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宗教裁判1(大川隆法VS.園頭広周 名誉毀損訴訟に関する見解)=園頭広周

2011/08/29 06:35  Category:GLA系

これはかつて『国際正法協会』という教団の指導者だった故・園頭広周氏の著です(高橋信次氏の弟子)。大川氏への批判を書いた本によって、名誉毀損で告訴されたため、その反論と問題提起として書かれています。「正法協会」の立場から書かれたものであり、一般論とは違う部分もあります。
大川隆法がまだ「霊言集」なるものを発行するだけで、「教義を持たなかった」ころの裁判のよう(?)ですから。今とは教団の事情も少し違っているでしょう。



GLA系園頭派 『正法』サイト より
http://www.shoho.com/newpage124.htm(停止中)

幸福の科学の大川氏は、フライデー事件の後、大川氏を機関誌や著書で批判されてきた園頭師を告訴した。
本書は、この裁判に対する陳述書である。
あこぎな宗教裁判に対して、今は亡き光の大天使・園頭先生は、我々残された人類に「こう裁判するのだ」と範を示して下さった。
これは元国際正法協会会員へ小冊子として配布された全容である。勿論のこと、本裁判は先生に軍配は上がった。

 

   陳述書     

       元・国際正法協会
         会長  園 頭 広 周


   請 願
本訴状は、大川隆法氏は「悟れる者」であり、「神である」ということを前提として提訴されたものである。
しかしそれは、大川氏の自称であって、日本の社会全体に於ては公認されたものではない。
私は、社会的に公認されていない自称を前提として本審理に入られることを拒否する。
大川氏は果たして「悟れる者」であるか、或は「神であるか」それを認定することから審理を始められるように請願する。
前提が確立していないのでは、その後の審理は無効と認める。

大川氏が、私が大川氏が「悟れる者」であるか、或は「神であるか」を確認したいという要求をしていることに対して、大川氏が出頭を拒否するならば、本裁判の非は大川氏にあり、裁判に要する費用、裁判に至るまでに私の方で使用した金額は、全部大川氏が負担すべきある。

私の方では裁判しようなどとは毛頭思っていなかった所に、突然、裁判へ持ち込んで、予期しない日時と金員を使わざるを得ない羽目になったのであるから、それを要求するには当然である。
 



幸福の科学との関係 経緯説明


陳述者 氏名     園 頭 広 周
     生年月日   大正七年二月二〇日
     年齢     七六才

  履歴並びに宗教歴                                
昭和十三年三月 任陸軍少尉
昭和二〇年八月 陸軍大尉にて終戦
  終戦時の軍歴 独立第百大隊付
昭和二七年 生長の家宗教団体 地方講師
昭和三〇年 生長の家教団 本部講師 
以来 1.熊本 鹿児島 宮崎 三県教化部長
    2.愛知 三重 滋賀 岐阜 四県教化部長
    3.生長の家本部 練成部長
    4.生長の家本部 地方講師教育部長
    5.国民会議委員、建国記念日制定促進委員会として建国記念日制定に尽力
昭和四七年二月 生長の家教団退職
昭和四七年四月 大阪 トールス教団教化部長に任命
昭和四八年九月 トールス教団を辞め、GLA教団西日本本部長となる。
昭和五三年三月 GLA教団を辞める。
昭和五三年九月 正法会(現国際正法協会)設立 会長となり現在に至る。
         同時に、正法出版社設立社長となり現在に至る。           
                                          

   主 な 宗 教 歴
一、10歳の頃より、人間はどこから生まれ、死んでどこへ行くのか、人間はなんのために生きるのかに疑問を持つ。
ニ、成長するに順い、仏教、キリスト教を遍歴
三、軍隊に行き、将校となって尚人生の目的を探求し、戦争のない世界の平和を実現する方策を探求す。
四、昭和十五年六月、中支第一線で中隊長をしている時、「宇宙即我」を体験し、地球の人類は、みな、神の生命の兄弟であり、地上の人類に人種差別なく、地球には国境線はないことを悟る。
五、昭和十八年十月、ソロモンの第一線より、鹿児島の連隊付となり帰還。
直ちに忽ちに、一ヶ月間、霧島神宮に参籠、世界が平和になるためには、「この地球に、一番最初に人類が誕生したときの、そのときの意識に人類は帰らないと平和にならない」いう神託を受ける。
この時、戦争が終わったら宗教家となって世界平和に貢献することを決意する。
六、昭和四八年三月 GLA教団教祖高橋信次先生に会う。
七、昭和四八年四月 霊道を開いて、高橋信次先生は過去世で「釈尊」であり、インドに「釈尊」の十大弟子の筆頭「舎利弗」(シャリプトラー)であったことを知る。以来、インド当時と同じように人類の救済の貢献することを誓う。

昭和五一年六月 釈尊であった高橋信次先生は四八歳の若さで昇天。
昭和五ニ年三月 高橋信次先生の息女佳子氏は、突如として「われはミカエルなり、釈迦、キリスト 高橋信次は、人類の救世主ではない。高橋信次が書いた『心行』も必要はない。
釈迦の説いた『八正道』も必要ではない。
私が人類の救世主である」「昭和五七年三月までには、世界の全人類は私の前に跪くであろう」と、「ミカエル宣言」をしたために、GLA会員は混乱し脱会する者続出し数を知れず。
昭和五三年九月、これまでに高橋佳子氏の反省を促したが、反省はなかったので、(高橋信次先生かつて釈尊であられた)の教えを正しく継承してゆくために、正法会を設立する。
海外へ布教伝道するために、「国際正法協会」と改称して今日に至る。
GLA高橋佳子氏が、高橋信次先生の教えの正しい継続者でないことは、幸福の科学大川隆法氏が主張している通りである。


  訴状に対する反論

大川隆法氏の名誉を毀損した事実なし。むしろ、大川隆法氏自身だけでなく、幸福の科学会員全体を救うための「愛の行為」である。

   理 由
本件だけでなく、大川隆法師が起こした裁判の根本的な争点は、私への「訴状の原因」一、原告および被告について、に書かれているように大川隆法氏が、真の悟れる者(仏陀)であるか、どうかである。」
私は、高橋信次先生が「釈尊」であったことを、私の霊眼で見た。だから常に大川隆法氏の言動は、高橋信次先生との対比に於いて考える。

一、高橋信次先生を真の仏陀(釈尊)であるとし。
二、大川隆法氏は、仏陀を冒涜している者と見る。

私が、大川隆法氏宛に出した親書は、「貴殿が、真の仏陀であるか否か、私の眼で確かめたい。もし貴殿が真の仏陀であったら、私は貴殿の弟子となることに吝かでない。一対一で私と会って、私の前に仏陀であることを証明して欲しい。」ということで一貫している。
それに対して幸福の科学は言を左右し、私の言を「脅迫」と受取って、かえって私のことを悪く言っているのである。
依って、本件に対して、私は請願する。
 

  請 願
本法廷に大川隆法氏を出頭させ、私と一対一で対決させ、大川隆法氏が”真の仏陀”であることを証明させて頂きたい。
「真の仏陀」であるか否かを知るためには、いくつかの質問に答えてもらい、また真に霊能があるか否かをテストする方法があるので、そのテストを行いたい。

本請願を実現して頂けば、私に対する裁判だけでなく、大川隆法氏が起こしている全裁判が一挙に解決することになる。
私が願っているのは、大川隆法氏が「真の仏陀」であるのかどうか、それを確かめたいということにあるのであるが。
大川隆法氏と幸福の科学本部は、その機会を与えてくれないのであるから、一切の非はすべて大川隆法氏と幸福の科学本部側にあるのであって、私に”非”はない。


ここに到る遠因
大川隆法氏は、拙者「大川隆法はこう読め」の文章の言葉の端々だけを捉えているが、この本を書くまでに到る時の流れを知らないと、その是非を判断することにならないのでまず、そのことを述べる。

  高橋信次先生こそ、真の仏陀であった。
高橋信次先生著「人間釈迦」を読んでGLA会員になった人々は、みな、「こういう事は、やはりインドに仏陀として、釈尊として出られた方でないと書けないことである」、といって、高橋信次先生を、みな、仏陀であると信じていた。

