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『虚業教団』のあら探しをしていた幸福の科学

2013/12/06 20:31  Category:「虚業教団」 関谷晧元

『虚業教団』を出版して「幸福の科学」教団に提訴されていた関谷晧元氏が、以下のような発言をしていました。

『宝島30』  1994年10月号 p.137より

訴状を読むと、私が引用した記述が霊言集にはない、だから虚偽だというような主張をしている。どういうことかというと、単に出典名が間違っているだけなんです。引用した言葉が大川さんの別の霊言集に書いてあることは間違いないのに、それでも一切ないと主張する。そんなことで裁判をするなんて本当に低級だと思います。悲しいですね、あれだけ情熱を注いだ会がこんなことをやっているようじゃ、本当に悲しい。


この本の「出典名が間違っていた」というのが『高橋信次の愛の讃歌』のことみたいです。
以前ネット掲示板「2ちゃんねる」で見たことを当ブログコメント欄にコピーしています。こんな内容でした。

4-2 底の浅さを思い知らされた GLA との接触
http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-557.html

書名の間違いがあるらしいです。以下2ちゃんねるで見たコメント。
143 名前:本末天道 ◆tjKHVAY1Y2 [] 投稿日:2013/11/20(水) 13:39:53.78 ID:yrdwYJ2i
>>131
>たとえば、『高橋信次の愛の讃歌』 にはこういう一節がある。
>「ライオンが、この女性の上にのしかかって、この女性を犯しておるようであります。
>……かわいそうにこの女性は、三百五十年の間、こうしたライオンを中心とした人間に犯され続けたようであります」

この記述の出典は、『日蓮聖人霊示集』土屋書店刊が正解


当方ではまだ書籍にあたっていませんが、本末氏の助言通りなのだろうと思います。


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関谷氏の本「虚業教団」web版について

2013/02/11 07:00  Category:「虚業教団」 関谷晧元

近頃「幸福の観測所」というブログで精力的に執筆をしている方がおられますね。直近のトピックでは、元幸福の科学職員で『虚業教団』という本を書かれた関谷氏との面談について書かれていました。その活動意欲には驚くばかりです。こういう能力のある方には、ちょっとばかりうらやましいと思ってしまいます(こればかりはショウガナイ^^)。
さて、その記事の最後に以下のような一節がありました。


幸福の観測所 から

関谷晧元さんにお会いしてきた
http://antikkuma.hatenablog.com/entry/2013/02/11/024411

『虚業教団』について
web上で公開されているものについて、「誤字が多いのが気になるんですが」と訊いてみたところ、関谷さんは全く関知していないようでした。誰か知らない人が勝手に公開していたようです。
「じゃあ、私が修正して公開してもいいですか」と訊くと、これまた「いいよ」と快諾。『虚業教団』の書籍もお借りすることができましたので、また近日中に誤字修正版をどこかにアップさせて戴くつもりです。



web上に公開されている『虚業教団』は文字起こしした人が当ブログ以前に二人はいらして、いくつかのサイトで使われています。一人は公開当時カナダ在住だったナンシーと名乗る方(ハンドルネーム)。こちらは2ちゃんねるの幸福の科学スレで、URLが常にトップ掲載されているものです。それとは別に掲示板にどなたかがコツコツとアップされたものが内部告発集ブログなどにまとめられています。

関谷さんはこれらのweb版があることをずっと前からご存知です。ですから以前このweb版については、「全文公開されるとちょっと困る」と思っておられたということが、過去どこかに書かれていました。誤字が多いが改ざんはないということも。
当方ではそれを知っていますが、申し訳ないとは思いつつも重要な本なので、何日もかけて実際に書籍と見比べて校正し、「獏論版」をアップしています。何度見直しても間違いが残っているかもしれませんが、自分では完全に近いと思っています。また当ブログでは、出版社による誤字なども修正してます。
【追記 2/26 まだまだ直す箇所があったとご協力いただきました。】
私がもっとも危惧するのは2チャンネルでテンプレにされているナンシー版です。これはパソコンのソフトを使って自動的に文字化したものであり、誤字が非常に多く、また途中数箇所で合計10行ほど抜けています。ナンシーさんも誤字を気にしておられましたが、それを気にしつつも、勝手に公開することを許していただきたいと謝っておられました。絶版のまま眠らせるのが本当にもったいない貴重な本なのです。当方でも過去に収録したさい何度も読み比べましたが、だいたい合計で「数百文字」程度の誤字脱字があると思われます。登場人物の名前すら間違っています。

