QHS



外部リンク (画像) 文芸春秋の敗訴確定 性の儀式で「幸福の科学」に謝罪 2015年
http://0w.blog.jp/archives/67257482.html (ΦωΦ) へ(のへの)

サラバ幸福の科学もくじ

2010/02/26 06:36  Category:サラバ幸福の科学

BARONG http://barongs.blog.fc2.com/ より-(元記事削除) 



個人的レポートを二つに分けた目次です。最初は一回分が一枚の紙にプリントできるように作っていましたので、あまり深くはありません。でもちょっとは参考になればいいなと思いました。ブログ収録のさい追記修正したところもあります。タイトルあとの日付は、はじめに書いた日です。(G.malta)

● サラバ幸福の科学:はじめに

パート1
▼(幸福の科学)雑感報告

1 あさましき捏造  2004/03/24
  町役場に推薦された教祖/暴言を武器とする宗教戦争

2 不安につけこむ宗教  2004/03/24
  政治をみくびる差別発言/ 脅迫と圧力/まき餌

3 偽予言と民族差別  2004/04/15
  ニセ予言者/韓国・朝鮮人差別/ユダヤ人差別/偽善者の自己満足

4 脱魂と脳死問題  2004/05/09
  人の死とは/霊子線/死体に命は無い/脳死と植物状態

5 仏教式法要と霊魂  2004/06/02
  脱魂体験/お通夜の由来/葬儀に深入りしなかった仏教僧/仏教の霊魂論/
  自慢好きな教祖

6 仏教教義の改ざん  2004/06/11
  裸の王様/経典結集/悟り無き教祖/六波羅蜜

7 新宗教の剽窃と捏造  2004/06/22
  間違った八正道/イエスと仏典/絶版・改訂版で隠蔽工作

8 図書室でのすれ違い  2004/07/20
  偽善的な謝罪/図書職員との会話

9 侮辱された病弱者  2004/08/09
  家族交霊会/名僧を詐称して語るたわごと/詭弁的業法思想



パート2

▼(幸福の科学)信者との対話

1 貴重だったBBS  05/07/14
  BBS幸福の科学について/被害家族の悩み/仏法を歪曲する自称ブッダ/
  中途半端な対話

2 被害家族の訴え 05/07/30
  許せない宗教/矛盾した助言/誰のお金か/自己満足の信仰/信仰と家庭の比重

3 生き神信仰 05/08/07
  父親との葛藤/断る勇気/生き神信仰/ごう慢の極み/信者の優越感

4 家庭の宗教的影響  05/08/21
  KKもまんざら悪くはない?/部外者の声をこそ聞くべき/信仰と人間性は別もの

5 公称信徒数 05/08/29
  無礼な割り込み/あいまいな信徒数/公称信徒数は減らせない

6 独善的な言い分 05/09/05
  矛盾を認識できない人/盲信の証明/信者の介入/独善的信者

7 スレ主への批判 05/09/06
  問題は何なのか/間違った道

8 宗教バッシング 05/09/09
  大川先生を叩くな?/KKはなぜライバルを叩く?/済んだ事にする言い逃れ/
  身近に見た非難行為

9 教祖・教団の収入源 05/09/11
  批判する理由/金満教団を目指すのか?/1千万円で菩薩に/教祖の顔写真が百万円

10 利用された死者 05/09/24
  偽善的教義もある/利用された死者/霊感商法/最大の広告塔

11 証明できない霊能力 05/09/29
  流用された霊界話/KKはGLAの分派/三途の川

12 貶められたGLA 05/10/01
  脱会員の疑念/大川教祖のもくろみ/どっちがニセモノか/霊界での乗っ取り作戦?

13 最高指導霊 05/10/02
  教義乗っ取り/三柱の最高指導霊/身分乗っ取り/エル・カンターレとは何か

14 うさん臭い霊言集 05/10/03
  批判に応えなかった信者/日本語で語る外国霊/霊言あるいは霊界通信/
  大川教祖はなぜ古代語が使えないのか 

15 多次元霊界説 05/10/04
  高橋氏が説いた霊界構造/受け売りの霊界説/先人の本をまねしただけで如来気取り

16 理に合わない次元論 05/10/07
  低次元な次元論/スピリチュアリズムからGLAへ/子供たちの信仰

17 一念三千論の歪曲 05/10/08
  指摘された邪法性/デタラメな教義解説/変造されていった仏教

18 仏陀は転生しない 05/10/09
  釈迦の再誕という愚論/常識知らず/仏陀再誕(最嘆)の元凶は高橋氏

19 大乗仏説とする虚妄 05/10/10
  経典結集のウソ/間違いだらけでも仏陀なのか?/仏典は霊言集だという詐偽

20 仏教史捏造 05/10/11
  潜在意識からの啓示?/釈迦と大乗をつなぐ虚言/自称〈大乗〉の欺瞞

21 伝道VS抗議 05/10/12
  本当の幸福のため/教団の未来/多角的に見るべき

22 仏教内で対立する霊魂観 05/10/13
  信者の述懐/教義解釈の違い

23 未来仏信仰 05/10/14
  仏教の未来仏/何が転生するのか

24 解脱知見 05/10/15
  阿羅漢とは如来の別称/釈迦の前世/経典の解釈

25 六波羅蜜 05/10/17
  誤った悟りの階梯/伝統仏教への誹謗/ヘルメスに帰する無意味さ/
  またも高橋氏のサルまねで失敗

26 神秘思想の摸倣 05/10/18
  KKが取り込んだ神秘家/四正道/無宗派として

27 利用された生長の家 05/10/19
  谷口雅春からヘルメスへ/瞑想で得る平安/浮遊霊の影響?

28 架空のイエス像 05/10/20
  イエスと愛/イエスが父と呼んだ神/妄想の連鎖

29 太古世界の妄想 05/10/21
  アカシック・レコード/KK的如来の世界観はバラバラ/本体と分身/
  純水の中には純水しか存在しない

30 虚空蔵/偽予言 05/10/22
  虚空の記録/当たらない予言と愚かしい逃げ口上

31 阿含経典批判にこたえる 05/10/23
  経蔵と論蔵の違い/重要な法こそが伝承された

32 縁起の法を理解できないKK信者 05/10/24
  仏説経典と解釈は別/根本的な間違い

33 正統仏教を知らなかったシュタイナー 06/01/20
  釈迦の教えは単純明快/残された阿含経典/シュタイナーの欺瞞

34 実在しなかった文殊菩薩 06/01/21
  釈迦の法を歪曲した〈大乗〉/文殊菩薩から大乗へ?

35 新参者の増上慢 06/01/22
  肥大化していく虚像/外道化した仏教/消された弥勒

36 批判を嫉妬だとすりかえる信者 06/01/23
  独り善がりな批判/信者のプライド

37 批判を受けぬ宗教はない 06/01/24
  批判は恨みから?/居直った信者

38 教祖をかばうためのウソ 06/01/25
  KKと信者の冒涜行為/隠蔽を訂正だとすり替える

39 何でも霊界の指導と考える信者 06/02/03
  間違いは人のせい/KK信者の勘違い

40 釈迦仏教は救済力が落ちたのか? 06/02/06
  教学は法の体系化/アミダ教/同じ大乗系なのに?

41 終わりと始まり 06/02/07
  最後まで自己本位な信者/新しい議論活動
(転載中止。エルカンターレ宣言に変更)

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エル・カンターレ宣言

2010/02/25 23:25  Category:サラバ幸福の科学

今回は「幸福の科学信者との対話」最終回の予定でしたが、昔の雑文を読み返してみると、わざわざここに再掲するまでもないものでした(転載当日になって読み返しているもので‥)。それで急遽、以前から載せておきたいと思っていた、あの「エル・カンターレ宣言」、「我は宇宙の神様である宣言」の一部を打ち込みました。

僕はこの団体が創立されたころの一時期会員だっただけで、まだ支部もなかったし、教団と直接の接触はありませんでした。月刊誌が送られてくるだけでしたから。本を時々読んだだけで、特に勉強もしていません。それでも10年たって大川教祖の本を読み直そうとすると、身震いするような不快感とともに、地の底から響いてくるような彼の奇怪な声が聞こえてきました。単に頭の中で、声の記憶が文章にあわせて反応しているだけなのでしょうが、それでも気持ち悪くてなりません。だから彼への反証をしようにも、その本が読めませんでした。
 何年も熱心に信仰してこられた方であれば、心の傷は本当に深かっただろうと思います。
これをお読みの方で、もしまだマインドコントロールの傷に苦しんでおられる方は、読まないでいただきたいと思います。傷がまた開き、辛い思いをするかもしれません。

僕はいま本をほとんど読みませんが、今年1月に古本屋で探してみると、このエルカン宣言が載っている本などが書棚に入っており、迷わず買ってきました。まだ冒頭の宣言しか読んでいない状態ですが、それでも買った価値はあったと思います。その価値とは、教祖のごうまんさの極まりを知ることができたという意味であり、まことに素晴らしい書です。ご愁傷様と言うべきか。では、一部を抜粋して掲載します。途中の見出しは省略しました。



1991年7月15日 東京ドームでの「御生誕祭」における法話
「信仰の勝利」より

   エル・カンターレ宣言

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
きょうは、
この私の三十五回目の生誕を祝してくれたことを、
心より嬉しく思う。

‥‥‥

ああ、すでにあなた方のもとに届けられたる
『永遠の仏陀』(幸福の科学出版刊)という、わが書をひもといてみるがよい。
その一書のなかに綴られた言葉に込められたる、
その念(おも)いを--。
あなた方は、その言葉が
人から来たと思うか。
人間の考えであると思うか。

あなた方は、
肉体に宿りたる大川隆法という名の人間の存在にも、
迷うてはならぬ。
あなた方の前に立ちたるは、
大川隆法であって、
大川隆法ではない。
あなた方の前に立ち、
永遠の真理を語るは、
エル・カンターレである。

われは、この地球の最高の権限を握りたるものである。
われは、この地球の初めより終わりまで、
すべての権限を有するものである。
なぜならば、
われは、人間ではなく、法そのものであるからだ。

あなた方は、その肉に惑わされてはならない。
神とは、
そして、神そのものを表現し、
伝えている「永遠の仏陀」とは、
人間ではない。
それは法である。
教えである。
(のり)である。
この大宇宙を統(す)べるところの教えであるのだ。

‥‥‥

信ぜよ、信ぜよ、信ぜよ。
われを信ぜよ。
永遠の仏陀を信ぜよ。
永遠の仏陀、現れて、
あなた方の前にて、
久遠の神理、説きたるを信ぜよ。
信じたならば、
勝利は、あなた方の前に広がるしかないのである。

よいか。
われが地上を去るまでに、
まだ四十年あまりの歳月が予定されている。
その間に、
この日本だけではない、
地球すべて、五十数億の人びとに
この神理を伝えるのだ。
永遠の神理を、
永遠の法を、
永遠の仏陀より流れ出したる久遠の法を
伝えるのだ。

