にあります。原因が同じですのでどの信者の行為も当然同じとなるということは縁起の理法から考えても明らかです。

 このように「口で言うことと実際の行いが違っていること、一方的対話拒否と非寛容」、これが「盲信」の大きな特徴であるということが分かります。



▲元のサイトの構成によらず、気の向いたところを載せております。さまざまなご意見を併載しているだけで、当ブログ担当者とも立場が異なります。
●仏教の八正道とは反省のことではありません。この解釈はGLA・高橋信次氏の曲解を模倣したものです。


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