そしてこれをそのまま流用したのが「幸福の科学 その実態」というサイト。数年前に調べたさい、全く誤字の修正なくそのまま転載してありました。使ってある挿絵画像もナンシーさんがアップされていたものです。ところがこのサイトでは、さも自前であるかのように転載元を書かれていないので、詳しい人でないと分からないでしょう。こういうことをする人がいるからなお困ったことになります。そういうサイトからまたそのまま転載する人がいるので、どれが正しいのか分からなくなってしまうのです。

当ブログでは、自分で文字起こししたのでなければ、他の雑誌記事なども転載元を明らかにしています(たとえば「噂の真相」記事は阿修羅掲示板からと)。実際に自分で確認したわけではなく、現物との違いが分からず文責をとれないのと、著作権の問題があるとは言えども、文字起こしされた方の労力を尊重するからです。

「虚業教団」についても、当ブログ設置前のホームページなどに公開していたときは、ナンシー版を参考にしたと断り、御礼を述べていました。このブログには書いていませんが、あまりにも誤字脱字が多くて何十回も書籍と照合していますので、今は断り書きをしていません。ただ、挿絵画像はナンシーさんによる加工版なので、そのむねふれています。顔の部分をぼかして下さっていますので助かりますし、ナンシーさんの努力をそのまま保存したいという思いもあります。

著作権についてはまことに申し訳ないのですが、以前からネットに出回っている以上はどうしようもなく、当方では可能な限り完全をめざしたweb版として、このまま公開し続けます。

関谷様の「虚業教団」の刊行には本当に感謝しています。
「虚業教団」もくじ >> http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-537.html

○追記 目次ページ最終部のリンクに不具合があった分は修正しています。
 ほかにもまだ誤字等のミスがあれば訂正しますので、遠慮なくお知らせください。

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表紙・目次へのリンク

2009/12/14 07:00  Category:「虚業教団」 関谷晧元

「虚業教団」の表紙・もくじなど、カテゴリー最初のページへ▽
http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-537.html

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5-5 〈幸福の科学〉との決別 // おわりに

2009/12/14 06:37  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第5章  さらば、〈幸福の科学〉よ


  〈幸福の科学〉との決別

 八九年の六月十五日に、私は 「嘆願書」 を提出した。
「私はかねてより、自分の器の小ささを自覚しておりました。したがっていつも、幸福の科学のスタート時点にささやかなお手伝いぐらいしかできないと決めて頑張って参りました。今ちょうど幸福の科学は最初の走り出しが終わり、これからは発展がとめどもなく続くという時点にきていると考えます。私の役目もひと区切りついた今、健康上の問題もあり六月一杯で、全ての役職、職務を降りて一会員とさせていただきたく嘆願いたします」

 このときは、退会しようというハッキリした気持ちがあったわけではない。役職についていることが、もう苦痛でたまらなかったのである。ロンドンへ渡り、医師にかかりながら、しばらく静養することだけは決めていた。
 大川も 「それならしかたない」 と一ヵ月の休暇をくれた。

 七月に入って、大宮で大講演会が催された。会場の入口には長い列ができ、聴衆は数千人にもふくれあがった。その日は、私が司会者をつとめることになっていた。
 "先生には申し訳ない"
 大川の講演を聞きながら、そんなことをしきりに思った。いつものように演壇の隅のイスに座り、聴衆に対していた私の目に映る人々の顔、顔、顔。そこにいるすべての人が、なぜか愛しくてたまらなかった。