‥‥‥

よいか。
われは、今より二千六百年前、
インドで釈迦として生まれた。
四千三百年前、
ギリシアにヘルメスとして生まれた。
されども、
今、あなた方の前に大川隆法として現れている魂は、
この仏陀の魂の本体であるところの
エル・カンターレであるのだ。
あなた方は、そういう瞬間に、いま立ち会っている。

‥‥‥

あなた方は、この地上を去ったのち、
霊天上界において、直接わが教えを聴くことは、
もはやないであろう。
されば、この場において、
わが語りたるこの言葉を、
魂に黄金の文字として刻印せよ。
刻み込むのだ。
1991年7月15日というこの日を、
魂の中に刻印せよ。
この日を忘れてはならぬ。これが、全人類救済の旅立ちの一里塚であるからだ。

‥‥‥

すべてのものは可能である。
信仰の名のもとに
勝利以外の結果はない
--ということを知るがよい。
信仰は、あなた方に最大の勝利を与えるであろう。

‥‥‥

永遠の仏陀、ここにあり。
また、その弟子、ここにあり。
ともにがんばっていこうではないか。

宗教法人幸福の科学総合本部「大川隆法先生ご紹介」より
 大川隆法先生とは、地球系霊団の最高神霊であるエル・カンターレ様が、地上に下生された存在であり、過去、その意識の一部が、インドで釈迦として、ギリシャでヘルメスとしてお生まれになったことがあります。今回ご降臨された大川隆法先生は、そのご本体意識であります。
 「エル・カンターレ」とは、「うるわしき光の国、地球」という意味であり、そのご本体意識のご降臨される時代は、つねに新しき地球世紀の始まりの時であります。大川隆法先生は、今、過去の諸宗教、諸思想、諸学問を整理統合され、21世紀以降の人類の新たな価値基準を打ち立てるべく「幸福の科学」を母体とした壮大なる人類救済運動を展開されております。

昭和31年7月7日生まれ。昭和61年10月に「幸福の科学」を設立。平成3年3月に宗教法人格を取得。



   われは、この地球の最高の権限を握りたるものである。
   われは、この地球の初めより終わりまで、
   すべての権限を有するものである。


これは独裁宣言ですね。おぞましいかぎりです。
教団は世界に支部をたて、嘘八百をひろめています。自分が賢い人間であったならば、英語くらいできればもっと何かできるのになと残念です。でもひとつふたつでも、何かの役に立つことができればいいなと思います。

これでマルタの(過去の)報告は終わりです。あとは一念三千のレポートや短いメモが残っている程度で、まとまっていません。もし間違っている点があればご批判ください。いずれ考え直して見ます(今は余裕がないです)。。読んでくださった方、ありがとうございました。


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対話40 釈迦仏教は救済力が落ちたのか?

2010/02/24 17:57  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その40 初出 2006/2/6

■ 教学は法の体系化

▽[100式]〔マルタへ〕
【…{h}釈尊の真意は悟りを求めつつ、多くの人々を救っていこうというものだと思う。
{i}教学化して救済力が落ちれば、別の動きとして現われるのが当然だろう。
{j}だから浄土宗などの他力門も、本来の仏教とはかなり違うような印象を受けるが、その存在意義は大きいと思う。】-以上〈原文493〉から

――h=何について言及しているのか分からない。しかし「釈尊が悟りを求めつつ多くの人を救おうとした」と言いたいのだったら、大きな間違いです。釈迦は人を救う悟りを得たからこそ行動に移ったのです。そして自分の弟子たちを60人悟らせた後で伝道宣言をした。悟りの無い者にどうして悟りを伝えられようか。自己を救えていない者にどうして他人を救えようか。

 釈迦は空論の人ではない。現実に己れの結果、答えを得てから他者へ手を伸ばした。イエスも言った。「盲人が盲人を導けるだろうか。二人とも穴に落ちないだろうか」と。
 仏教全体としては、でき得る限り万民の救いとなりたかったでしょう。それを言いたいのであれば、ごく当然のことであり、伝道活動は釈迦の時代から2500年間絶えることなく続いている。別に何ということでもない。

i=問題はここからです。「別の動き」とは〈大乗〉のことらしいが、ここには、教学化=救済力の下落という間違った思い込みがある。しかも以前の発言の主眼に反する。彼はかつてこう言っています。
 「理論的に欠けている部分があると、その他の流れから補填される」(▽96)。
 理論を補填するということは教学化が進むということです。これは転生がテーマだった時の言葉ですが、ともかく彼は理論を重視して、伝統仏教には欠けている部分があると中傷していたのです。それが今度は一転して教学化すると救済力が落ちるように言い出す。その時々によって言うことがすぐにひっくり返る。

 教学化することと救済力の低下は別の問題です〔大乗が理論を重視し、つまり教学化した後に教勢が衰退したのは事実だが〕。KKにしても一所懸命教学化を進めてきたのに、その信者がいったい何を言っているのか? 大川KKは教学化したから救済力が落ちたと認めるとでもいうのか?(だから彼の言う別の動きとして我々アンチKKが真実を復興しているのか?)

 釈迦直系の〈部派仏教〉でも理論化(教学化)が進んだ時代があったのは、尊師の教理を深く理解し救いの道を確立しようと模索したからでしょう。だからこそ教義として定まる面もあり、大乗教学というのもこれをまねして始まったのです。それに、部派仏教では理論の研究ばかりしていたのではなく、一般の僧は自らの修行に励みつつ、常に市井へ出て民衆と会い、在家信者は精舎(寺)に詣でて教えを受けていた。
 こうして仏教的救いの道は確実に伝えられていたのです。理論を研究するだけの学僧はごく一部にすぎません。自称大乗側が、理論研究が進んでいた部派系でも大きな勢力〈説一切有部〉に対して小乗という蔑称をつけて貶めた(ある意味、嫉妬とも受け取れる)。それがために、中国経由の北方仏教では本当の姿が見えなくなってしまったのです。

 [100式]氏はこういう基本を知ろうともせず、仏教の批判をし続けているだけ。これでは仏教の本当の姿がますますゆがめられていくだけです(私はいちいち仏教への冒涜だという気は無かったのですが、KK盲信者は己れがしている反仏行為を棚に上げて我々を冒涜者呼ばわりする。そんな迷惑行為を野放しにしておくのは社会的害悪だと思うようになりました)。


■ アミダ教あるいは浄土教

 大川教祖は自身の霊能力によって過去が全て見えると大言壮語し、釈迦の説法が大乗経典として編纂されたと教えていた。それがウソだという説明を私はしてきたのですが、そうなると言い逃れができなくなった信者氏が、今度は論点そらしに躍起になり始めたようにしか思えません。大乗経典にも真理があるだの、浄土宗がどうだのと、私が指摘している大川教祖の嘘八百とは関係の無いことである。
 しかし彼の目くらましにも、ここでいくらか答えておこうと思います。

j=浄土宗系は「本来の仏教とはかなり違うような印象」どころか、本当は仏教ではありません(釈迦説に基づく正統仏教から見れば)。〈阿弥陀教〉あるいは〈浄土教〉なのです。
 私は大乗が釈迦仏教ではないことを何度も主張してきましたが、だからといって、他宗を無闇に邪教呼ばわりするKKのような真似はしていない。キリスト教やイスラム教を信じようが、阿弥陀教を信じようが人の自由です。その存在意義が無いとは言わない。
 しかし浄土門は釈迦の教えではないということ、釈迦の教えを否定しているということは知っておいて欲しいものです。その存在意義を大きいと思おうが小さいと思おうがかまいません。私も浄土真宗の檀家の子であり、念仏唱えてやすらぎを得る心優しいお年寄りが愛しくなることもある。それは間違っているとは言えません。しかし宗教論議をするのであれば、真実と虚妄を一緒くたにしてはならないのです。

 さてKK信者氏は「浄土宗等の存在意義は大きい」と言うが、その「意義」とはいったい何を基準としているのか?
 ここでは日本の話をしますが、浄土教(阿弥陀教)系には、ベースとして浄土宗と浄土真宗があり、念仏行を実践します。「南無阿弥陀仏」と仏の名を唱えれば、死後極楽へ行って幸せに暮らせると説かれるのです。親鸞さんなどは、誰でもそれのみで救われると説いたが、釈迦の教えに反する思想です。このような呪文を唱えれば天国へ行けるというような宗教を信じ、それで救われた気になるので良ければそれも自由。私は判断を控えますが、釈迦はその道をきっぱり否定していた。

 日々精進して心を清め続けねば善果は無いと言った釈迦を信ずるか、それに反して、一度でも(死ぬ寸前でも)念仏すればどんな極悪三昧の悪人でも極楽往生すると言った親鸞さん、あるいはその師・法然さんを信ずるかということです。

 欲望(煩悩)を制御できなかった親鸞さんは釈迦の教え(仏教)を実践できず、架空の存在であるとも知らず、異教の阿弥陀仏にすがってしまった。しかも一度でも念仏すればどんな悪人でも極楽往生できると、大乗経典にすら書かれていないことまで付け加えた。こうして誰でも救われるという一向宗・親鸞教(浄土真宗)が成立しました。かくのごとく安易なる救いを説くがゆえに、信者数も増えたのです。
 もちろん宗門は善行をすすめるのですが、信仰としてこんなに楽な宗教はないです。殺人・強盗を犯しても死ぬ前に念仏すれば極楽へ行けるからと反省心の無い門徒も現れ、戦国時代には大騒ぎした。組織的武力をもって一国を乗っ取り百年もの間、宗教国家(藩)を維持したし戦争も続けた。現代で言えばまさにテロ宗教と言われるような過去を持っています(もちろん現在は平和な宗教になっていますが)。

 そのような宗教の存在意義が大きいと思うのなら、釈迦如来の存在意義はほとんど無いと思います。在家の五戒はおろか、何の努力も必要ない。釈迦が説いた法はムダであった。釈迦の存在意義は、アミダ仏の宣伝マンとして有能であったというだけになる〔実際には、阿弥陀教が釈迦の名声を利用して自分たちを宣伝したわけだが〕。

 親鸞さんの教えでは、一生に一度南無阿弥陀仏と言えばそれで極楽間違いなし。それどころか、すでに救われているからこそ念仏が唱えられると極論を述べている。いや、日頃の行いも大事なのだと反論もあるでしょう。しかし私は教えの土台を問題としているのです。確かに浄土教(阿弥陀教)系も仏教を模倣しているのだから、正しく暮らすようにと釈迦の教えを利用してはいる。しかし根本的に阿弥陀仏への「信仰」によって極楽往生するという教えであり、救いに日々の「行為」は関与しない。だからどんな悪行を為しても極楽往生できると説かれている訳です。

 このような教えは仏教ではなく反仏教であり、ヒンズー教の一形態です。以前私は掲示板に「大乗ってヒンズー教みたいなもんなんだけどなー」と独り言を書いていますが、アミダ神をアミダ仏と言い変えたら仏教になる。
 ちなみに、浄土系の経典によれば、女性は極楽に行けないのです。それを信者諸氏はご存知なのでしょうか? 昔の極楽絵図にも教えが反映されている。そこに描かれているのは男ばかりです。もっとも、男性として生まれ変われば極楽へ行けるというのだが、これは女性差別以外の何ものでもない。

 話は少し変わりますが、大川氏は独身時代に大悟したと言っているのに、その後結婚しました。これは仏道修行者としては最悪級の破戒行為であり、有無も無く僧団追放処分となる大罪業なのです。釈迦牟尼は性欲・性交を大きなけがれとし、蛇の口に男根を入れようとも、女性の陰部に入れてはならないとまで言っている。当然妻とも縁を切ったままで一生を終えた。だから女性好きな親鸞さんは苦しんだし、お堂にこもって、菩薩が性交の相手になってくれるという願望夢まで見てしまった。どうしても女性がいなければ耐えられず、妻帯し子供までつくった。

 見習僧でも異性との接触を断つのです。それを自称ブッダが女性と関係を持つとは、釈迦仏教的には魔境に落ちているということ。妻帯しさらに子供をつくるという、その性欲を捨て去れていないということが、すなわち悟りが無いということなのです。八正道を完成するということは、この性欲を葬り去ることを含んでいる。
 KKでは歪曲した八正道しか教えてこなかったし、それも四正道という道徳説に変更してしまった。だからKKには道徳論はあるが、「仏教的な悟りの道」はありません。


■ 同じ大乗系なのに?