二、昭和五二年三月、高橋信次先生の長女佳子氏が、その未亡人であり母親である一栄氏とともに、「ミカエル宣言」なるものを発して「釈迦・キリスとは、人類が救われる道を説かなかった。高橋信次先生もそうであり、佳子が生れてきた以上、高橋信次はぬけ殻である」といったために、GLA会員は大部分脱会した。
この時に、高橋佳子氏の下に残った人達がいた。その人達のいい分は、儒教の道徳を基準としたもので、高橋信次先生が説かれた真の仏教即ち正法によるものではなかった。
こういういい分である。

「高橋佳子先生は確かに間違っている。おかしい。しかし私達は高橋信次先生に救われた恩があります。その恩がある以上、恩人の娘さんを立てないわけにゆきません」と。

この「ミカエル事件」は、日本人に、道徳と宗教の違いを教えてくれる、日本の宗教史上の重大な事件であったのであるが、多くの人々は、宗教と道徳の違いの判断ができずに、釈迦、キリストを否定する高橋佳子氏について行ったのである。

その佳子氏について行かない人々がたくさんいた。その人達は誰か正しく教えを説いてくれるヒトはいないかを求めて右往左往していた。
既に高橋信次先生在世中からそうであったのであるが、霊道を開いたと偽証して、高橋信次先生が話されたことを記憶していて、恰も高橋信次先生の霊が憑ってきたかのように、眼をつむって高橋信次先生そっくりの口真似をして人を欺く、いわゆる”霊能かぶれ”という人達が、関東に、関西に何人かいた。
高橋信次先生が昇天されると、その人達が跋扈するのを一番心配していたのが、当時、高橋信次先生の著作を出版していた三宝出版社長 堀田和成氏であった。
堀田氏や私が心配していた通り、そういう人々が勝手に”霊言”と称して、元GLAの会員達を迷わすようになってきた。

そういう中で私の耳に入ってきたのは、元GLA会員原久子氏が、大川隆法なる青年と結託して、「大川隆法先生に、高橋信次先生の霊が出てくる」といって、元GLAの講師、幹部であった人々がぞくぞく集まっているという話であった。
ニセモノはそのうちに化けの皮が剥がれると思って無視していたのであるが、大川氏が「高橋信次霊言集」「高橋信次の新復活」を出版して高橋信次先生の名を利用し、そのうちに「仏陀再誕」を出版した。

ある日、元GLA幹部であった市川市の甲斐通右氏から、テープと手紙が送られてきた。
「大川先生は仏陀です。あなたも大川先生の弟子になって下さい。」と手紙には書いてあり、テープを聞いたら、大川市が壇上から「甲斐さん、園頭さんを早く私のと所に連れて来なさい」と絶叫している。
大川隆法氏は、「かつての仏弟子、集まれ」と呼びかけている。
この頃、既に大川隆法氏は、私が過去世で舎利弗(シャーリープトラー)であったことを知っていて、私が大川隆法氏の下に行けば、大川氏は「自分は仏陀であった」ということになると思っていると思ったから、私は、「高橋信次氏こそ、真の仏陀であった」という本を東明社から出版して多くの人々に警告を与え、、

甲斐氏には
「高橋信次先生の教えをうけたあなたが、大川隆法如き人間に欺されるとは不甲斐ない。あなたが大川氏を信ずるならそれでよい。
私は私の信念で行動する。いずれ、どちらが正しいか、真実が証明してくれるであろう」と手紙をやった。
甲斐氏と行動を共にしていた埼玉県の山田氏(元生長の家相愛会長でGLAに転向した)にも、「大川氏に欺されないように」と手紙を出したら
「私は大川氏を信じます。あなたこそ間違っています」と返事が来た。
盲信狂言している人達は仕方がないと思った。
この頃、甲斐氏によって元GLA講師幹部が、つぎつぎと幸福の科学の会員になったことを聞いて、そういう人達は、高橋信次先生の話は聞いたことはあっても、正法は少しもわかっていない人達であったことがわかった。

それから一年位経ってくらいであろうか。
幸福の科学では金を集め出して、甲斐氏も山田氏も、三千万円位幸福の科学に金を出した後で大川氏はニセモノだと気づいて幸福の科学をやめたという話を聞いた。
最初から大川氏はニセモノだとわかっていた私が正しかった。
大川氏を「仏陀である」と信じて行って、サラリーマンの身には、とても一生かかっても貯めることはむづかしい三千万円という大金を、吸い取られた揚げ句にやっと「ニセモノである」とわかった者がえらいのか。
この頃、GLAから幸福の科学に入会した人達は、ぞくぞく幸福の科学を脱退して行ったようである。

ある日、徳島県の戒谷年子さんから手紙が来た。
戒谷さんは元生長の家会員で、私が生長の家本部講師をしていた頃、私の名前を知っていられて、私が高橋信次の教えを正しく継いで「国際正法協会」をつくっていることを聞かれて、手紙を下さったということである。手紙の内容は、
「私の娘は、大川先生を仏陀だと信じて、一年間に一〇〇名の会員を募集し、東京ドームの大講演会で、「獅子奮迅菩薩」という名を授けられた一〇名の中の一人でした。金を上げれば幸運につながるといわれて母娘で四○○万円献金した。どうもおかしいと思い始めたのですが、どうでしょうが。」というものであった。

「大川隆法はニセモノです。真の仏陀であれば「金で救われる」とはいわない筈です。」
「金をあげれば救われる」といっていることはそのことが「仏陀でない証拠です。その金は返してもらいなさい。」と手紙を書いた。
その四〇〇万円は取り返されたようである。

この頃、頻々として幸福の科学に疑問を持つ人々の手紙が来るようになった。
これは、幸福の科学批判の一書を書いて、真理を求める人への警告の書としなければならないと思っていて、中々書く時間がなかったのであったが、過労のために三ヶ月入院することになった。
医者や看護婦さんに注意されながら
「大川隆法はこう読め」
「続 大川隆法はこう読め」
「大川隆法は仏陀ではない」
三冊の原稿を書いた。


大川隆法氏がノイローゼであったか、なかったかということについて

早川和宏氏が「フライデー」に、大川隆法氏の事を書かれて以来、幸福の科学の行動は非常識極まるものであった。
早川氏から問合わせがあったので、当時のことを知っているであろうと思われる人々に問合わせてみた。その返事は「大川隆法はこう読め」に書いた通りで、私は多くの人々がいっている事実をそのまま伝えて、それをどう受取り、どう判断するかは読む人の自由に委せようと思った。
大川隆法氏の名誉を毀損しようとは毛頭思ったことはない。


私が事実を事実のままに伝えようと思った理由
宗教家たる者は、現世を超越して悟りを開いている者であるから、過去がどうであったといわれようと、そういうことに心を動かされるものではない。
例えば、「ノイローゼであった」といわれようと、もしそれが事実であったら事実のままに「そうでした」というべきである。
問題であるのは、それが事実であったとしたら、そのノイローゼをいかに克服したか、そのことの中から何の悟りを得たかというその宗教体験が、人を救うことになるのであるから、ノイローゼであったのではないかと疑問を持っていわれたことで、むきになって、名誉毀損だと裁判によって他人に審いてもらう問題ではない。

「一切は自分の責任である」というのが宗教家の自覚である。
宗教に於いては、過去に殺人犯であろうが、どんな人間であろうが、その人の過去は問わないのである。その人が信仰をして、「今どうあるか」という現在、その現実を問うのであって、悟ったものの第一条件は、人を赦して責めず、どこまでも深い慈悲と愛を持つかということである。
自らが悟って「仏陀」となったといい、「神」となったといっている大川氏が、人権を侵害しているとも思われない過去の些事をほじくりだして、宗教の次元でなく、法律で規定している一般社会の秩序を維持するという低い次元に問題を持ち込んで、そこで解決しようとしていることは、大川隆法氏には仏陀の持つべき徳性である慈悲と愛の赦しの心もなく、自ら悟った者だと口ではいっているが、実際には悟っていないことを自ら証明するものではないのか。