 講演会は大成功だった。無事に終了したときに、いつにも増してホッとした。自分の役目がすっかり終わりでもしたかのような、快い虚脱感をおぼえた。
 翌日も、その翌日も、私は出勤しなかった。
 そのまま出立の日がきて、私はロンドンへ向け機上の人となった。
 ロンドンでは晴れあがった青空が私を歓迎してくれた。本部の細田事務局長に宛てて正式な辞表を送ったのは、一ヵ月後のことである。二週間ほどすると、一〇〇人近くいた職員全員からのラブコールが届いた。「早く戻って来て、また一緒にやりましょうよ」 と、趣向を凝らして寄せ書きされた七枚の色紙。それを手にして、涙が出るほど嬉しかった。
 しかしそのときは、もう私の心は決まっていた。
 これからは一人で充分だ。一人で修行を重ねていこう ──。


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 おわりに                                                      

 八六年に、新宿の割烹料理店で大川先生に会ってから三年半。私は素晴らしい体験をさせていただいたと思う。私にとって、それは二度目の青春であった。霊性時代の樹立という情熱に燃えた日々。一途に情熱を傾けるものがあるとは、なんと幸せだろう。
 いまは、一九九三年の秋である。大川先生と最後にお会いしてから、すでに四年の歳月がすぎている。

 ロンドンから戻った私の顔を見て、先生は嬉しそうに笑いながらこう言った。
「関谷さんにはうってつけの仕事があるんです。テープと書籍を専門に販売するミニショップを、キヨスク方式で全国展開してもらいたいんだよ」
「いや、それは……」
 という私に、
「いや、こういうことは関谷さんしかいないんだ。実践で頑張ってください」
 たぶんそのときはじめて、私は大川隆法という人に、かすかな憐憫の気持ちをいだいたように思う。                                                   
 この四年のあいだには、〈幸福の科学〉にも私にも、いろいろなことがあった。
 しかし、神理探究の団体〈幸福の科学〉を離れた私は、かつての求道心を忘れただろうか。霊性時代の樹立という理想が薄らいできただろうか。
 いや、むしろますます求道心に燃え、より強く理想を求めている。

 私はこの本の中で、大川先生と〈幸福の科学〉について批判的に語ってきたかもしれない。その心は、大川先生への個人崇拝と、あまりにも露骨な拡張路線に対する、OBとしての危倶である。〈幸福の科学〉はダメだ、と言いたいのでは決してない。それどころか、〈幸福の科学〉にはまだまだ大きな役割があると信じている。
 これまでの自己中心的なご利益信仰の段階から、精神的な世界へ覚醒を促す役割。物質欲に支配されず、心にしたがって生きる理想を説く役割である。

 霊性時代の樹立という〈幸福の科学〉用語を繰り返し使ってきたが、それは、この理想が社会的にも実現するときを意味している。
 大川先生は、この理想をわかりやすく、ときには 「面白おかしく私たちに教えてくださったのである。たとえ世間で言われるように、先人の言葉のパッチワークであってもいい。浅く、軽い教えでもいい。もしかすると、批判記事を書いた出版社へデモをかけるのもいいかもしれない。それによって、この人たちが言っている霊性時代とは何なのだろうと考える人が一人でも増えるなら。
 物質的な原理を超えた理想に、人々の眼差しを導く。それが〈幸福の科学〉に、神が与えられた会の存在理由ではないだろうか。

 いま、改めて、愛をもって幸福の科学の存在意義に拍手を贈る。
 最後に、私と同じように、幸福の科学を卒業した数百万人の人達、そして、さまざまな宗教団体の中で疑問に苦しんでいる人や、多くの宗教難民にはこう伝えたい。
 信じなければならないのは、教祖や教義以上に、自分自身の〈善我〉なのだ、と。
 心の奥底に埋もれていた〈善我〉にこそ、神が、法が、すべての聖書・仏典が、既に内在されていたのだ、と。そして、自分が変容してこそのユートピアなのだ、と。
 一時は、誰の心も難民としてさまよい師を求めた。が、しかしそれらはみんな必要なプロセスであった。我ら求道者の命は、まさに 〈日々是転生〉。一日一日新しく生まれ変わって成長していく。            