 大川氏は日蓮教系について「南無妙法蓮華経とお題目を唱えれば救われるなどと、釈迦は言っていない」と糾弾し、邪教だと罵っています。念仏を唱えるのも題目を唱えるのも本質的には同じ事です。それなのに信者[100式]氏は浄土教系の方は存在意義が大きいと言う。おかしくはないでしょうか? 結局は巨大教団『創価学会』へのねたみから攻撃していただけに見えます。

 KKに迫害されている創価学会も大乗の信徒衆であり、古い日本仏教の低迷の中から立ち上がった仏教系教団です。[100式]氏の言葉を借りれば、旧仏教の救済力が落ちたのだから、別の動きとして現れたのは当然だということになるわけです。創価学会から言わせれば、世界に進出するまで巨大化したのは、まさに釈迦牟尼のご加護を受けたからだということでしょう。
 私は創価学会を擁護はしません(根本からして釈迦仏教に反しますし)。ただ、KK信者氏が自己中心的な見方しかできないために、そんなものは何とでも理屈をつけられるものだと違った視点を示しているだけです。

 このように誰だって自分の都合の良い見方ができる。しかし物事を判断するのに最も大切なのは、個人の嗜好的な視点や勝手な解釈ではなく、事実関係のはずです。[100式]氏のように何の根拠もなく空想だけでものを言ってもムダなことです。


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対話39 何でも霊界の指導と考える信者

2010/02/22 23:15  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その39 初出 2006/2/3

■ 間違いは人のせい?

 前回から引き続き、当方に対するKK信者氏の意見に答えます。

▽[100式]
【…{d}理由は前にも述べたが、人間ならではのミスもあるだろうということ。
{e}もう一つ、これは憶測だが、指導霊の霊示自体に誤りがあった可能性がある。おそらく高橋氏。ただし個人的な憶測。】

――d=何の「理由」なのか、この文面では意味が分からない。前回の c節から推測すると、大川教祖が数々の間違いをおかした理由だということでしょうか? だったら自称如来の教祖よりも、我々凡人たちの方が人間として優れているということです。大川教祖の非常に数多いミス(ウソ)を見抜くことができるし、そんな馬鹿げた間違いはおかしていないからです。KK流な言い方をすれば、大川教祖よりも私たちアンチの方が高レベルな啓示を受けているからこそ、正しい情報を提示できたと言えるわけです。

 KKには巨大な守護霊団がついているというが、だったら執筆中にその多数の高級霊たちから必ず訂正されるはずであり、最初から間違った本を出すはずがない。それを出したという現実が、まともな守護霊など存在しないということを証明している。
 いちいちこんな事を考えるまでもなく、大川氏が言っている事の多くは昔から先人の本に書かれているのであり、それを読めばいくらでも利用できるというだけです。本が読めれば子供でも分かる。ところがそんなことですら失敗をしたのが大川教祖だというのです。

 上記の信者氏の弁解は、本紙▽76・79で取り上げている〈六波羅蜜〉へのレスでした〔編集の都合で分割していますが彼の発言▽80等の続き〕。
 釈迦の死亡後4~5世紀たって作られた教義・六波羅蜜を、大川氏は「釈迦が説いた」と言い、かつこれこそが「如来になる修行法」だと言っている。それはウソだと説明すると、[100式]氏が言い逃れをしたものです。そこに彼は以下のような蛇足的「憶測」を付け加えていました。

{e}=大川氏の歴史的・仏教的認識が大きく間違っていたのは、氏を指導していた高橋信次氏の霊示(霊からの教え)に誤りがあった可能性があると信者は言っている。都合が悪いところは人のせいにする訳です。
 おそらくどうとか憶測を言うのは結構だが、大人ならきちんとその根拠(理由)を上げるべきである。これだからKK信者は言い逃れしているだけだと言われるのです。大川氏本人が、「過去がすべて見える」と公言して本を書いているという事をお忘れなく。

 信者がなぜこんな根拠の無い言い逃れをしたかというと、大川氏による「イエスが大日経を学んだ」というウソにも関連しているのではないかと思います(▽84)。その件で私が、高橋氏が実在しなかった大日如来について書いている事に触れた。その間違いを利用しようと思ったのではないか?
 そうであるならば言っておきますが、高橋氏は大日という呼称は使っているが、「密教は仏教ではない」と言っていた人なのです(密教は仏の名を語るバラモン教と言えます)。だから大川氏のように密教経典を釈迦が説いたなどとは思っていない。その点の認識は正しかった。またGLAでは八正道を釈迦の最高の修行としていたのであり、大川氏のような〈六波羅蜜〉を上位に置くような大間違いはしていない。

 KKは何か都合の悪いことが出てくると、すぐに「人のせい」にして責任逃れをする特質がある。信者もやはり似たり寄ったりです。
 私も霊示自体が誤りだと思いますが、それは、すべての霊示とやらが大川氏の捏造、あるいは妄想に過ぎないということです。彼にはそんな能力は無い。高橋氏の霊も何一つ関わっていないということ。

 大川氏は様々な霊界通信本(霊言集)を出していますが、それは高級霊界人の話を紹介してあの世の多様性を示しただけだという事でした。そして宇宙や地球の歴史、法・教義等についてはすべて誰の指導によるものでもなく、大川氏個人の悟りによるものだと主張しているのです。

 だから『太陽の法』まえがき(初版)でも彼はこう言っています。
 《本書は…霊天上界、九次元世界にある私の潜在意識から啓示を受けつつ、これを文字として、また私自身の思想としてあらわしたものなのです。》
『黄金の法』まえがき(初版)でもこう言っています。
 《霊天上界九次元世界にある、私の潜在意識部分からのインスピレーションを受けつつ、この難解な内容を…書き上げた》

 このように、大川氏は9次元にある自分の霊的意識、すなわち釈迦(あるいはエル・カンターレ等)から啓示を受けて書いたと言ってきた。だから、高橋霊の指導が間違っていたとする推測こそがとんでもない間違い。自称9次元大如来たる大川氏が、なぜ自分より低レベルの霊から教わるであろうか? そんな必要はない。それが彼のプライド〔欺瞞だらけだが〕なのです。
 KK活動初期の講義でもすでに、「高橋氏は部分的にしか悟っていないので、それ以上のものを説く」というような宣言をしています。高橋氏の本を利用しておきながら、自分の方が上だと偉ぶっていただけ。そんな自画自賛をして悪趣味に見えるだけです。

 後に大川氏が高橋・GLAを小乗・邪教だと誹謗し始めた理由の一つに、仏教教義の件もありました。生前の高橋氏は一般的な仏教(大乗)教義を説かず、釈迦直説の八正道こそが悟りへの道だとこだわっていた。大川氏のように六波羅蜜を如来になる修行だとか釈迦の教えだという間違った発想はなかった。
 だからその点については、大川氏よりも高橋氏の方が、まだましな仏教知識を持っていた。高橋氏は、小難しい仏教理論は後世の僧侶たちが哲学にしてしまったものだと言い、現実的には無益だと見なしていました。それをもって「高橋は小乗だ」と大川氏が罵った一面もあるのです。

 こうして高橋氏が大乗教義をほとんど評価していなかったのに対して、大川氏は大乗優先となった。全く方法論が違う。これでどちらが釈迦の本心に近いかというならば、当然、大乗教の間違いを見抜いていた高橋氏の方に分がある(その知識は正しいということであり、氏が正しいということではない)。
 自称釈迦の再誕たる大川氏が、その釈迦の教えすらまともに知らなかった。その事実が全てを物語っています。それで9次元世界の意識から啓示を受けているなどとよく言えるもの。我々凡人の方がまだまともです。


■ KK信者の勘違い

▽[100式]〔マルタへの意見〕
【…{f}霊界からの指導に関して根本的な勘違いをしている。操り人形のように地上の人間を動かすのではなく、通常はインスピレーションという形で霊示を送る。
{g}つまり大乗経典にも重大な真理が含まれているということ。】

――f=信者[100式]氏の根本的な勘違いは、事実に反した空想しか語らないという点です。
 まず、私は彼が言っているような「霊界からの指導は操り人形のように人を動かす」などとは思っていない。そこからして彼は勘違いをしている。それに、操り人形ではないからこそ、いちいち霊界から指導されなくても、人間として、自分の脳で物事を考えられるのです。そういうことを信者氏は考えず、何でも霊界霊界と言い張り続けるわけです。

 また「通常はインスピレーションというかたちで霊示を送る」などと言っていますが、頭痛が痛いと言っているようなものです。「霊示」とは霊感・啓示のことであり、それを英語ではインスピレーションと言うのです。つまり彼は「通常はインスピレーションというかたちでインスピレーションを送る」と、同じことを言っているだけです。

 さらに、大川氏が言う霊示とは、この信者の言い訳とは全く別次元の話です。如来の霊示とは凡人の霊感とは大きく違い、霊の具体的な言葉を直接聞くことが可能だとするのです。霊界の如来たちとダイレクトに会話ができると。だからこそ、大川氏の本のような間違いをするのは矛盾だというのです。

g=fの主旨を前提としたところで、それが大乗経典の正しさとはイコールしない。どうして彼はこんなに短絡的なのか。それ以前に、元々大川氏のウソ、「釈迦が大乗経典を説いた」という話をしているのです。その問題をはぐらかして、大乗経典にも真理が含まれているとすり替えたところで、大川教祖のウソは隠せない。

 仏教とは本来は「釈迦の教え」の事です。そして大乗経典はその釈迦の教えを利用しながらも別の道を説いたもの。それでも「重大な真理」が含まれると思うのは勝手だが、釈迦からすれば人の道を外れた宗教詐欺でしょう〔ただし私は、大乗経典にも良いところはあると言っている=▽93。釈迦に事寄せるのが詐欺だというのです〕。
 霊示がどうとか真理がどうとか言い出したら、大乗仏教だけではなくどんな宗教だって同じ事であり、ピンからキリまで真理が含まれている。彼のように空想しか言わないようでは議論になりません。