私の「大川隆法はこう読め」は、事実として名誉毀損になっていない。
私がこの本を出版したのは平成三年八月である。この本が大川氏の名誉を毀損し、幸福の科学の発展に大きな阻害を為しているのであったら、平成三年中に私に対して裁判をかけてよい筈である。
平成三年、平成四年、平成五年、平成六年前年と、幸福の科学からはなんの申し入れ抗議もなく、八月に到り、突如として提訴したことは、明らかにそこに作為を感ずる。
「神」を称し、「仏陀」と称し、「悟った」と称する大川氏が、突如として乱心して、裁判に持ち込むという心理は、普通何の信仰もしてないで良識あると思われる人でもよくしないところの、良識以下の人々のやることである。

私は大川氏がそういう心の持ち主であることがわかっていた。だからそういう心を反省してもらいたいと思って、一つには大川氏を救いたいという、慈悲と愛の心を持ってこの本を書いたのである。
例えば、わが子を愛している慈父は、たとえ子供がまちがったことをしていると思われる時は、「子供よ、お前がまちがったことをしていても、それはそれでよいのだ」と、子供のいけないことを助長するような甘いことはいわないであろう。

大川氏は自らを「神」だと信じ、幸福の科学の会員達は「そうだ」と信じているのであろうが、他の人々はそうは思っていない。
私は大川氏よりも、年令的にも、宗教体験の上からも、悟りの点からいっても先輩だと思っている。先輩が後輩を論ずることは当然の礼である。自分では”これで正しい”と思っているであろうが、私の眼から見たら幼稚な点がある。それを正しく指導しようという愛の心で欠点を指摘したのであるから、むしろ私は感謝されて然るべきであると思っている。
要するに、私と大川氏では、宗教観、人間観が根本的に違うようである。
 

高橋信次先生と大川隆法氏の違い

私は高橋信次先生の弟子であった。高橋信次先生は昇天される前々月、「私が説いたことを、一から十まで全部わかってくれたのは園頭さんが一人だった」といって下さった。
私は二十三才で戦地で中隊長をしていた時、「宇宙即我」に到達して悟りを開いていた。
高橋信次先生を師としてきたから、大川氏が、「高橋信次霊言集」を出し、「高橋信次の新復活」と出すに及び、そうして自ら「釈迦大如来」と称するに及んで、「これはホントかな」と思うのは、弟子として当然である。

この二著を読んだ人達は、「大川先生は素晴らしい霊能力を持っていられる」と信じた人もあったようであるが、高橋信次先生のことをよく知りたかったら高橋信次先生の直接の著作を読めばよい。親鸞上人のことを知りたかったら、親鸞上人著作集を読めばよい。
何も大川氏の「親鸞上人霊言集」を読む必要はない。それよりも比較してみればよいのである。
私は高橋信次先生の教えをよく聞き、本もよく読んでいたから、大川氏の「高橋信次霊言集」「高橋信次の新復活」を見て「これはおかしい」と思った。

高橋信次先生は一切身辺を飾らない人であった。大川氏が「仏陀」と自称して、チンどん屋が仮装行列するみたいな扮装をしているのを比較しておかしいと思った。
違うことを違うというのは当然であり、違うと思っていながら、正しいですよということは間違いなのではないのか。
本を出版するということは、自分の所論を一人でも多くの人に知ってもらいたいということと同時に、どこからでも、どんな立場からでも自由に批判して下さいと、どんな人からの批判を受けてもよいということで出版するのであるから、私が「高橋信次先生の霊が出てきて書かせたとは思わない」ということは、私の自由であって、大川氏から何らかの制約を受ける必要はない。
意見が違ったら堂々と論争をすればよい。
私は今まで何回か公開討論会をしようと申込んだが、返事すらもらったことはない。
 

請 願

裁判官殿に請願する。
大川氏に、本当に高橋信次先生の霊が出てくるのであるか確かめたいので、大川氏を法廷に出さしていただきたい。
私が審神者(さにわ)となって調べたい。

もし、霊査して、高橋信次先生や親鸞上人、キリスト、内村鑑三、谷口雅春等、「〇〇霊言集」と称して出版したものが、正しい霊言ではなくて、大川氏がそれらの方々の本を読んで、それを記憶していて、眼をつむって、恰も霊が憑ってきたように詐術して、そうして書いたものだとしたら、大川氏はどうするのか。
私が何人かの人に聞いた事実(ノイローゼであった、あったらしい)をそのまま書いた影響と比較すれば、何百万人という人を欺したその罪は大きい。その罪の償いをどうするのか。私はそういう誤りを犯させたくないために「大川隆法はこう読め」を書いたので、名誉毀損どころか、私は、大川氏の過ちを少なくさせて、大川氏の名誉を守ってやっているのである。そして宗教家としてもっと学ぶべき事は学んでほしいと励ましの意味で「小学校程度」と書いたのである。

  

正しい霊能、霊言現象であるかどうかを判断する基準

あの世とこの世との関係 霊界の法則

無神論者は、あの世 霊界はないというのがあの世はある。あの世とこの世とを通ずる法則がある。その一つが 類は類で集まる。 という法則である。例えば一万ボルトの電流をそのまま家庭の電気として流すことはできない。流せば爆発する。だから変電所を通して電圧を下げるのである。

あの世には、つぎのような段階がある。
 人間は、いろいろな霊の段階からこの地上に肉体を持つ、肉体として生まれれば人間はみな同じような格好をしているから、見た形は同じである。
見た形は同じであっても、持っている魂は一人一人違うのである。
如来界の人の魂が憑ってくるとすれば、その人も如来界の魂の持ち主でならなければならない。
神界というのが、人間としての持つべき標準の魂の世界で、地球全体の平和、調和を考えることが出来、慈悲、愛の尊さもわかる。
しかしそれは頭で知識として分かっているだけで実践がない。いうこととやることが違うのである。口でいうことはりっぱであるが、やることは自己本位のところがある。新興宗教の教祖となる人達は大抵この段階である。
例えば、口では、宗教は金はいらないというが、実際には金集めをするのである。
 

魂に段階があるということは、宜保愛子氏の例でよく分かる。
宜保愛子氏は、自分で、私の魂はビルの一番高い所位までしか上がれない。それ以上へはゆけないと自著に書いていられる。だから宜保愛子氏に見える霊は、地上に執着を持っている地獄霊だけであって、天上界の明るい高級霊の世界は見ることはできないのである。 
正しい霊能現象というものは、人類を救いたいと念願していられる如来界、菩薩界の高級指導霊、最上級高級指導霊が、肉体を持った高級霊を、小さい時から訓練して、最初は低い段階の霊を憑けて、次第に徐々に高い段階の霊を憑け、肉体的にも人間としても常識的に成熟した段階で最高級指導霊、上々段界の指導霊が憑ってくるのである。
その事を一番よく書いてあるのが、生長の家教団で発行した「天と地とを結ぶ電話」
アガシャと名乗る最高級指導霊が、リチャード・ゼナしにうつってきた氏に憑って来たことを書いた本である。今この本の版権は私が持っている。
日本にはこのような例はまだない。
今まで、なんの宗教的な知識もなかった人間に、突如として釈迦、キリストの霊が憑ってきていわせることは絶対にない。
例えば、今までノイローゼでないかと思われていた人間に、釈迦、キリストの霊が出てこられることは絶対ない。

私が「高橋信次霊言集」に疑問を持つのは、果たして、本当に高橋信次先生の霊が出て来て、いわせられたのであろうか、ということである、私はウソだと思っている。これは大川氏が、高橋信次先生の本を何冊か読んで、それを記憶して置いて、恰かも高橋信次先生の霊が憑ってきたように眼をつむって、記憶していたことを喋っただけにすぎないと思っている。元GLA会員の中にもそういう人がいた。
それで私は、果してそれが本当かどうかを確かめたいと思って何回か大川氏に一対一で会いたいという手紙を出したが一ぺんも返事は来なかった。

高橋信次先生は過去世にインドで釈迦であった方である。如来界の方である。そのかってお釈迦さまであった高橋信次先生の霊が、大川隆法氏如き(失礼かもしれないが)人間に出てこられる筈はないと思った。
本当に高橋信次先生の霊が出てこられるのであるかどうか、それを確かめたいと思うのは弟子として当然であろう。本当にそうであったら大川氏は私を呼ぶべきである。