 汝(己)自身を知る(悟る)ために ──
 新しい学習も必要であった
 賢人の訓示も、大いなる参考とはなった
 いままで、外部から何かを吸収し続けてきた
 しかしそれでも、変容し切れなかった自分 ──
 最後にもう一歩
 生きたこのままで転生し
 理想の人生を生きたいと本心から望むなら
 己自身の 〈内なる光〉 を掘り起こそうではないか!
 素直に自分を振り返ってみよう
 過去の幾つかの出来事の一つ一つが
 その出来事こそが
 悟りに至るための、最高の神示ではなかったか?
   神仏の、光求めて幾星霜、悟ればほとけ、我が心なり  高橋信次


 私はいま、内在された偉大なる仏智と出会うための自己啓発法、D・ I ・L (ディスカヴァー・インナー・ライト)の研究に打ち込んでいる。研究成果をいずれご披露できる日もあるだろう。
 私にこのような道を歩ませてくれたのも、決して皮肉ではなく 大川先生であり、〈幸福の科学〉であった。幸福の科学を卒業したからこそ、現在の自分があると感謝している。
 願わくば幸福の科学自らが、でき得るならば私の初期の理想のように、独創性をもった〈神理学習学校〉に軌道修正して、愛ある上昇飛行されんことを祈るばかりである。



関谷晧元 著

虚業教団
〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか
(c) Kougen Sekiya 1993

1993年12月31日 初版第1刷
現代書林 ISBN4-87620-700-3 C 0036
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

著者略歴 
1936年新潟県生まれ。
セールスマンを経て、67年、自動車販売会社フタバ商事(株)を設立。22年間社長業。
86年、大川隆法氏と出会い、すべてを処分して、〈幸福の科学〉の基礎造りに励み、初代総務局長、関東支部長のほか、本部講師、出版社の重責も兼任。89年10月退会。以後 4年間神理の探求を深め、93年 〈D.I.L探求会〉 を創立。
自分の過去の出来事こそが最高の師であるとした新しい自己啓発法を探求中である。
 



「幸福の科学」との6年越し裁判に勝訴した“元幹部”=FOCUS 2000/08/30



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5-4 これがフライデー事件の真相だ

2009/12/14 06:36  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第5章  さらば、〈幸福の科学〉よ


  これがフライデー事件の真相だ

 あのフライデー事件における〈光の戦士〉たちの行動を思い出してみよう。
 フライデー事件の背景となったのは、大川が九〇年に発表した 「サンライズ計画」 、翌年の九一年にブチあげた 「ミラクル計画」 による会の極端な膨張である。
 私が退会した八九年には実数で一万数千人の会員がいた。それが九〇年になると、わずか一年間で一七万に増えている。

 さらに 「ミラクル計画」 では、九一年に一〇〇万人、九二年に三〇〇万人、九三年には会員一〇〇〇万人を目標に設定した。正常な判断力があれば、この計画そのものに、すでに異常が潜んでいることに気づくだろう。しかし、仏陀が掲げた目標である。会員を動員し、出版、新聞、テレビ・ラジオを使った大キャンペーンが打たれる。その経費が二〇億円とも言われている。その結果、九一年には二〇〇万人を突破し、九二年をすぎると、会員のあいだでは五〇〇万、七〇〇万という数字が噂されるようになる。
 仏陀の宣言した目標は着実に達成されているのである。