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対話38 教祖をかばうためのウソ

2010/02/21 14:48  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その38 初出 2006/1/31

■ KKと信者の冒涜行為

前回の文面は、KK(幸福の科学)会員[100式]氏の批判に応えようと書き出したものでした。その後も何度か書き込もうとしたのですが、サイトのシステムに不具合があったのか、利用不可能になりました。半月程してまたアクセスしてみると、すべてのスレッドが終了し、新たなスレ立てが始まっていました。その時点で私は携帯電話を解約したので、後のことは分かりません。これで対話は終わりです。あとは反KK同志の活躍を期待しています。
 投稿しようと思っていた分が残っていますので、繰り返しになる部分もありますが当方への批判〈原文493〉をあらためて取り上げ、意見を述べてみます。

▽[100式]
【 >▽79〈原文488〉へ  
{a}…KKの信者に対して、先生をペテン師呼ばわりするということは、これは冒涜だと理解すべし。
{b}最初からそういう態度なので、説得は不可能だと思う。もしリアルで会員相手にこういうことをしているのなら、考え方を改めた方が良いと思う。…】

――aについては前回取り上げています。ウソだとは言っているが、ペテン師呼ばわりなどしていない。当方では大川教祖の虚言を指摘していただけ。それをペテン師呼ばわりだと居直るのは逆切れにすぎず、盗人猛々しいというもの。

 私は掲示板でも何度か言ってきました。釈迦の法とは転生を止めることであり、尊師もその弟子たちも皆大悟して、もう転生しないと悟ったと。KKのように仏陀が転生すると言うならば、それは釈迦や高弟たちの悟りがイカサマだったことになると(▽69)。
 つまりKK・[100式]氏は仏教聖者をペテン師扱いしているのであり、仏教を冒涜しているということです。それでも私は掲示板上ではそういう言葉を口に出さず、忍耐を続けていたのです。物事を知らないうちは仕方ないですから。

 ところが彼は大川教祖の矛盾を突かれることに段々とイラついてきたらしく、仏教側に対して根拠の無い見当外れな批判を繰り返した。それこそ仏教に対する冒涜であり、侮辱です。
 もし当方が提示する情報が間違っていれば、根拠を示して訂正されればありがたく頂戴します。しかし[100式]氏はすべて根拠のない空想論を言って恥の上塗りをしているだけです。それが分かっていない。

 次にb、私が誰を説得すると言うのでしょうか? [100式]氏を? 彼は10年くらいの信仰歴がある人らしいが、これだけ物事を理解しようしない人が掲示板上で「私が間違っていました」などと認める訳があるまい。妄信者というものは、教祖がどんな過ちを犯していても面子を保つための言い逃れに執して間違った努力を続けるだけのことですから。その悪あがきする様を、読者の誰かに分かってもらえれば良いのです。いちいち細かい反論をする時間はなかったものの、ある程度の人は分かっていると思います。

 私が投稿していたのは『幸福の科学』の被害者側・反KK側の掲示板です。そこにKK信者側が紛れ込んで妨害行為をしていたので、それを機会に知っている事実を伝えようとしてきたもの。したがって基本的には、反KK同志への情報提供です。勘違い信者の[100式]氏が言うような、KK会員を説得しようというものではない〔ただし分かってくれる信者さんが出ることを期待はしていた〕。

 前にも触れていますが、[100式]氏は最初から意見の違う者を悪者扱いして、KK被害者のスレに侵入して妨害活動をしてきた。それこそ、「最初からそういう態度なので、KKの宣伝は不可能だと思う。もしリアルに被害者・アンチ側相手にこういう事をしているのなら考え方を改めるべき」である。

 また、ペテン師呼ばわりされたからKK信者の説得は不可能だと言うが、では、おだてられたら説得に応じるとでも言うのだろうか? 真理・真実を見極めるのに、そんな自分中心の感情で物事を判断するところから間違っている。


■ 隠蔽を訂正だと誤魔化す信者

▽[100式]
【{c}初期の経典の誤りはすでに訂正されている。これは先生が誤りを認められたということ。今頃これを持ち出して批判するのも悪趣味だと思う。…】〔註:KKでは大川氏の著書を「経典」と呼ぶ〕

――以上、『黄金の法』のウソを指摘した私への逆切れでした。ここで信者氏は、「先生が誤りを認められた」という殊勝気なウソをついて誤魔化しています。
 大川教祖が「ここが間違っていました。申し訳ありません」と本当に誤りだと認めているのなら、その典拠を示すことである。我々はその欠陥商品(本)を真理だという名目に引かれて買った被害者なのだが、何も説明を受けていない。弁償もしてもらっていない。

 信者[100式]氏はいつも根拠の無い言い逃れをしたり、ウソをついてきました。この件もそうで、大川教祖は誤りを認めていません。ただウソや間違いがばれると本から削除し、隠蔽しているだけです。そして「さらに悟りが深まった」と開き直っているのです。それこそ悪趣味というものだし、それ以上に悪質です。

 それに、すでに訂正された過ちを持ち出すのは悪趣味だと思うのなら、訂正している証拠を提示するのが先である。それからものを言えということ。私はそんな事実を知らない。知りもしない者に悪趣味と言う方が悪趣味である。どこまでも自己中心的だと思う。
 
 たとえば警察が詐欺容疑者を調査し、これまで犯した罪・容疑を並べてみせる。それに対して、その詐欺は済んだこと、今更これを持ち出して批判するのは悪趣味だ-と言って通るとでも思うのか? 今まで犯してきたことを洗い出し、その罪と人間性を問うことが大切なのです。ウソを隠蔽して居直るのは宗教として悪質な証拠です。
 
 たとえウソではなく間違いだったとしても、「真理」と言っていたことがコロリと覆ったのだから、深い反省の辞を表するべきである。KKが本当に真理の団体であるのなら、間違った情報を垂れ流し、欠陥品を出したことについて、一般企業のように謝罪と訂正の報告でもしたらどうなのか。事は多くの人の「人生を左右する」宗教なのです。一般企業のしている事すらできないようでは、KKは悪徳業者だと判断されても文句は言えません。反省の姿勢が全く見えない。


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対話37 批判を受けぬ宗教はない

2010/02/19 12:31  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その37 初出 2006/1/22

■ 批判は恨みから?

 掲示板でKK信者[100式]氏が私を批判していましたので、それについて感想として書き始めたのが以下の文面です。このあたりではもう対話をやめ、最後にモノローグをしたためて終わりにしようと思っていたものです。前回の一文もそうでした。

▽105[マルタ]
【…当方の▽84〈原文473〉へのレスとして、「どうしてそんなに熱心にあら捜しをするのでしょうか?何か個人的な恨みでもあるとか…」{原文476:100式}とあった。
 まじめに意見を述べている個人に対して、ことさらにあら捜しとか恨みなどという言葉を使って中傷するのは無礼ではないか。レベルはどうあれ、自分なりの小さな「正義感」で{大川・KKの}ウソを指摘し、正しい歴史的真実を提示した。
 当方を悪者に仕立て上げたいのか。宗教というのは正直者がバカを見る世界なのか? {信者[100式]氏のように}問題をはぐらかしたり、{我々アンチのように}真剣に考えている者を侮蔑しているようでは発展がない。

 これまで自分は、100式氏のような中傷でKK会員を個人攻撃したことはなかった。今までも、時々当方を見下げたり、あざけるような彼の話法を目にしてきたが、私はそれを甘受して礼儀をつくしてきたつもりだ。彼の稚拙な対応に同調したくはないし、常識的な対話を期待していたからである。……彼の{人をなめた}態度はともあれ、一人の人間としては信頼し、誠意を尽くした結果がこれなのか…。
 こういう中傷をされるようでは、直接的にはお相手をする気になれなくなってしまった。……どだい、歴史的事実や科学的現実を、{根拠の無い}空想論によって否定されるのだから、まともな議論は成り立たないのだが。

 あら捜しだの恨みだのという言い方をするのであれば、大川氏やKK本部も熱心に他宗のあら捜しをしているという事だ。そのための本や雑誌まで何冊も出して非難しているのだから、ずいぶんご執心なものだと思う。それは彼らの恨みからなのだろうか?
 また100式氏も当方の意見のあら捜しを熱心にしている。それは大川氏のウソをあばく私への個人的な恨みなのだろうか? そんな言い方をされたらどんな気持になるだろうか…(彼のこの言葉に合わせて、当方も先日の投稿で大川氏の逆恨みという表現をしてみた)。{*註1}

 批判とは真実の追究であり、どんな立場にとっても、必要不可欠なことだろう。批判を経ない宗教なんてものは無い。学歴の無い自分が言うのも何だが、一般学問だって批判無しには育たない。〈原文558〉】

*註1 私は大川KKのウソを指摘して真実を提示しようとして来ただけです。それに対する信者氏の幼稚な言い逃れはもう聞き飽きてしまいました。総合的に見ていただければ分かると思いますが、私は一貫して丁寧に説明をするよう心がけてきました。それをあら捜しとか恨みとしか受け取れない信者をどう思われるでしょうか。
 あるいは真実を暴かれると困る信者たちが嫌がらせをしているだけかもしれない。[100式]氏の発言の多くは何も根拠が無い大川氏の話を真に受けているだけ、そうでなければヤジを飛ばすだけで、反論になっていない。しかもそれすらできなくなると相手が悪いかのような捨てゼリフをして逃げるのです。

 上に「大川氏の逆恨み」と書いたのは、本書第44信▽103のこと。当初私はそこまで言うつもりは無かったのだが、このように信者たちの横着な態度が反感を呼び、そのまま彼らの教祖・教団の悪評価へとつながるのです。
 KKは雑誌の記事が教祖を冒涜しているとか何とか激怒して、講談社関連への一斉攻撃をしかけました。ところがその一方で大川教祖自身が講談社を含め他の様々な教団を悪口雑言によって誹謗・冒涜した。これをKK信者は、「邪教だから非難した」の一言で済ますつもりなのか? だったらKKを邪教だと思う者に非難されることを当然だと受け入れるが良い。KKはあまりにも度の外れた自己中心主義なのです。

 大川氏はキリスト教の教えを利用して言っています。「悪い木には悪い実がなる」と。悪い実、つまり悪い信者(ここでは底意地の悪いという程度にみなす)がいるということは、その木(教祖)自体が悪いということです。本性を隠していればそうとばかりも言えませんが、ありがちなことだと思います。教祖が反撃しろと命令するから教団・信者がそれを実行する。教祖が人の悪口ばかり言うから信者も真似する。人に対しては悪口雑言するなと批判する一方で。

 大川KKが誹謗されたとして講談社を一斉攻撃したのとは全く逆で、KKから冒涜された他の教団は、あのようなえげつない抗議活動はしなかった。つまりすぐに逆上する幼稚なKKとは違って、相対的には大人の対応をしたのです。