本当に霊が憑ってきたのであるか、それを確かめる方法がある。その方法を取らないで、唯本人が口でいっていることは信用にならない。
例えば、大川氏の霊言集
「親鸞です」 「内村鑑三です」 「谷口雅春です」で始まっている。
大川氏の霊言集の中で、実際に私が知っているのは元生長家教団教祖谷口雅春先生と、GLA高橋信次先生の二人である。顔つきも、身体つき、話される言葉のイントネーションもみな知っている。
霊が憑ってくるということは、その霊が完全にその肉体を支配し、声帯を支配することである。
例えば、私が昭和六二年、ロサンゼルスのアガシャ教会に行った。そして降霊界があった。霊に降りてきてもらうためには、そこに集まって来ている人達がそれぞれに心を浄化しなければならない。そのための儀式がある。

大川氏は、いろいろな方々の霊が出て来るというのであるが、心を浄化するための儀式を持っているのであろうか。私には持っているとは思われない。その心の浄化の儀式もなし二、「それなら親鸞上人に語ってもらいましょうか」といって眼をつむって、霊が憑ってきたように見せかけるだけではないか、いわゆる詐術ではないかと思っている。だから、一ぺんその状況を見たいと思っているのである。見れば一ぺんでホントかウソか分かる。

アガシャ協会では、主宰のサルバット師が霊憑り代になられた。例席した者も全部儀式に順って心を浄化した。
サルバット師の表情が変わった。高級霊が出てくる時は、予め、憑り代となる肉体が、その霊が憑って行った時に霊圧に耐えられるかどうか、指導霊をまず憑かせるのである。
サルバット師が深い瞑想に入られた。頬がにっこり微笑んだ。口が開いた。言葉が飛び出した。四、五才頃と思われる日本の少女の霊である。サルバット師は普通は日本語は話せない。しかし、霊が憑ってくると完全に声帯を支配して子供の声になるのである。口をつぼめて「オホホッ」と笑い出された。
その少女の霊は去った。
サルバット師の表情はきびしく、しかも穏になった。
霊が憑ってくる時は、長いソファーかベットに横たわって、本人の意識はなくなるのである。大川氏はどんな姿勢をしているのであろうか。

声が出た。列席したアガシャ教会の人々はそれがリチャード・ゼナー師の霊であることがわかった。そこにリチャード・ゼナー師の未亡人が来ていられた。その未亡人が呼ばれた。その時、サルバット師は無意識のうちに眼はつむったまま、リチャード・ゼナー師になっているのである。
未亡人が「おなつかしゅうございます」とサルバット師のひざをさすり、手を取られる。そして眼はつむったままにこにこして、
「わたしが早くあの世へ帰って苦労かけました」とねぎらわれる。そして、「わたくしが、やがて日本からソノガシラという人がここに来ると予言をしたのは一九六七年〈昭和四十二年〉でしたね」
「ハイ、そのことはよく記憶しております。今、その方がここに来ていられます。」

昭和四十二年、私はその時、生長の家教団飛田給練成部長をしていて講義していた。
突如として天から、「そなたはやがてアメリカに行くことになる」という声が聞こえてきた。その頃の状態で、私がアメリカに行くなどという事は全く考えられなかった。その頃すでに私は、「いづれ生長の家はやめなければならない」と考えていたから、生長の家の関係で行くことはないであろうと考えると、どうしてアメリカに行くことになるのか、皆目見当はつかなかった。

それが昭和四十七年、成長の家教団をやめて大阪吹田市のトールス教団に移り、昭和四十八年、高橋信次先生に出会い、昭和五十一年、高橋信次先生が昇天され、昭和五十三年、正法会〈国際正法教会〉を設立し、昭和四十二年の天上昇からの声に順って、昭和六十一年、ロスのアガシャ教会に行ったら、アガシャ教会の人々は、「やがて日本から『ソノガシラ』という人が来る」ということは知っていられたのである。アメリカの人達が、「ソノガシラ」「ソノガシラ」と発音していられると、その内に「Son of Agashiya」と聞こえてきて、私が行くということを通知しておいたので、特にゼナー夫人は、「アガシャの息子が帰って来た。」と抱きついて来られたのであった。
そのようにして降霊会、霊が憑ってくるということが、どのようになるのであるか、よく見て知っているから、大川氏が、いろいろな方の霊が出てくるといっているその現場を見てみたいと思うのである。

もう一つ大川氏と対決したいと思っていることは、本当に霊が出てきていわせるのかどうかである。
先にロスのアガシャ教会の降霊会のことで書いたように、霊が出てきていわせるという現象は、出てくる霊が、憑る人の全肉体、全精神を支配することなのである。
 

高橋信次先生の霊が憑ってくるとどうなるか。

高橋信次先生はインドで釈尊であった方であるから、大川氏の心は釈尊と同じような悟りの状態でなければならない。
霊が憑ってくると顔つきが高橋信次先生に似てくる。
そして、声が、そのイントネーションが、その場の雰囲気が、変わって来なければならない。高橋信次先生そっくりになって出るのである。

例えば高橋信次先生は浪花節が好きであった。ある年の新年宴会で、壽々木米若の霊を入れてみますといわれて「佐渡情話」の一節を唸なれた。それは米若そっくりであった。
それで大川氏に高橋信次先生の霊を呼び出してもらって、高橋信次先生が得意であった「小諸追分」を歌ってもらうのである。
果たして高橋信次先生そっくりの歌い方になるかどうか。
大川氏が「とても歌えません」といったら高橋信次先生が出て来られるというのは真っ赤なウソだということになる。

高橋信次先生は、長野県の佐久の出身であったから、高橋信次先生の言葉の中には信州訛があった。大川氏に高橋信次先生の霊をいれてもらって話をしてもらう。その時の話し言葉が、大川氏は徳島出身だから、徳島訛りがあったり、関西弁の調子があったらそれはウソである。

また、高橋信次先生と私との間で、二人だけで話をした、他の誰も知らない話があるのである。その話を大川氏に憑って来た高橋信次先生の霊にたづねるのである。「そうでしたね、あの時はこうでした」と答えることができなかったらそれはウソである。

さらに大事なことを聞けばよい。
今になってGLAの講師達は、「高橋信次先生は、高橋佳子先生を後継者にといって亡くなられましたといっているのである。」
後継者にといわれた高橋佳子氏は、「ミカエル宣言」をして、「釈迦もキリストも人類を幸せにする法を説かなかった。仏教、キリスト教はローカル(地方)宗教であって世界の宗教ではない。高橋佳子は高橋信次の心臓部分であって、高橋佳子が出た以上高橋信次はぬけ殻である」といった。
このことについて、高橋信次先生の霊はどう考えていられるか聞いてみたい。

さらに、霊が憑って来た時の状態は、その肉体と精神の支配権を全部委せているのであるから、大川氏の肉体はそこにあっても、その心を支配し、その口を支配しているのは高橋信次先生なのであるから
「高橋信次先生の霊よ、あなたはこの大川氏に憑られたことがありますか」と聞けばよい。
 

心霊の法則を全く知らない大川隆法

大川氏がいろいろな霊言集を出し始めた時「大川隆法は心霊の法則も知らないので、子供欺しみたいなことをする。また、その他愛もない手口にひっ掛かる日本人も多いもんだ、いい年をして、大学も出ているというのに、ひとかど社会的な地位もある人が…」と思った。
多くの人々は、本当に霊が憑ってくる正しい霊能現象と、霊をおもちゃにしている霊媒現象(例えば、青森の恐山の”いたこ”等)の区別を知らない。

一人の人間にいくつもの霊が出てくるというのは、霊媒現象であって、こういう現象を起こさせるのは動物霊か地獄霊の作用であってわれわれはこういう現象を認めない。
断食したり滝に打たれたりして、”観世音菩薩が現れた。不動明王が現れた”といっているのも、動物霊、地獄霊のしわざである。
こういう現象をじーっと見つめていると姿を見せなくなる。こういう現象を”動物霊が変化”したという。
”観世音菩薩”を拝んでいるといっても、実際は動物霊、地獄霊信仰をしている人が多いのである。