 もし、この数字がほんとうに達成されていると信じる会員がいたら、おめでたいと言うしかない。 私のところへ集まってくる話では、実数はせいぜい一〇〇万人。しかも、そのほとんどは、おつきあいで入った月刊誌だけの誌友会員である。熱心な会員と呼べるのは一〇万人程度ではないだろうか。大川の説く神理に実践がともなわなかったように、会員の数も実態のともなわない数字でしかない。
 それでも目を見張るような発展ぶりである。八六年に開かれた発足記念座談会の聴衆はわずか七〇人。それが五年後には、東京ドームを満席にするのである。たいへんな躍進と言わなければならない。

 しかし、出るクイは打たれる。短期間に急成長を遂げ、紀尾井町ビルのワンフロアを借り切って、華々しいキャンペーンを繰り広げている新宗教に、マスコミが噛みつかないはずがない。霊能力者ならずとも予想できることである。
 案の定、〈幸福の科学〉バッシングが始まった。

 "御生誕祭" の二ヵ月後、写真週刊誌『フライデー』に批判的な連載記事が掲載される。
「急膨張するバブル教団『幸福の科学』/大川隆法の野望」。記事は悪意と中傷に満ち満ちたものだった。すでに自分の生活に戻った中原幸枝のプライベートにまで、無遠慮にカメラが向けられた。なかでも大川を激怒させたのは、「学生時代の大川はうつ病で精神科医にかかっていた」 という箇所だった。

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 名誉棄損罪で出版元の講談社と、フライデー編集長を東京地裁に告訴。講談社には三〇〇人あまりの会員が抗議デモをかけ、同時に抗議電話が殺到。ファックスも絶え間なく送られてくる抗議文に占領されて、業務にも支障をきたす事態になった。
「これは宗教戦争であり、聖戦である」
 大川はそう宣言している。

 前後の会の動きを、私が知り得たところをもとに再現してみるとこうなる。
 まず、会としての対応を検討するために、紀尾井町ビルの本部に課長以上の幹部四〇名ほどが招集された。会議は前後二日におよんでいる。最初は、「こんな写真誌の記事は無視しよう」 という穏健な意見が大勢を占めていた。それに対し、大沢敏夫ら数人の幹部が「そんな意気地のないことでどうするか」「今こそ仏陀様に恩返しするときである」と強硬に主張して譲らなかった。
 両者の議論は白熱し、会議というよりはケンカに近い様相を呈してきた。

 このとき穏健派を代表していた幹部の一人、前川節が主宰室に呼ばれている。何事かを大川と話し合い、再び席に戻った前川はすっかり大沢グループに豹変していた。これがその場の情勢を一変させる。"正義のための闘い"へ向かって動き出したのである。
 この会議の最中、大川家から二度ほどファックスが送られてきた。
「大衆受けするよう整然とした隊列をつくること。目立つように盛大におこなうこと」
 といった内容が記されていた。講談社への抗議デモの具体的やり方を、主宰夫人が指示してきたのだ。おそらく抗議デモの一件は、大川夫妻と大沢のあいだで、あらかじめ決定されていたのだろう。

 会議の参加者は、そのまま中野にあるオリンピックビルの研修場へ移動した。そこにはすでに、関東支部の会員三〇〇人ほどが動員されていた。彼らを前に、大沢、そして大川が拳を振り上げながら熱烈なアジテーションをおこなっている。
「我われは、魔に対して断固として闘う。キリストをはじめ、天上界の天使たちもそうせよと言っている」
 と、天狗の団扇を正面に突き出して宣言したのだ。
 右の頬を叩かれたら左の頬を出せと説くキリストが、まさかそんなことを言うとも思えないが、霊言とはまことに便利なものではある。かくして、講談社へのイヤガラセ部隊の出陣となった。

 しかしこの滑稽劇にはまだ続きがあった。デモ終了後、会員たちは再び研修場へ戻り、講談社への抗議文を書かされた。ほとんどの参加者はそのとき渡されたコピーで、はじめて記事を読んだ。主宰先生の結婚式の写真なども載っていたから、大川の私生活については何も知らされていない会員たちは、大喜びで読みふけったという証言もある。デモで疲れているのに、さらに 「抗議文」 を書けという。被害を受けた感じもしないので何を書いていいかわからず、戸惑った参加者も少なくなかったらしい。