 また大川教祖と同じく、本当にけがらわしい言葉によって人を侮辱したり言論妨害活動を続けているKK信者が非常に目立つ。こんなヤカラがはびこる教団とは「魔教」か?と思ってしまう。この手の「宗教ヤカラ」を昔は「宗教ヤクザ」と呼んだものだが、ネットで空威張りしている程度ではチンピラ信者に過ぎない。問題は大元です。だから私は一部の信者の言動だけでその教団を評価はしません。見ての通り、教祖の欺瞞を指摘してきただけであり、掲示板でKK信者を批判したことはなかった。ただ掲示板では信者[100式]氏が執拗に横着な対応をすることに嫌気がさして、では君たちがしている事は何だ!? と反感を覚えたのです。

 それはともかく、大川KKが谷口雅春・生長の家を侮辱したことも逆恨み以外のなにものでもなかった。自分がいったん如来と認めたものを、なぜわざわざ教義書でけなすのか。やっていることが見え見えではないですか。それこそ大川氏の嫉妬でしょう。

 大川教祖は、20世紀中に全日本人を信者にすると宣言しておきながらほとんど信者数が増えずに終わった。だから他教団への逆恨みもひどくなったであろうと思います。特に彼が悪魔だと罵倒した創価学会の池田名誉会長は、世界各国で重要人物として特別待遇を受けているし、世界の数多くの大学から名誉博士の称号も受けている。〈ISG〉としての海外布教も相当なものである。
 ところが大川教祖は宇宙の創造神とか釈迦の生まれ変わりを気取ったために、世界では怪しいカルト教祖扱いされてしまい、相手にされない。そこで大川KKは、強欲に虚栄を張る仏敵・池田めがと逆恨みしている訳です。
 GLAについても霊能信仰の邪教だとしつこく罵倒しているが、大川氏は自分に霊能力が無いために、高橋一家に対して嫉妬しているとも言える。その他様々な教団を愚弄しているものの、大川氏の攻撃性にはまさに阿修羅を感じたものです。



■ 居直った信者

▽106[マルタ]
【 >「KKの信者に対して先生をペテン師呼ばわりするということは、これは冒涜だと理解すべし」 〈原文493:100式氏〉
 -そう言いたい気持は分からないでもないが、だったら、まず己が為してきた他宗への冒涜を省みて欲しい。その自己中心性に気付いて欲しい{KKとその熱烈信者こそが率先して他宗教を冒涜して来たのである}。しかしまぁ、その前に問題がある。

 上記の発言は当方の〈原文488〉{▽79・90}への意見という事らしいが、改めて自分の書いたものを読み返してみても、大川氏を「ペテン師」呼ばわりはしていない。いったい何のつもりでこんな事{ウソ}を? …
 大川氏のいくつかの教義を指摘して、それを「ウソ」だとは言っている。実際その通りであり、それを知らせることを目的としているのだから当然であろう。会員諸氏には気の毒だが、教祖が間違った事をするから批判せざるを得ないのだ。

 ただ、そうではあっても、当方はできるだけ「ウソつき」とすら呼ばないように神経をつかってきた。{ウソだとか}知ったかぶりだとは言っているけれどもね。しかしそれを100式氏はペテン師呼ばわりだと言いたいのだろう。{再度言うが、私マルタはペテン師呼ばわりはしていない。言いがかりである}
 ペテン師とは詐欺師のことであり、人をだまして金品を奪う者のこと。どこにでもいるウソつきとは全く違い、刑法がからんでくる。だから感情的には言いたくても、簡単に使えるような言葉ではないと思ってきた。教祖の虚偽を指摘されたからといって、当方が言いもしない事をなすり付けて居直る方が無礼だと思う。

 私がここで批判をしているのは、大川氏が自らは虚偽をちりばめた教義を立てておきながら、他宗の教義はめちゃくちゃだとか邪教だとか、悪魔憑き、阿修羅憑き、地獄に落ちる、精神に異常をきたしている-などと激しく罵倒(迫害か?)してきた事による因果応報である。
 彼からこんなにもひどい事を言われ冒涜された信者や評論者側が、一体どれだけ傷付いただろうか。誹謗もここまでくると{相当悪質な}人権侵害である。

 大川氏は天につばを吐いた。だからこそまた批判が降りかかるのだ。こんなデリカシーの無い人物が{偽善的に}愛を語り、宗教家を気取っている様子は尋常ではない。それでも当方は{これまでの投稿ではできる限り自重して}、ウソだとかパクッタ程度の弱い表現でしか詰め寄っていなかったのである。 …

 どのような立場でも、教義を論理的に批判・検証するのは重要である。しかし{大川・}KK本部は手ひどい誹謗によって他宗等に食いかかっておきながら、己が会員には被害者意識を持たせ、{KKが}傷付けた本当の被害者側の反論を、逆にブッダへの冒涜だと言って卑しめた。
 争いごとが嫌いで小心者の当方もわざわざ憎まれ口を叩くのはごめんだが、かと言って、そこまで侮辱されて黙っていれば、KKの虚偽・言いがかりを認めたも同然となるのではないか。

 大川氏は、地球人類を作った神は自分だと言い、また「我は、この地球の最高の権限を握りたるものである。我は、この地球の始めより終わりまで、全ての権限を有するものである。なぜならば、我は人間ではなく、法そのものであるからだ」と言う。こんな{魔王のような}演説をしている教祖には傲慢さしか感じず、虫唾が走るのは確かである。
そんな彼の誤りを糾そうとすることを、個人的な恨みだとすりかえたいのならそれも結構。大川氏の自業自得なのだから、慈悲深く見守ってもらいたい。〈〃559〉】 

――最後の「慈悲深く見守ってもらいたい」というのは皮肉です。KK大川は愛だの慈悲だのと言うが、それが口先だけだから卑劣な暴言でライバルを侮辱してきたのです。信者の大方は気の良い人だと思うから、その言行不一致に気付いてもらいたかった。

 大川氏は売りものである著書にウソを書き連ねている。これは、まぎれもない詐欺です。それでも私は詐欺師とかペテン師という表現はしなかった。これでも信者をなるべく傷付けまいという配慮をしてきたのです。しかし自分たちKK教団が嘘八百を並べ立てて真理だとほざいておきながら、そのウソを指摘されるとペテン師呼ばわりだと開き直る信者となると、もうまともな状態ではない。
 
 KK信者[100式]氏は何の根拠もない都合のよい言い逃ればかりして、数々のウソをつき、問題をすりかえたり誤魔化してきた。しかも自分が他宗を侮辱冒涜してきておきながら、都合が悪くなるとKK信者への冒涜だなどと自己中心的で卑怯な逃げを打った。
 このように、教義にどんなに矛盾があっても、妄想信者は自身に都合の良い言い訳をして、自分が傷つかないように守っているだけです。そこには真実の追究という宗教性はなく、いかにしたらもっともらしい理由が作れるかという、自己保身に徹しているだけ。宗教や科学から最も遠い状態と言えます。


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対話36 批判を嫉妬だとすりかえる信者

2010/02/18 23:44  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その36  初出 2006/1/23

■ 独り善がりな批判

 電子掲示板で文殊菩薩等について、KK(幸福の科学)大川教祖のウソを指摘していた時、その信者から当方への批判がありました。と言うか、幼稚なヤジとしか思えず相手をする暇もないので無視していました。それをここに引用して感想を述べておきます

▽104[ゴンザレス高山]
【{a}マルタちゃんのアホ!! 現行に伝わる仏典の正しいという根拠がないやろう。アホやわ。何を正しさの基準とするんや。
{b}GLAの高橋大先生が 釈迦の法をパクったんや。何でもそやけど、人類はすべて、摸倣の上に成り立っておるんや。
{c}あんたちゃんの文章に、見えるのは、Kに対しての相当な嫉妬や。素直に受け止めるんや。そういう心では、天国の門はくぐれんで。ゆうとくけど、いじめとるんやナイで。愛しておるんや。ほんま頼むで。
{d}Kの勉強全然足らんのや。もっと勉強せなあかん。毎日祈っとるで。築き上げてきたプライド捨てん限り、あんたちゃん、まずいで。自分中心が文章にもろ出とる。そういうの自我のかたまりいうんや。
謙虚にKの教えを学ぶんや。それがあんたちゃんの生きる道や。じゃあな!! 〈原文555〉】

――このほかに[高田]と名乗る信者であったか、私に「あんたちゃん天国に行けんで」とか言っていました。[本部]氏?はさらにあからさまに、地獄に落ちると言って脅していたようです(記憶が薄れており未確認)。
 私マルタは相当ひどい「アホ」だと自認していますが、その私よりもアホそうなこのKK信者さんも気の毒なことです。

 当方では大川氏の虚言について実際に根拠をあげ、「事実中心」に話を進めてきたつもりです。それが自分中心にしか見えないと言うのならば、[高山]氏も自分中心であるために己が宗教を正しく見れないのでは? ですから彼は何一つ具体的な反論ができず、ただ人を愚弄しているだけなのです。
 この信者氏の一人よがりな文章では、何について言及しているのかよく分からないが、推察しながら答えてみます。

 >a「現行に伝わる仏典の正しいという根拠がない」と、彼は私を批判している。「現行に伝わる」とは日本語として意味が理解できなかったのですが、その「仏典」とはいったい何を指しているのか? このヤジが飛んで来た当時、私は大乗経典と文殊をテーマにしていました。ですから彼が言う仏典が大乗経典のことならば、正しいどころか逆に「つくり話」だと私は言っているのです。そんな単純な事すら読み取れないのだろうか?

 逆に大川教祖は、仏滅後数百年も、あるいは1千年以上もたって創作された宗教文学(大乗経典)を釈迦本人が語ったとか、まだ出来てもいなかった仏典をイエスが学んだと言っている。そして「釈迦の教え」をないがしろにした大乗側の教義を重視しており、実在しなかった仏典上の文殊菩薩や善財童子を実在したと言っている。
 つまり、程度は知らぬが大乗仏典を釈迦時代のものだと、言うなれば正しいと認めていたわけです。だったら[高山]氏が私に意見するのはお門違いであり、己が教祖の無知ぶりをこそ批判するべきなのです。先生よ、「現行に伝わる仏典の正しいという根拠がない」よと。

 さて、かくのごとく我々凡人にでも分かる根本的な間違いやウソが多い大川教祖を如来と認め、正しいとする根拠は何か? その基準は何か? [高山]氏こそ自分の頭で考えて見ればよい。教団の教えを何でもかんでも盲目的に信じるから、真理・真実が見えない追従者と成り果てるのです。人をアホ呼ばわりする前に、自分の見識の無さを自覚するべきでしょう。

 もし彼が、以前テーマにしていた釈迦由来の『阿含経典』について批判したいのならば、私は創作も加わったと言っているし、中にはおかしなものもある、人間のすることに完全はない、仏教がどこまで正しいか分からない…などと書いてきた。このように、僧侶や学者たちの意見を学びつつ、自分なりに批判の目を持っていくつかの仏典に当たってきた訳です。だからこそ大乗仏典の間違いも指摘しているのだが、そんな単純な日本語すら読み取れない[高田]氏に何が分かるのか? それに、ど素人の私が言うまでもなく、経典の矛盾等については、昔から文献批判がなされており、何が正しいのか、世界の宗教学者たちが検証してきたと既に述べているのです。

 釈迦の根本教理は数点のわずかな経典で完結している理論であり、算数の公式のようなもの。この基本が分かれば良いことで、「何かが欠けている」などと[100式]氏のようにあら捜しをするまでもない事を述べてきた。八万四千の法門などと大げさに言われるが、仏教経典が多いというだけで、釈迦の法門は実際には一つではないのか。仏教的に言えば、釈迦の数多くの弟子たちはその僅かな法によって大悟し、これで転生が止まった、釈迦の教えは正しかったと伝えている。その当時の法がそのまま伝わっている。これが仏教側の根拠です。
 KK信者氏の「何を正しさの根拠とするのか」ということですが、大川氏も真理だと認めている縁起の法にもとづけば、それだけで阿含経典の教説が正しいという根拠になるのだが、それが分からないのでしょうか?
 