いろいろな霊が出てきていわせるという霊能現象に於いては、果たしてそれが正しい霊であるか、動物霊や地獄霊ではないのか、それを審判する審神者(さにわ)が必要なのである。

光の指導霊が人を通じて霊言させようという場合は、一つの指導霊は一人の人を限定して、その人が自分の指導に耐えられるように、子どもの自分から訓練して、自分の指導し易いようにその人を育てる。そうしてもうこれでよいという時になってはじめて名乗りを上げて霊言をさせるということになる。

大川氏の霊言をわたしがウソというのは、大川氏は小さいときからそのような霊的訓練を受けた形跡はなく、また、一人の人間に段階の違う霊がつぎつぎに出てきて支配することはないからである。
私のいうことが嘘だといわれるなら大川氏を一人、何人かの前に引き出して。
内村鑑三先生の勉強している人が、内村鑑三先生の霊を出して下さいといって出させて、「内村鑑三先生はどんなことを教えられましたか。」と質問するのである。そして「内村鑑三霊言集」に書かれていることとそっくりなことをいわれるか。

或いは、生長の家教団の会員は、谷口雅春先生の霊を出して下さいといって出してもらって「谷口雅春先生は何を説かれましたか」
と聞くのである。そして、 「内村鑑三霊言集」と比較してみるのである。
 

大川氏は一連の霊言集を書く時、何人かの側近の前で、霊を浄化する儀式もせずに、瞑想するふりをして、
「ハイ、今度は親鸞の霊を・・」
「ハイ、今度はイエス・キリストの霊を出しますよ」と
遊び半分の気持でいったのだと思う。
そんなふざけた態度の人間に、光の大指導霊といわれる如来界の方々の霊が出て来られる筈はない。
日本の心霊学者ではまだやっているということを聞かないが、その霊が正しい霊であるかどうか、その霊が出てくるという人の霊が果たして同一の正しい霊であるかどうかを確かめる方法をして取っているのが”交叉証明”である。

普通、欧米の心霊学会で執っている方法は大抵三人の霊能者〈場所を違えて〉を選ぶ、最初の霊能者に、その人〈霊〉が持っていたものを示して、その霊に「これは誰の持ち物であるか」を聞く。そしてぴたっと当てればその出てきた霊は確かに「○○霊」であると判定する。その持ち物を、その霊能者とは違った土地にいる、第一の霊能者の全く知らない第二の霊能者に示して、「それは誰の持ち物であったか」を聞く。そして同一人物のものであるといった場合、第一の霊能者に出てくる霊は、まさしく「○○霊」だと認定する。こうした交叉証明を得ないものは認めないのである。
 

大川隆法氏に、高橋信次先生の霊が出てくるのは本当かを確かめる実験

本裁判に於いては、最低、このことだけは法廷で実験してもらいたい。
高橋信次先生の生前の持ち物を、例えば、時計なら時計を、それとよく似た同種の時計といっしょに(五個位でよい)並べるのである。
そうして大川氏に高橋信次先生の霊を呼び出してもらい「先生が生前愛用していられた時計はどれですか」と聞いて選ばせるのである。一回だけではまぐれ当たりということもあるから、品物を変えて十回くらい実験するのである。その内、一回でもはずれたらダメ、十回とも全部当たらなければいけない。

大川氏が、高橋信次先生の霊が出てくるといったのは、それは、大川氏自信が自分でいっているだけで、誰も果たして、そうであるかと判断する交叉証明を経ていない。
そう言うものは、その人の寝言、狂言としか認めないのが欧米の心霊学会である。

そういうことをしなくても、一ぺんでわかる方法がある。
大川氏に高橋信次先生の霊を出してもらって、GLAの高橋一栄氏(未亡人)高橋佳子氏(長女)と対面させるのである。そして、大川氏のいう声が生前の高橋信次先生の声であるか、そして、生前の夫婦、親子間の限りなくなつかしいという感情が起こってくるかどうか、実験してもらえばよい。
高橋一栄、佳子氏が出廷しないというなら私が実験する。
私が霊道を開いたとき、高橋信次先生と私とは、釈尊在世当時使っていた古代インドのマガダ語で話をした。
それで、大川氏に出してもらった高橋信次先生に、私がある事をマガダ語で話しかける。それに対する的確なマガダ語で返されるかどうか。
日本人はそうした心霊界の約束事を全く知らない。本人が「キリストが出て来られました」といえば、それだけで、「そうか」と信じてしまう。果たして本当にそうであるかを確かめるということをしない。

高橋信次先生が亡くなられた後、高橋信次先生が出てきて語られるというので有名になった藤原というおばあさんがいた。
巣鴨で石材店をやっていた小島惣吉さんが司会で、その藤原さんといっしょに巣鴨信用倉庫の二階で合同講演をしたことがある。
私は礼を尽くして 重対し、その藤原さんの話をよく聞いた。私が話をする番になったら、何十人か集まっていたその前の講師席で、会の始まる前に出されたお茶菓子をむしゃむしゃ食べて、食べ終わるとこっくりこっくり居眠りを始めた。
こういう礼儀も知らない常識もないおばあさんに、かつてインドで釈尊であられた方のような、如来界の最高級光の大指導霊が出て来られる筈はない。
その外、関西に、九州に、高橋信次先生の霊が出てこられるという人間が何人かいたが、その人たちに「私に前で出してみて、わしが本当であるかどうかを検証する」といったら誰も出てこなかった。 

大川氏には、「私と一対一であって、それが本当であるか」を証明してほしいと、今までに何通も手紙を出したが返事はない。
「貴様に本当に高橋信次先生の霊が出てこられるのであれば、私も考え方を変える」とまで書いてやったが、返事はない。

心霊のことについては冷静な智慧の判断を必要とする。言葉だけで扇動されてはならない。
私は、私のところに集団で押しかけてきた幸福の科学の会員に、「幸福の科学の会員はみんな馬鹿だ。低能だ」といった。
その理由はこうである。私は高橋信次先生の弟子であったから、高橋信次先生のことについてここでは述べる。

例えば「高橋信次先生霊言集」は大川氏に高橋信次先生の霊が出てこられて、いわせられたというものである。
ここで錯覚しないようにしてもらいたい。
口で言っているのは大川氏の口であるけれども、霊が憑って来たという状態は、肉体的な支配権も、心、霊的な支配権も全部、その両方の支配権は、憑って来た霊にすべてを委かしている状態であって、いっているのは高橋信次先生であって大川隆法氏ではない。
このことに注意しなければならない。
いっているのは高橋信次先生であって、大川隆法氏ではない。だから大川隆法氏という独立した人格者は何を教義をしているのか。
そのことを問い訊す必要がある。

いろいろたくさんの霊言集を出しているが、「それはそういうことですが」そういうだけのことであって、「ところでいろいろそのような霊言集を出されて、あなたは何を説こうとしていられるのですか」というまでのことである。大川氏が何を説くかということは一向に見えてこない。
卑近な例でいえば、
どこかの霊能者に○○の先祖の霊が出て来るという、その口を通していうのは○○の先祖の霊であって、その霊能者の言葉ではない。
憑ってきている○○の先祖霊とその霊能者とは別人格である。

だから、大川氏の場合、その霊言集はどうでもよい。(どうでもよいということはないが)それはそれとして、大川という姓を持つ一人の人格を持つ者に対して、
「あなた自身は、どのような教義を説くのか」というのである。
どんな霊言にも依らず、大川氏自身の説く教義はどこにも見出すことはできない。
それは恐山のいたこが、いろいろな先祖の霊が語るといっているのと同じように、先祖たちの霊に代わって、キリスト、親鸞、谷口雅春、高橋信次等という霊を持って来ただけの話である。
そういう霊媒現象を宗教とはいわない。極言すれば、幸福の科学は宗教団体とはいえない。