 こうした会の対応が世間の批判を浴びると、景山民夫らが中心となって 「講談社=フライデー被害者の会」を結成し、市民運動を装いながら抗議を法廷へ持ち込んだ。
 もちろん市民運動でも何でもない。言うまでもなく、〈幸福の科学〉本部の指示でつくられ、命令にしたがって動いている。また、抗議電話や抗議ファックスに関しても、「止むに止まれぬ気持ちから会員が自発的におこなったもの」 と会は釈明したが、たとえ止むに止まれぬ気持ちからでも、本部からの指令に基づいていたであろうことは断言してもいい。会の体質からして、大川の指示がなければ何一つできないのである。

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 阿南事件で残った古い会員も、フライデー事件をきっかけに多くが会を去っている。拡大拡大できた会員の獲得もかげりが現れ、資金面で行き詰まっていると聞く。フライデーは、まさに〈幸福の科学〉のつまづきの石になった。景山民夫や小川知子らが、もうしばらくの間は続けるであろう熱唱にもかかわらず。
  
 そこで思い出すのが、昭和三十一年に起きた立正佼成会の読売事件のことだ。
 昭和三十一年一月から、読売新聞は大々的な反・立正佼成会のキャンペーンを張った。発端となった土地買い占めは、会そのものとは無関係だったことが間もなく判明するが、キャンペーンは教団幹部への個人攻撃や教義内容の批判へ発展し、およそ三ヵ月間にもわたってつづいた。三六万の信者世帯をわずか一年で三〇万に激減させたというから、その激しさを想像できる。

 これに対し立正佼成会は、関係機関に内部調査の結果を配った以外は、完全に沈黙を守った。「読売の記事がウソなら佼成会は告訴すべきではないか」 という声にも、報復は宗教団体のとるべき道ではないとして動こうとしなかった。
 攻撃の止んだ四月になって、次のような文章が 『佼成新聞』 に発表されている。

「われわれは批判に対してなんら躊躇する必要はないし、むしろ私どもに足りない所があるなら、もっともっと新聞に書いて、諌めていただきたいくらいです。衷心から感謝申し上げると同時に、私どもはいつでも多くのかたの批判をありがたく頂戴し、自分に至らないところがあれば、即座に直すだけの寛容さがなければなりません」
 そして、自分たちを高めてくれる師として、"読売菩薩"と呼んだのである。

 このようなものを反省と言うのではないだろうか。これに反し、
「反省とは自らを省みるということ。他を責めるという気持ちから、自らをもう一度振り返ってみる。こういう考えが大事です」(『不動心』)
 こんな一般論を、いくら口先でしゃべってもダメなのだ。
 高橋信次は 「反省こそが法なのだ」 と繰り返し語っている。「人につかず、組織につかず、法につけ」 は生前の口グセだった。フライデー事件は、人につき、組織につき、かわりに法をなくしてしまった会の実態を、衆目にさらしたのである。

 仲間と一緒に夢を抱き、命懸けでつくりあげてきた〈幸福の科学〉。こんなものをつくるために、私たちは人生をかけたのか……。
 それはすでに、私たちがつくろうとしたものとは、まるで違うものだった。
 中原よ ──。君は 「信次先生のご逝去以来、ようやくの思いで心の師となる人を見つけることができた」 と私たちに語った。あのときの輝きに満ちた君の表情を今も思い出す。しかしその人は、少なくとも私たちの心の師ではなかった。それでは、いったい何が私たちに、あの青年を心の師と思わせてしまったのだろう。
 中原よ。あれほど厳しく自分の心を見つめようとしていた君も、阿南も、私も、肉体を持つ誰かに神を、生きる指針を、見いだしたかったのだろうか。





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