 それを信じないと言うのは別にかまわないが(私にも別の視点がある)、だったら釈迦の悟りはニセモノだったということになり、大川教祖が釈迦の大悟を説いていることそのものが大きな間違いという事になる。
 逆に釈迦は、KKで説くような様々な不可知論を愚かなことだと一蹴しています。掲示板のKK信者たちは、まともな仏教教義を知らずしてその仏教に言いがかりをつけているだけだから、己の矛盾に気付かないのです。

 釈迦牟尼は初転法輪(最初の説法)から続々と弟子たちを大悟に導きました。それに比べて、大川教祖は20年ほどもの宗教的活動をしているが、誰か一人でも大悟した弟子がいるのか? それを考えてみられよ。KKには誰一人悟った者はいないのです。単に教祖の受け売りをしているだけのこと。もしいくらかでも悟った者が出たとするならば、大川教祖の欺瞞に気付いて既に脱会していることでしょう。

 >b 模倣について一般論として言うのはけっこうだが、すべてが模倣ならば、人類としての進歩は何一つ無く原始人のままである。いつの時代も優れた人の「新しい発想」があったからこそ進歩があり、現代の文明社会がある。
 一般人が模倣しがちなのは当たり前であるが、俗にパクッタと言うのは窃盗やそれに類した行為を意味しているのであり、模倣とは意味が異なる。人のものなのに自分が考えたとウソをつくことが盗作、それを人は「パクリ」と言うのです。

 「GLAの高橋先生が釈迦の法をパクった」-と? 高橋信次の教義にある仏法と言えば〈八正道〉だが、彼は「これこそが釈迦の教えだ」と紹介していたのです。だから伝承とか模倣とは言えてもパクリではない。逆に大川氏はGLAや仏教等いくつもの宗教・神秘主義を利用しているくせに、参考文献等も全く挙げず、自分で悟ったかのごとく自画自賛していた。それがパクリだと私は言っているのです。
 また信者[高山]氏によれば、「人類はすべて摸倣の上に成り立っておる」とのことだが、そうであれば「大川教祖もすべて模倣の上で宗教をやっている」ということです。悟りなんぞ関係無く、先人を真似しただけのこと。それを信者が認めたとでもいうのか? 


■ 幸福の科学信者のプライド

 >c さて私が何を嫉妬していると言うのでしょう? 「嫉妬」とは、自分よりすぐれたものに対する妬みなどを言うのではないか? 私は、大川教祖が偽善的であり人の道を外れた低次元な人物だと思っています。ですから嫉妬のしようがなく、軽蔑しているだけです。
 特定の教団には属さない自分ですが、いくらか共感できる宗教といえば、今のところ釈迦の教え(法)に最も近いスタンスを保つ正統派テーラヴァーダ仏教です。この宗教は東南アジアを中心として世界におそらく2億人以上の信徒を擁する(資料を持たないのでラフな数値しか出せませんが、大乗教を含めた仏教徒が3億数千万人と言われているから)。
 それに対して『幸福の科学』はどれだけの信者を有していますか? 信徒数すら正直に出せない虚飾体質のローカル宗教ではありませんか。比ぶべきもない。そんな弱小教団に何を嫉妬するのでしょうか。

 たとえば詐欺師が金儲けをしているとする。正直言って、お金持ちはうらやましいとは思う。誰ぞがそれを「嫉妬」だと思うなら言わせておく。しかし私は人をだましてまで金儲けをしたいとは思わない。少しは良心があるからです。

 もし意味が分からないなら逆に問うてみましょう。KK信者は自分たちが今まで非難してきた〈麻原・オウム真理教〉を嫉妬しているのか? 〈福永・法の華〉を嫉妬しているのか? そんなことは決してあり得ないはず。それと同様に、私のKK教団に対する印象とは、上記2団体とさして変わりがないのです。KK信者[ゴンザレス高山]氏風に言うならば、私が大川批判をしているのは、信者諸氏に早く真実を知って欲しいという「愛」からである。…もっとも、私は彼のように人を侮辱した上で「愛してるんや」などと言う変質者的偽善体質ではないし、単純にイカサマ宗教が許せないだけなんですが。

 私の大川批判をなぜ[高山]氏が嫉妬だと感じるか。それは彼が「KKこそが唯一最高の宗教」という偏向的なプライドを持っているからです。その最高の宗教を最大級理解する人間だという自己中心的なプライドもある。己が教団がすぐれているから、それを批判する者は嫉妬しているのだ-としか見えない。「プライド」の本義は「高慢」です。[高山]氏のように偉ぶり、人を見下げるような事を言うのです。

>d こうして自分中心となったKK信者[高山]氏が生きる道は、井戸の底でまとい続けてきた自我のかたまりを解き、謙虚にKK以外の良質な知識を広く学ぶことです。そして己の狭い了見に気付くことです。

【追記 その後『2ちゃんねる』という掲示板を時々見ましたが、そこではアンチ(反幸福の科学)という人たちの暴言もいろいろ見て、ショックを受けました。一部の人たちなんでしょうが、匿名だからさっぱり分かりません。自分もいつだか書き込んだことがありますが、ちょっと意見が違うだけで、信者だ工作員だ、なりすましだとボロカスに言われてしまった。信者の人たちは掲示板にはあまりかかわらないようにしているようですね。何か情報があれば読む-くらいにしておかないと、つらい目にあうかもしれません。対話というのは難しいですね。】

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対話35 新参者の増上慢

2010/02/17 19:00  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その35 初出 2006/1/22

■ 肥大化していく虚像

▽101[マルタ]
 【…マンジュシュリー(文殊師利)を意訳すると妙吉祥となります。この人物に関する経典は幾つもあり(文殊師利般涅槃経など)、だからこそモデルが実在したのではないかと考える人がいます。もしそうだと仮定すると、時代推定の焦点は、文殊が初期大乗思想を立脚点にしているところにあります。その思想は釈迦滅後約400年の紀元前後まで現われていません。
 …経典の文殊は超人的存在へと変化している。いったんこのような英雄物語が作られると、伝記まで創作されるなど、陸続と詳細に神話化していくのが古代の常でした(福音書も同様だった)。密教でも金剛吉祥としてマンダラに祀り込みました{*註1}。

 地図にもある仏教寺の記号卍(マンジ)は文殊{マンジュ}と同じ意味です。インドでは古くからこの記号がめでたく(吉祥)力のある印とされ、仏教にも採用されたものです(西洋人からナチスの鍵十字かと驚かれる場合がありますが、ヒットラーが党あるいはドイツ繁栄のために用いたとも言われています)。マンジュシュリーとは、名前自体がそれだけ優れている事を表している訳です{*註2}。〈〃556〉】

*註1-つまり密教も先人の説を信じて取り入れているだけで、真実を知らなかったということです。
*註2-非常にまとまりの無い文章ですが、このように、効果のありそうなものや人物を利用する者がいくらでも出てくると言いたかったものです。
 卍(まんじ)を、インドではスワスティカといいます。あるミステリー系雑誌に、逆向きに描くと破壊のパワーが出るなどと書いてありましたが、何を知ったようなことをと、アホらしくなったことがあります。向きが違ってもシンボルの意味は同じだし、逆向きの卍はヒンズー教寺院のマークとして使われてきました。
 と言うか、逆向きというのは仏教側から言っているだけで、めでたいシンボルとして本来はどっちでもいいのです。「十字が旋回する形」という見方では、右旋回と左旋回という呼び方をします。先端が尾を引いていると見るわけです。

 釈迦の直弟子たちの名やエピソードは数多く伝えられていますが、その中に文殊は存在しません。後世に作られた架空の人物だからです。「菩薩」という呼称自体が、釈迦より何百年も後にできた説だと物語っています。

 KK大川教祖は文殊を女性としていますが、古代インドでは女性の立場がとても低かった。釈迦は女性修行者を受け入れた点では画期的でしたが、立場上では、やはり女性の地位をかなり低くしていた。男と同等に法を説くなどと言う事は断じて許されず、罰則も課されていました。古代インドの修行僧たちは、男も女も布をまとうだけで半裸に近い共同生活をしていたのです。その環境で、大川氏が言うような、女が男に化けることなど絶対にできません。
 そう言うと、いや可能性はあるなどと必ず言いがかりをつける人がいるはずですが、女性が男性を装おうこと自体が虚栄であり、妄語です。つまり「ウソ」つきという犯罪になるのです。元々文殊という人物は実在しなかったのですから、こういう議論も無駄ですが。

 掲示板への投稿当時は言葉を選んでいましたが、私が言っている「神話化」というのは、ありていに言えば「作り話」だということです。文殊が「空」(クウ)の教えを証明するために、釈迦を殺そうとしたという経典まで作られていました。釈迦滅後4~5百年たって作られた大乗の教義「空観」を本物らしく見せるためにです。
 大川教祖の本にも空についてもっともらしく説明した部分がありましたが、この教義では「一切が空であるがゆえに、輪廻も因果応報も無い」と説くのです。こういう教えを大川教祖は邪教と言っているのに、彼は仏教の上っ面しか知らず、そこに気付いていなかった。

 
▽102[マルタ]
【{原文中の訂正} ※ログ▽100に、GLAの高橋氏が「釈迦の時代に、後の部派仏教系とは別の道を進んだのが普賢だと言っていました」と記しています。これは当方のミスで、普賢が大乗の祖だと言ったような流れの文章にしてしまいました。
 高橋氏の言は、本来仏教に大乗も小乗もないが、「小乗のはしりは普賢である」という事でした。不正確さをお詫びします。しかしこれは歴史的史実としては認められません。今に言う普賢とは、やはり大乗仏典の産物ですし、別に小乗という訳でもありません。〈原文557〉】

―― 高橋信次氏が普賢を小乗のはしりと言っていたので、大川氏は逆に大乗の祖として文殊を立てたのだろうという事です。高橋氏によると、本来仏教に大乗も小乗も無い。そんな区分けをしていること自体が、仏教の本義を知らないという事だと彼は分かっていました。彼の説には誤りも多かったが、本来の仏教については、大川氏よりは心得ていたのです。