人間一代のうちに、霊が入れ代り、人格が代ることは絶対ない。

肉体は肉体の法則に従って、幼児から少年へ、青年へ、大人へと変化してゆくが、心、精神、霊も成長することはあっても、その肉体を支配している霊即ち人格は変ることはない。
十代のとき、借金したのは、五十代になってもその人が借金したからです。人格は変らない。しかし大川氏は何回も人格が変わったと主張するのである。そういうこと事態が、大川氏は何も悟っていない証拠である。
てっとり早くいうならば、気狂い、精神異常というべきである。
本裁判に於いては、裁判は、人一代のうちに、何回も人格は入れ代るというのか、もしそのように主張されるならば、それが正しいということを立証してもらいたい。

幸福の科学の歴史を見ると、幸福の科学設立の初期、大川氏は次のようにいっている。
「高橋信次先生は、関西講演会で、関西から後継者が現れるといわれた。高橋佳子氏は、”ミカエル”を名乗って自ら後継者じゃないといった。自分がその後継者である」そういって高橋信次先生の後継者であると宣言した。
この場合、高橋信次先生は高橋信次先生であって、大川氏は大川氏であって明らかに人格は違う。

しかし、「高橋信次先生霊言集」を出し、「高橋信次の新復活」を出し、「仏陀再誕」を出すに及んで大川氏は自分を「仏陀」であり、「釈迦大如来」であると自称するに到った。
釈迦という人格を持たれる方はこの世界に一人しかいられない。
高橋信次先生は釈迦の生まれ変わりであった。即ち釈尊その方でいられた。その高橋信次先生のは話を大川氏は幸福の科学を発足する以前に聞いているのである。そのとき大川氏はノイローゼであったらしいと多くの人がいうのである。

すると、同じ時期に釈尊といわれる方が二人いられたということになるが、そんなことは絶対ない。どちらかがホンモノであり、どちらかがニセモノである。

大川氏は「釈迦大如来」だといっているが、最初、高橋信次先生の教えを聴きに来た一青年。この時には明らかに釈尊とはいえなかった。ノイローゼではなかったのかといわれていた青年が、それからどのような修行をして釈迦大如来になったのか。その悟りの経過は全くわからない。

人類が救われるのは、いかにせば、悟れるのかというその経過であって、釈迦大如来になってしまってからのご託宣だけではない。
釈迦とは全く違う人格として徳島県で生まれた青年が、どのようにして釈迦という人格を持つことができたのか。
一つの人格者として肉体を持った人間が、その肉体を持ちながらどのようにして別の人格者となることができるのか、その点をはっきり示して欲しい。

そして、今度は「神だ」といっているのである。釈迦であった生命が、いかにすれば全知全能の神となることができるのか。
神は大いなる慈悲と愛の持ち主であり、神はすべてのものの罪を赦す存在である。
その神が、欺しの心、慈悲も愛の心もなく、ノイローゼであったらしいと書かれてなぜ怒って、傷つけられたといって私を裁判にかけるというのか。

裁判は俗人を裁くところである。自分のことの是非に関する問題を、なぜ俗人の社会秩序を保つためのその裁判に委ねるのか。
裁判に委ねるという行為、そのことが大川氏は「神ではない」ということの証拠ではないのか。
心の広い俗人の人格者は、たとえ、人からいろいろいわれることはあったとしても、それに腹を立てて、名誉を傷つけられたということは全くない。まして裁判に掛けるというようなことをしない。

釈尊は、
「小人はせせらぎのようなものである。さらさら音を立てて流れる。
悟った人は深い渕のようなものである。
青く澱んで流れないように見える。」
といわれた。

 大川氏は、自ら悟った神だといわれる。
大川氏から見ると、私は小人だということになるであろう。その小人がいったことを、悟ったと称する。しかも、神だと称する人が名誉毀損だと騒ぐことは、自ら悟ってはいない、神ではないということを、自ら告白していることにならないであろうか。

釈尊は、
「いうことと、やることの違う人間を信じてはならぬ」
といわれた。
大川氏よ、あなたはいうことと、やることが違っているのではないのか。
ましてあなたは「釈迦大如来だ」といっているのであるから、あなたがかつてインドでいったことではないのか。インドではそういったが、今生では違うといわれるのか。

しかし、高橋信次先生は、前世インドでもいわれたが、今生でも我々にそのように説かれた。
インドの釈迦、そして高橋信次先生と、今生で「釈迦大如来」とも自称している大川氏と、釈迦と名乗る人物が世界に二人いる。
我々はどちらの釈迦を選ぶべきか。
 

「今なぜ正法か」をなぜ書いたか 

 幸福の科学が、正しい宗教団体であるかどうかは、この小冊子を読めばわかる。
幸福の科学を脱会して「虚業教団」を書いた関谷皓元氏は、幸福の科学を脱会した人々全部にこれを読ませたいといっている。
幸福の科学は、この本に書いてあることの方が大打撃をうけるのであって、「大川高法はこう読め」を、しかも時期はづれになってから問題にしないで、「今なぜ正法か」を裁判にしなかったのか。

「今なぜ正法か」を書いたのは、福井県加賀温泉の人から
「私は幸福の科学の会員でしたが、幸福の科学の間違いに気づいて最近脱会しました。
 しかし最初幸福の科学に入会したとき、これこそ正しい教だと思って一〇〇人ばかりの人に大川氏の本を送って入会をすすめました。
しかしその間違いがわかりました。
その一〇〇人の人に、一々脱会の理由を書いて出すことは不可能です。それで幸福の科学のどこが間違っているかを、短くまとめて小冊子にしていただけませんか、そうすれば手紙といっしょに入れて送られますからといってきた。

「今なぜ正法か」は、幸福の科学会員を目標にして書いたものである。だから本裁判の審議に当っては、この小冊子を読んで、宗教的に私が如何なる立場に立つ者であるか、私の宗教観をしっかり把握理解してから当って欲しい。私は些々たる個人感情で言動したことは一回もない。
幸福の科学の間違った教義とその行動によって。何百万という人々が苦しみ悩んでいる。幸福の科学は、表面的には人を救うと自称していながら、その裏側では沢山の被害者をつくり出している。

高橋信次先生から正しく正法を聞いた私としては、大川氏は高橋信次先生の名を詐称しながら(ということは、大川氏は頭脳知を利用した宗教的大詐欺漢である。この大詐欺漢に八百万人もの日本人が欺されているということは、それだけ日本人の宗教に対する知識の程度が低いということであり、経済的には世界一になりながら、日本人の宗教心はまだまだ低いということであり、幸福の科学に欺されたという経験を踏みつつ、宗教心を深化してゆく一つの段階だと思っている)多くの人を苦しみに落している現状を無視するわけにゆかず、それらの人々を救わずにはいられないという衆生済度の大慈悲を持って、単に幸福の科学の会員のみならず、宗教によって被害を蒙っているたくさんの人々、そういう人々だけでなく、何が正しいのかの判断力もなく、人を困らせようと思っているわけではないが、事実として結果的に人々を困らせ悩ませている宗教団体をも救う目的を以って書いたのが、「今なぜ正法か」である。
信仰している人、これから信仰しようとしている人々はぜひ読んで欲しい。
読んでゆかれるならば、ひとりでに「如何なる宗教が正しいか」が判然として救われてゆかれるであろう。


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幸福の科学学園:大津の住民ら、建設反対署名提出 知事へ3万人分/滋賀 [毎日新聞]2011/08/27

2011/08/28 01:50  Category:ニュース

幸福の科学学園:大津の住民ら、建設反対署名提出 知事へ3万人分 /滋賀
毎日新聞 2011年8月27日 地方版

 学校法人「幸福の科学学園」(栃木県)が大津市に計画している関西校について、住民団体「仰木の里まちづくり連合協議会」が26日、嘉田由紀子知事に学園建設に反対する約3万人分の署名を提出した。嘉田知事は「県私立学校審議会の判断を待って決定する。法的に問題がなければノーと言う権限はない」と答えた。

 同学園は「住民の理解を得られるよう誠意をもって説明していきたい」とコメントした。
【加藤明子、村瀬優子】
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20110827ddlk25040509000c.html

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幸福の科学学園建設反対署名 知事へ提出 [びわ湖放送]2011/08/26

2011/08/28 01:49  Category:ニュース

幸福の科学学園建設反対署名知事へ提出
アミンチュてれび(びわ湖放送) 2011年08月26日(金)