■ 外道化した仏教系教派

▽103[マルタ]
【…{大川氏の『太陽の法』}新版には「天台智顗は釈迦時代、文殊の弟子で華厳経の善財童子のモデルとなった人」と{新しく}書き加えてあります。しかし前述のように華厳経は紀元後に大乗が創作したお話でしかありませんから、これもウソです。
 この経典では、十方(四方四緯と上下)の無数の世界にそれぞれ仏陀が存在すると説き、文殊菩薩とは、インドの東方にいる、釈迦とは別の仏陀のもとから来訪した客です。釈迦の弟子ではありませんでした(経典上で)。
 善財童子はこの文殊の勧めで南インドへ下り、様々な人を訪ねて師事、修行する。そして最後に普賢菩薩に賜った修行によって、究極の悟りを得たという。もちろん単なる物語です。

 普賢は偉大なる菩薩修行の象徴であり、強靭な意思と実行力を表しているものです。
善財童子が教えを学んだ相手には娼婦もおり、その女性を抱いてキスをする必要があるなど、外道の教えが入っています。
 釈迦は、修行者が異性に触れることすら禁じていました{*註1}。まぁ救助作業は別だと思うけれど、戒律上はそうなっています。

 この善財童子の性的修行が、後の密教左道派の性力信仰にもつながるのです。華厳経で説くビルシャナ仏を、後の密教では大日如来=大ビルシャナ仏に進展させた。
 これを大川氏のように、霊界の最高の秘儀が明かされたかのように思っている人がいますが、単に神話化が進んだというだけの事です。そして、その大日信仰の一派か複数の派閥か不明だが、密教には、ヒンズー教シヴァ神の性力信仰を取り入れたらしい教団があった。

 日本の密教僧・{真言宗}空海師は、{天台宗}最澄師への経典開示を承諾していたが『理趣経』{理趣経疏}はどうしても貸そうとしなかった。実はこれが密教の真髄だと言う者もいるのだが、内容としては、釈迦とは全く逆に煩悩を肯定しようというものであり、しかも性欲の力を修行に使うという、仏教としては、とんでもない外道的教説が含まれているからでしょう{*註2}。

 大日如来の密教は大乗を超えるから金剛乗だと言われました。大乗の台頭と同じく、あとから出てきた新興教団が既存宗教を利用しながらもその先輩を見下し、{釈迦が説きもしなかったウソの教説をでっち上げて}自分たちの方が優れていると自称する傲慢さは、昔から現代まで、全く変わりがありません。それが自称大乗・金剛乗の実態なのです。

 KKもGLAの教義をとことん利用し、その恩人を、でっち上げた負の情報によって小乗の仙人集団・邪教だと罵倒し、自らは歪曲した仏教教義を元に大乗を標榜した。当方はGLAの根本教義も否定していますが、この大川氏の人倫を外れたえげつないやり口を見ると、GLA側への同情を禁じ得ません。〈〃553〉】

*註1-修行者が異性にふれることすら禁じていた…。仏法に従えば、釈迦が生まれ変わって結婚すると考えること自体、知恵も悟りもない証拠なのです。釈迦は生前、結婚とか異性との交わりを醜い欲望であると気付き、そんな愚かなことに関わってはならないと言っていた。そういう人が転生して結婚すると予言するとは愚の骨頂です。仏教修行者にとって、結婚とか性交は「邪淫」という大犯罪なのです。

*註2-ここで空海師の名前まで出しているのは唐突ですが、もう一つの理由がありました。大川教祖は、空海を如来とし、最澄を地獄に落ちたと侮辱している。ところが空海その人は、釈迦が愚であると否定した道に沿う密教を最高の仏教だと信じ込んでいました。そういう人の悟りがいかなるものかを考えてもらいたいのです。確かに大きな働きはした人でしょうが、残念ながら仏教の本質についてはよく理解できていなかったのです。


■ 大川教祖に消された弥勒

【…『太陽の法』旧版には、{釈迦}入滅時の話に弥勒の名も出てきて、高橋説の通りに女性だと言っています(実際には男性名)。そして弥勒は大川氏の露払い{真理の先駆け}として現代に先に生まれると書いていました。それが{GLAの}高橋夫人だという前提があったのです。
 しかし、大川氏は故・高橋信次氏のニセ霊言をでっちあげてGLA引き込みを謀り、当然ながら失敗して反目したために、弥勒の話も新版ではカットされました。 …その上で、高橋教祖一家について根拠のない前世話を作り上げて貶めました。GLAのやっている事は低級仙人の霊遊びであるとか、精神異常者が多発したなどとウソ八百の誹謗をしている。かなりの逆恨みだと思いますが、これはGLA会員に対する冒涜であり、すさまじい人権蹂躙です。〈〃553〉】
 
--批判はけっこうなことです。しかし大川氏のやり方は人の道を外れており、あまりにもえげつない。


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対話34 実在しなかった文殊菩薩

2010/02/16 17:46  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その34 初出 2006/1/21

■ 釈迦の法を歪曲した自称〈大乗〉

 前回ログ▽98で[K]氏は、「シュタイナーは著書で、イエスが仏陀と出会って、仏陀が自分たちだけが救われるような指導をやってしまったと告白している」と言っていました。それに対してKK(幸福の科学)信者氏が意見を述べます。

▽99[100式]
【…▽98へ  大乗運動がそれを補っているんだと思う。
 文殊という釈尊の弟子がいて、文殊菩薩その人なんですけど、この人は釈尊の死後、南インドで伝道を続けられたそうです。
 つまり釈尊直系で上座部仏教等とは別系統のものがあったということです。
これが後の大乗につながったわけです。〈原文485〉】

 ――まず言っておきますと、文殊菩薩とは後世につくられた仏教物語の一登場人物であって、実在した人間ではありません。これについてはあとでふれることにします。
 さて▽98で[K]氏が人智学を元に言っているのは、釈迦の問題をイエスが解決したという事である。この二人のキリスト(救い主)がセットになっているというのです。だから
▽99[100式]氏が言うような「大乗運動がそれを補っている」のではなく、イエスが補ったということです。

 シュタイナーによれば、釈迦その人が自身の法では「人を救えない」という風な意味の告白をしたと言っている。それなのに[100式]氏は何の疑問も持たず、それを大乗運動(文殊)が補ったのだろうと言う。これでは悟りを得た釈迦の法は役に立たず、悟りの無い僧侶たちが作った教えの方が優れているということです。そういう根本的な事に全く気付いていない。ただ目の前に出てきた話題に思慮も無く食いついているだけです。
 これについては、シュタイナーが釈迦の真実の教えを知らず、ブラバツキーに影響されて間違った仏教観を持ったことからペテンを行ったものだと言えます。

〈大乗〉と一口に言っても様々な派閥がありますが、[K]氏の言葉にあやかって大雑把に言えば「釈迦の修行法は自分たちだけが救われようとする方法だ」という観念を持つ集団です。その批判の矛先は釈迦の教えを伝承する〈部派仏教〉側に向けられていますが、実質的には釈迦直説の理論と修行を否定あるいは歪曲したものなのです。
 そのくせに釈迦の名声を利用するしかなく、偽の経典を作って、本当の釈迦の教えを実践しなくても、誰でも救われるという教えを広めた。だから大乗と自称したもの。実質的には釈迦その人の教えが否定されているのですが、間接的な方法を取っているので分からない人が多い。

 正統仏教(上座部を含む部派系)でも広く人の道を説いてきました。決して自分たちだけが救われるようなことはしていない。ただし釈迦の教えを実践するには大変な努力・忍耐が必要だから、それでは多くの人は救われないという不満があった。
 そこに取り入ったのが大乗だったわけです。具体的には『阿弥陀経』などの浄土三部経を元に、阿弥陀如来の名を唱えれば誰でも極楽へ行けるという説や、『法華経』を護持するだけで良いとか…、いわばご利益宗教的なものになったのです。

 しかし、仏教徒ならば釈迦の教えを実践しなければ意味が無いのです。己が心を律する修行が大変だからといって、そこから逃げ、釈迦が教えた法を葬り去り、釈迦の法に反する教えを広めることがどうして〈大乗〉なのか? それは犯罪ではないのか?

 釈迦の法はただ一つ、〈四諦八正道〉に収斂され、「これ以外に道はない」と彼は言った。そうであれば、正統仏教的には自称大乗には何の救いもなく実は〈無乗〉ということではないか。単に仏を信じれば救われるという、幸せな空想にひたれる程度のことではないか? それで良いと言うのであれば、私は否定しない。しかしそれなら仏教など必要なく、どんな宗教でも大差は無いのです。

 大乗教では阿弥陀如来(仏)や薬師如来、大日如来だのと色々な仏が登場する。仏教とは言うが、実はこれ仏の名を語るヒンドゥー教だと見るべきだと思います(ヒンドゥー、ヒンズーとはインドのこと。つまりインド教)。
 なぜ彼らは仏の名をかたって教えを広めたのか? 当時の仏教にはネームバリューがあったから、釈迦の名声があったからこそでありましょう。現代世界でもイエスや釈迦にあやかった新興宗教が乱立するように、当時のインドではまさに宗教が百花繚乱していた。そこに「仏」を語る新興宗教が現れた。

 大乗教(大乗仏教)とは、その形態が日本神道に似ています。日本には実に多種で数多くの神道系教団があるらしいが、それぞれの本尊や教えはバラバラであり、実はほとんど別の宗教とも言える。にもかかわらず、「神道」とひとまとめに捉えられている。日本の神(空想を含めて)を信ずるからであって、ヒンドゥー教がインドの神を信ずるのと同じで、無数の神がいると信じられ、それがひとまとめにとらえられ、日本教と言っても良い。

 彼らは古来から言い伝えられた日本の神々や、教祖が思いついた神たちを本尊としている。しかしこれらは神道系と言われているだけで、実在する(?)神々とは直接的関係はないでしょう(すべてがそうだとは言わないが)。この世の人間たちが、各個理想とする教えを説いてきただけである。
 大乗教もその通りです。釈迦の仏教を利用して様々な新興教団が生まれ、それぞれが理想とする如来像を作り上げていった。自分たちの教義を作り上げていった。このように全く別の宗教が乱立したのを、後世の人たちが大乗仏教という名でひとまとめにし、伝統的で正しい一貫した宗教であるかのように捉えてしまった。



■ 文殊菩薩から大乗へ?