大津市仰木の里に建設が計画されている「幸福の科学学園」について、地元の自治会などで組織する住民団体が3万人を超える署名を嘉田知事に提出し、学園の建設反対を訴えました。
きょう、県庁を訪れたのは地元の自治会などで組織する仰木の里まちづくり連合協議会の岩本香会長代理ら3人で、嘉田知事に「幸福の科学学園」の建設反対を求める3万999人の署名を提出しました。そして、建設に反対する理由や、県に対する要望などについて嘉田知事と面談しました。

宗教団体「幸福の科学」では、大津市仰木の里に平成25年4月の開校に向けて全寮制の中高一貫校「幸福の科学学園」の建設計画をすすめていますが、近隣住民らは、地盤など防災上の問題や地域との連携が持てないなどとして計画に反対しており、先月19日には、大津市長にも署名を提出して建設反対を申し入れています。

署名提出を受けて嘉田知事は、学校の設置認可について協議する滋賀県の私学審議会については、「第三者機関で公正に審査していただく」と伝えた一方で、「法的にOKなら、知事としてNOとは言えない」として、学園設置に法的根拠がなければ県として対応が出来ないとの見解を示しました。
http://www.bbc-tv.co.jp/houdou/news/news_detile3.php?newsid=19043


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「幸福の科学」では「悪霊」呼ばわり 大川隆法総裁夫人「離婚トラブル」=週刊文春2010/12/16

2011/08/26 18:09  Category:雑誌記事

『週刊文春』2010.12.16
「幸福の科学」では「悪霊」呼ばわり大川隆法総裁夫人「離婚トラブル」高輪署に駆け込んだ!
独占スクープ

夫妻  しろがね邸

昨年、幸福実現党の党首として表舞台に登場した総裁夫人が公の場に姿を見せなくなって十カ月。教団内では「伝道を妨げる悪妻」と糾弾され、役職から下ろされていた。夫人の身に何が起こったのか。小誌は渦中の夫人を直撃。巨大教団のスキャンダルを追った──。


 「幸福の科学のホームページから、大川隆法総裁(54)の妻で教団ナンバー2の、きょう子夫人(45)の名前が消えました。著作もすべて絶版です。
 そればかりか、港区白金にある別居中の住まいを大川総裁が教団に寄付するというイヤがらせを行った。立ち退きを迫られたきょう子夫人が、最寄りの高輪警察へ泣きながら駆け込んだという話もあります。
 以前から不仲がウワサされてきた大川夫妻ですが、ついに離婚に向けた話し合いが始まったようです」(宗教ジャーナリスト)

 秋田県の開業医の家に生まれたきょう子夫人は、東大文学部英文科在学中に入信。大学四年のとき大川総裁と出会い、結婚に至ったいきさつをこう語っている。
 《最初の啓示から『大川隆法と結婚する』ということで、これは大変だと、事務局長さんに相談したんです。すると先生(隆法氏)が私の名前を聞いて『ああ、自分の霊界通信でも結婚すると言っている』と言うので》(『女性自身』〇九年六月三十日号)
 ハ八年に結婚後、大学三年の長男から中一の二女まで五人の子どもをもうけている。
 教団においては主宰補佐、副総裁、立宗名誉補佐、女性会員の組織であるアフロディーテ会会長などを歴任。教団では大川総裁ときょう子夫人のみが霊能者とされ、実質的に夫婦二人で切り盛りしてきた。

 きょう子夫人が表舞台に登場したのは昨年の総選挙のこと。幸福実現党の二代目党首に就任した。大川総裁は、十八年ぶりにマスコミの取材を受けた『文藝春秋』昨年八月号で、夫人を起用した理由を、
 「やはり能力と知名度です」
 と語っている。夫人評は、こう続いた。
 《少なくとも麻生太郎や鳩山由紀夫より、ウチの家内は優秀です。(略)日本の女性には珍しいくらいに、物事の白黒をはっきりつけるし、指揮命令も明確。大軍を動かす将に向いています。サッチャーやヒラリーなど、女性の政治家もいるけれど、家内はヒラリーみたいに軟弱じゃない。とても怖い存在ですよ》
 こんなに持ち上げられたのに、きょう子夫人は、投票日のひと月前に党首の職を解かれた。そればかりか、立候補予定地をたらい回しされたあげく、結局は候補者名簿から名前が消えた。
 今年の参院選でも、まったく顔を見せていない。

 「内部でも、夫人が姿を現したのは今年一月二十九日が最後です。『悪魔との対話』という『公開霊言』の収録で、霊媒役を務めました」(幸福の科学関係者)
 坂本龍馬や松下幸之助ら歴史上の有名人から、菅首相や金正日など存命の人物の守護霊までもが大川総裁に降りてきて、日本の進む道や人の生き方を語った、という本がシリーズで出版されている。それを会員の目の前で行なって録画するのが「公開言言」だ。
 「普通は総裁自身が霊媒役なのに、あの時はきょう子夫人に悪魔ルシフェルの霊を降ろして語らせたんです。つまり、わざと悪役をやらせ、きょう子夫人はそれを引き受けたということになります。
 この日の霊言は『エクソシスト入門』という本になりましたが、以後十カ月、きょう子夫人の消息はまったく不明のまま。内部では『ルシフェルの霊が憑依してしまった』と説明されました。(同前)

 会員の間にさらに動揺が広がったのは、先月二十七日のこと。日本全国の支部に衛星を使って映像が配信された幹部向けの霊言「文殊菩薩との対話」が、司会者のこんな言葉で始まったからだ。
 「エル・カンターレ信仰確立の上で、いま大きな障害が発生しています。それは、大川総裁夫人のきょう子さんです。きょう子さんは〇八年に『信者に愛を注ぐより、妻である自分に愛を注ぐべきだ』と言いました。これに対して主は、妻のきょう子さんでなく、信者のみなさんを選ばれた」
 エル・カンターレとは幸福の科学の本尊で、釈迦の生まれ変わりと称する大川総裁自身をも指す。


「汝は生ける悪霊なり」

 続いて大川総裁が、
「家庭がうまくいっていない。いま私は子連れ狼状態で、五人の子どもを育てながら全国行脚をしています。きょう子は、建ててあげた自宅に住んでいる」
 などと挨拶し、
「大川きょう子の守護霊にして過去生の文殊菩薩よ、幸福の科学に対する批判、大川隆法に対する批判を開陳して、忌憚(きたん)のない意見を述べてください」
 と呼びかける。やや間があって、文殊菩薩の霊が降りた大川総裁自身が、女性の口調で話し始めた。
 「幸福の科学の原点は夫婦神信仰なのに、エル・カンターレ信仰になったら、私だけ信仰がなくなって暴走しちゃうじゃないですか」
 以下、質問者との間で、こんなやり取りが続く。
───東大を出ることより、教祖様の妻になるほうがどんなに価値があることか。
文殊菩薩 「田舎では、そんなの通じないんだ。救世主もエル・カンターレも、誰も知らない」
───ではどうして、総裁先生に強引に結婚を迫ったんですか。
文殊菩薩 「強引に迫っていません。デートして『結婚しないと言うなら、会員にウワサを流す』と言っただけ」
───それは脅したということですよね。
文殊菩薩 「そうです」

 繰り返すがこれは、きょう子夫人の守護霊である文殊菩薩が、大川総裁の口を借りて語ったという内容だ。
 この霊言に続き、「悪妻封印祈願」と題する祈りが全員で唱和された。この文言もまた凄まじい。
 「幸福の科学の発展を阻害し、夫婦問題、家庭問題にすり替えて伝道を妨げる悪妻よ。
 汝、この世に生まれて来る必要なし。恥を知り、反省せよ。夫のユートピア活動を妨げる悪妻よ。
 汝は生ける悪霊なり。ただちに懺悔し、改心せよ(以下省略)」
 前出の幸福の科学関係者が語る。
 「きょう子夫人は、『生ける悪霊』とまで言われてしまったのです。この日以来、会員の間で、離婚説が信憑性を帯びて語られるようになりました」