▽100[マルタ]
【一ヶ月なんてあっという間に過ぎ去ってしまいますな。久しぶりの投稿です。ケイタイ{電話}での入力は疲れるんで、嫌気がさしてるんだけど、この板に書かれたKK側の誤りは指摘しておかねばなりません。もうしばらく投稿して、あとは自分のペースでやれる場を作れたらなと思っています。ほかにもやる事があるので、時間があればの話ですが…。

>▽99に、釈迦の直弟子・文殊から大乗につながったというKK側の書き込みがありましたが、これも大川氏がでっち上げたウソです。文殊などという仏弟子は、釈迦の時代には実在しませんでした。この菩薩の名は、仏滅後数百年たった紀元前後に現われてきたもので、自称大乗の創作経典中に登場させた理想像に過ぎないのです。

 文殊は大乗の知の象徴であり、そのころに生まれた般若(知恵)思想に根ざした設定となっています。当時、つまり紀元前後にモデルとなるような人がいたかもしれないと考える人はいますけれど、釈迦とは何の関係もありませんから、実質的に無意味です。
 歴史を歪曲したこのKK教義は、大川氏が釈迦と大乗をつなげるために、立宗後何年もたってから思いついて付加したものです。
 北方仏教では『華厳経』でこの文殊菩薩(マンジュシュリー)と普賢菩薩(サマンタバドラ)が対で登場して著名になっていますが、いずれも自称大乗が作って説き始めた新説です。…

 文殊が実在したとする大川説の元は、やはりGLAの高橋信次氏に関係しています。氏は生前、釈迦の時代に、後の部派仏教系とは別の道を進んだのが普賢だと言っていましたが、それを大川氏は、文殊だと言い変えているのです。{※この部分は次回訂正を入れるので注意}
 また高橋氏は、釈迦の弟子であり未来仏と勘違いされた弥勒菩薩(マイトレーヤ)が女性であり、現代では釈迦の再来たる高橋氏の妻として生まれ変わったと言った。それを大川氏は、{手口を真似て}釈迦たる自分の弟子で、後に大乗の祖となる文殊菩薩が女性であり(経典では男)、妻として現代に生まれ変わったと言い出したのです。もちろん{都合の良い事に}結婚が決まってからのことです。それも『太陽の法』の改訂版になってから、付け足しました。

 この本では、釈迦が入滅直前に、弟子たちについて色々と感慨にふけったというくだりに、文殊の事が付加されました。この部分は旧版と新版では内容がほとんど違っています。すでに済んだ事実なら不動なのに、ひどく変えられている。旧版では何でこんな人物が?と思われるような事ばかり書いてありましたが、のちに釈迦の十大弟子というものがあるんだと気付いたのか、それにごっそり入れ替えてあります。

 しかも、文殊は十大弟子よりも議論に長けており、外道から釈迦教団をよく守ったという。そして後に大乗の祖と呼ばれ、未来には東方の国(日本)に生まれ変わって妻になるのだと書いてある。

 だが実在しませんでしたから、すべて絵空事です。文殊が本当の釈迦弟子よりも議論に長けるという説は、やはり大乗の『維摩経』で作り上げられたお話です(当然、維摩も実在しない)。
 大乗側は、{正統仏教たる}部派仏教で尊ぶ釈迦の直弟子よりも優れた菩薩が欲しいばかりに、仏典の中で色々と優秀な人物を作り上げていったのです。すべて小説の登場人物でしかないのです。〈〃552〉】

--大川氏が、結婚が決まってから付け足した文殊菩薩、それが今の教祖婦人、大川きょう子氏の前世というわけです。


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対話33 正統仏教を知らなかったシュタイナー

2010/02/15 17:49  Category:サラバ幸福の科学

幸福の科学信者との対話その33 初出 2006/1/20

■ 釈迦の教えは単純明快

 前回の[コスモス]氏の発言にもあるように、成道したブッダも仏弟子(阿羅漢)たちも、輪廻が止んでもう生死を繰り返さないと言い残しています。

 記憶力第一と賞賛されるアーナンダ師は、釈迦牟尼から執事(秘書)となるよう依頼を受け、迷った末に条件付きで引き受けられました。執事ともなれば、お役目上どうしても外出する機会が増える。そうなると、釈迦の説法を聞けない場合がある訳です。アーナンダ師はそれが辛かった。だからそういう場合には、用事を済ませて帰って来てから、同じ法話を自分のためにも説いていただきたいと願われたのです。ですから数多くの説法を聞いておられ、しかも記憶力が優れていることもあり、そのほとんどを暗誦されたといわれています。

 本当だと思うけれども、もしいくらか誇張があっても、たいしたことではない。と言うのは、釈迦は機にふれ縁にふれて様々な説き方をしただけで、仏法の根本的な理屈が分かれば、あらゆる経典をそらんじる必要はないからです。
 だから初期の弟子たちはわずかな説法を聞いただけで修行に入り、転生を止めたという。これは見習い僧ですら分かる単純なことであったし、その法あればこその仏法なのです。

 [100式]氏のように具体性の無いことで理論理論と言うのは、釈迦の真正仏教を知らないからです。今まで、大川氏のごう慢さと、様々なウソや間違い、すり替えについて取り上げてきましたけれども、こんないいかげんな人物の説く方が正しく、本当の釈迦仏教の教えが間違いだと言うのは本末転倒です。

 以前、釈迦の根本法〈縁起説〉の〈集諦〉にも触れていましたが、それこそが「人は無明(無智)なるがゆえに輪廻する」という説です。だから逆に智慧を得れば成道し、もう輪廻はしないと論ずる。これが〈滅諦〉であり、縁起の法の重要な理論。

 ところがこの縁起説そのものを、大川氏は誤魔化してしまった。そうしなければ、彼が釈迦の再誕だとは主張できないからでしょう。そしてKK信徒たちは本当の仏法を信じず、教祖の欺瞞に惑わされてきた。
 [100式]氏は、仏教は理論的に欠けていると妄想的な言い掛かりをつけた上に、仏陀再誕を否定するのは納得できないと言う。しかし〈縁起の法〉の理論によって、仏陀は転生しないと釈迦自身が説いているのです。KK信者が納得しようがするまいが関係が無い。ただ悟りを得た者がこの世に生まれると言い張るだけでは、KKは〈反仏教〉だというだけです。

 KKに対して、「釈迦は転生しない」と批判する人は最初からあったはずです。そこで大川氏は次の手口を考えた。再誕と言っても自分はエル・カンターレという巨大な存在であり、釈迦はその魂の一部であったと言い逃れを始めたのです。
 しかし『仏陀再誕』という本で、一心に自分が釈迦の生まれ変わりだと説いておきながら、よくぞここまで明白な誤魔化しをするものだと思います。だいたい、最初期の霊言集では、「釈迦の魂の一部」が大川として生まれ変わったように説かれていました。つまり彼自身が高橋信次のことを評したという魂の「切れッ端」ということです。
 まあKKが何を言おうと、釈迦牟尼によれば、愚かなる者がこの世に生まれると言う事です。事実かどうかは知りませんが。


■ 残された阿含経典

 本紙▽75で、[100式]氏があるウェブサイトから『アビダルマ』(論蔵)について手短に引用しています。携帯電話しかなかった当方ではアクセスできず、そこがどんなサイトだか確認できませんでしたが、彼はこんな初歩的な事すら知らずに仏教に言いがかりをつけていたのかと、全くあきれてしまいました。それにしても、ここで後世の仏弟子たちが作った論蔵を持ち出してもムダなことです。しかも転生とは関係無い記事を元に、「仏陀は二度と生まれない」という仏教真理を否定しているのですから、そこからしておかしいのです。とにかく何か引っ張り出して仏教を否定することを目的としているだけなので、ものの道理が分からなくなっているのでしょう。
 
 ここで釈迦牟尼が説いた『経蔵』の構成について少しご紹介しておきます。
 スリランカや東南アジアにパーリ語で伝わる経典は『ニカーヤ』と呼ばれて、南伝大蔵教には、五部の経典が伝わっています。
一方、サンスクリット語で中国に伝わった経典が『アーガマ』であり、大乗経典も含めた北伝大蔵経の中の『阿含部』として、四部の漢訳が収録されています。南伝・北伝両者の構成は基本的には同じです。

〈パーリ五部〉
a 長部経典 34経
b 中部経典 152経
c 相応部経典 56相応7762経
d 増支部経典 11集9557経
e 小部経典 15部

〈漢訳四阿含〉
a 長阿含経 22巻 30経
b 中阿含経 60巻 224経
c 雑阿含経 50巻 1362経
d 増一阿含経 51巻 472経

 その他別訳等があります。漢訳にはeの小部経典が欠けるが、大蔵経内に幾つか散見される。例えば有名な『法句経』など。これはパーリ語小部経典の『ダンマパダ』に相当します。
 経典総数は多いけれど、非常に短い経典が多いし、内容が重複するものもかなりあります。編集のために、分割あるいは統合された経典もあるので、数は一致しません。後世に空想が加わった経典も混入したでしょう。


■ シュタイナーの欺瞞

▽98[K]
【…シュタイナーは著書で、イエスが仏陀と出会って、仏陀が自分たちだけが救われるような指導をやってしまったと告白している。シュタイナー本の白眉「ルカ福音書講義」、「第五福音書」これのキーワードは、霊統の合流。仏陀からイエス。二人のキリストです。〈原文484〉】

 ――当方ではこれらシュタイナーの説を、薄っぺらな虚言とみなします。釈迦牟尼は、民衆の救いのために一生を死ぬまで旅に費やし、広く教えを説いて歩いた人なのです。だから自分たちだけが救われるような指導をやってしまったなどとは、全くバカげた言いがかりです。というか、彼お得意のお粗末な作り話です。要するに真実も知らず大乗の説をさらに曲解しているだけ。

〈神智学〉の創始者ブラヴァツキー夫人はイカサマ心霊現象を批判されていた人ですが、インドで大乗教義を学んで自説に取り入れていたし、晩年には大乗仏教徒になった。つまり彼女は仏教の真実を知らなかったのです。その大乗とは前から述べているように、釈迦の本当の教えを小乗だと罵っていた一団であった。

 そして彼女の死後〈神智学〉に入って学んだシュタイナーも、釈迦の教えは出家主義(小乗)で万民を救うものではないという誤った観念を植え込まれていた。そうなると、キリスト教圏の立場からすれば、イエスの方が勝れていると思い込むのは当然でしょう。だからこそ、前記のように事実と反することを平然と書けた。
 このような虚言の積み重ねを解く事で、シュタイナーが悟ったふりをして、また霊能力があるふりをして、霊界を見てきたかのようなウソをついていると言えるのです。かくして事の真偽を見抜けず虚言を弄するシュタイナーが、霊界のイエスや仏陀に会えるわけがありません。仏教的に言えば、解脱して個性ある存在を脱した釈迦には会えない。

 やはりペテン師とも呼ばれたシュタイナーは、原初の人間は大地の土が盛り上がって生まれたと言っている。その様子をアカシックレコードなる霊的記録で実際に見たというのですが、聖書の「人は土から作られた」という説を信じてさも偉大な霊能力があるかのように尊大ぶっているだけ。彼は「進化論」がひどく批判を受けていた時代の人であり、科学=真実を知らなかった。博学ではあったけれども、寄せ集めた知識を利用して奥義らしく見せかけていた。その程度の人です。このように大川氏と同じアカシックレコードを見た如来だという彼が、その教祖と全く違う人類発生を説いているのに、どこが矛盾の無い真理だというのでしょうか。

 ブラバツキーの〈神智学〉や、そこを脱退したシュタイナーが創始してサイエンス(科学)と呼んだ団体〈人智学〉は、その名称によって学問的に感じられがちです。当然それが目的であろうけれども、宗教・神秘主義を寄せ集めて妄想をたくましくしている面が強いのです。これは〈幸福の科学〉も同様です。
 シュタイナーは霊的能力があるといわれたブラバツキー夫人の説をうまく利用し、大川氏はやはり霊的能力があると言われた高橋信次氏の説を利用した。


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