 小誌は消息不明とされたきょう子夫人を探し当て、話を聞いた。
──警察へ相談に行かれたのか?
 「自宅を巡って追い出しをかけられていて、看板のかけ替えの工事を強行すると言ってきたので、高輪署に駆け込んで助けを求めたのは事実です。その件については、弁護士に頼んで仮処分を申請している最中です」
──教団内で、いろいろ悪く言われているようですが。
 「知っています」
──現段階で、離婚は成立されていない?
 「ええ、まだ話し合いの途中です」
 その家の登記を見ると、たしかに今年十月二十一日、大川隆法総裁から幸福の科学へ、土地建物とも寄付されている。
 幸福の科学グループ広報局に尋ねたところ、
 「きょう子氏は十月二十八日付けで勇退(還俗)しました。会員籍と幸福実現党の党籍はあるが、双方とも肩書きはありません」
 とした上で、こう説明した。
「現在、きょう子氏に対して信仰面に関する指導を行なっております。総裁ご夫妻は、夫婦であっても根本的には師弟関係であるからです。
 指導とは第一に、信仰面の問題です。幸福の科学の信仰の中心は『エル・カンターレ信仰』ですが、きょう子氏はそこに、自分の守護霊である『文殊』への信仰を入れるべきだと強く主張しているため、きょう子氏に対し『正しく導く愛』に基づいて指導しています。
 第二に、伝道方針の違いです。大川総裁は世界伝道に邁進したいと願われ、本年だけでも二百回を超える説法を行なっております。しかしきょう子氏は、年数回の説法に限るように迫り、自分以外の人間が随行することを認めず、妄語を繰り返して伝道を止めようとしています」
 このような指導が行なわれているので、著作は絶版になったとのこと。


ヒラ会員への格下げは過去にも

 きょう子夫人が抗議している家の件については、次のように説明する。
 「きょう子氏が住んでいる施設は、教団では公邸の位置づけであるため、維持管理費等も教団で運営していました。多年にわたり総裁が数多く行なっている寄付の一環として、本施設も総裁より教団に寄付されています。
 その後、きょう子氏が還俗されたため、通知書を持参して、在家であるきょう子氏が教団施設に居住することは難しく、退去の必要がある旨を丁寧にお伝えしたところ、きょう子氏が激しく異論を唱え、法的な手続きを取られました」
 さらに離婚協議について尋ねると、
「その件については差し控えさせていただきます」
 と暗に事実を認めた。

 法的な手段も含め、揉めに揉めているのは確かな様子。だが、きょう子夫人のヒラ会員への格下げは、過去にもあったという。
 「十年ほど前には、『私に仕事をさせろ。あなただけで教団の運営ができるわけない』と毎晩寝室で迫るきょう子夫人に、寝かせてもらえない総裁が根負けして、元の地位に戻しました。
 二年前にもホームページから名前が消え、本が書店から撤去されましたが、まもなく元に戻っています。しかし今回は元のサヤに収まりそうにありません」(前出の関係者)

 教団内部で何が起こっているのか? 冒頭の宗教ジャーナリストが解説する。
 「大川総裁は、きょう子夫人のある種のカリスマ性を利用してきました。総裁は滔々(とうとう)と説法しますが、きょう子夫人は絶叫アジテート型で、主婦層など違うタイプの信者を引きつけることができたからです。しかし最近は、選挙や学校設立を通じて他の幹部が台頭し、"利用価値"が薄れてきた。
 きょう子夫人にしてみれば、面白くないでしょう。自分を信仰させることで価値を高めようとし、大川総裁の反感を買ったのではないか」
 信者の前で、いわば壮大な夫婦ゲンカ。付き合わされるほうは、たまったものではなかろう。
[p34-36]


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高橋信次の最後の講演2/2「太陽系の天使達」= 『正法』サイト

2011/08/25 18:36  Category:GLA系

『正法』サイトより
1976(昭和51年)6月、東北研修会の二日目

六月五日                            

 演題「太陽系の天使達」                     

 「お早ようございます。今、皆様に差し上げました〃心行〃は昭和四十三年十一月二十二日に完成いたしました。そして二十三日の夜、午前一時、天上界で初めて〃物質と生命〃という講演をやりました。その時の司会がモーゼです。その前にミカエルが講演をやりまして、約一時間半、二十三日午前二時三十分はこの地球上に震度三の地震がありました。
 私は禅定のまま天上界にいったものですから、そばに寝ていた家内が、「今、お父さんの講演を聞いていました。」ということでした。

 そして、過日、やはり天上界に於て、色々と七十年前のこの地上界に出てくる時の模様。〃心行〃というものの成り立ちをいろいろと本になって現代は、ミカエル大天使が持っていますが、その中をめくってみますと、自分で驚ろいてしまいました。〃我、見聞し正法に帰依することを得たり〃という最初の出だしが〃我正道に目覚め正法流布のために一命を投げ出す〃という書き出しから最後が〃禅定三昧の境涯に到達せん〃、全く同じです。
 そして書いてあるものは地球的に書いて私ののはありましたが、天上界のものは宇宙的でした。これを見てホンのわずかしか違っていなかった。ですからやはり書かせられていたと言うことですね。現代もミカエルといわれる大天使が、丁度この位い厚い(二~三十センチ四角位の立方形の本の形を手で示している…ビデオ)本にして、私自身が出てくる前の計画一切、現在も書かれている本、将来も出す本、それに記録されてあります。

 実はそれは私ばかりではなく、皆さん自身の心というものをヒモ解いていけば、恐らく計画書があるはずです。それに気が付かないだけです。それに我々は色々な人生の苦しみを通して忘れてしまったんです。その為には、先づ自分の心の中で思っている事や、毎日生活していること、これの正しい物差し、フィルター、このようなものをしっかり持つ、これが正法です。このフィルターを思ったり行ったりすることについて、一つ一つ、そのフィルターにかけて、正しいものだけを自分のものにしていく、それがわかって来た時に、皆さんは本当の自分を知ることができます。

 人生は一度だけではありません。皆さんがこの地上界に出て来て、親が教えなくとも、生まれたばかりの赤ちゃんが、お母さんのお乳を吸いはじめます。人はこれを称して本能だと言っていますが、これは前に生きていた証拠です。そして赤ちゃんは、わずか、二週間や三週間位で赤ちゃんは一人で笑っています。ところが私達が心の眼で見ますと、赤ちゃんの魂の兄弟や或いは又、守護霊や指導霊達が「よかったね。しっかりやるんだよ。今度生まれる所は、君にとって厳しいかもしらないよ。大丈夫かい」「まかしといて下さいよ。約束通りちゃんとやるよ」と笑っているのです。

 そして成長するにしたがって環境や思想や習慣の中から、そんなことは、もうとっくに忘れてしまうんですね。それを今度、天上の世界から見ている魂の兄弟や指導霊や守護霊は一体どう思うでしょうか。
 皆さんは、あたかも自分一人の意思で生活しているが如く錯覚しているだけです。すべて天上の世界からコントロールされているのです。コントロールされているにもかかわらず、肉体を 持ったその個性は、或る程度、勝手なことをやります。あやつり人形です。天上の世界であやつっているのが、あ、うまくやっているな、と最初のうちは。その内に、自分の意思が働き出すと、アーまた、またパチンコ屋にはいったな。また、三十六番、出ないとわめいているな。アーまた、おかしな所へ行き出したゾ。それで悩むわけですね。
 天上の世界の悩みは、地上界へ出ている魂の兄弟や、或いは友達、こういう人達、先づ、五歳、六歳のうちは、そんなに心配しません。もの心つき、十歳、十五歳、特に、中学時代から大学、それから一部分の人は、社会に出てから、おかしいことをやり出すわけです。毒を喰い始める訳です。それまでに一杯、喰っちまうのもいるんですけれども、最近は、早ければ、小学校の三年か、四年の内に、もうおかしくなり始めるのがいます。鍵っ子ちゅうのですね。親子の対話がなくなってしまう。

 そして自分自身は、親との対話がないから、自分なりの、ものの判断で生活をしだす。ノイローゼです。そうなります と、そういうお子さんにも、そばに不調和な霊が来ております。そのものの意識に支配されるから、生きている人と話しするのもいやになっちゃう。対人恐怖症になる。段々、心の丸い豊かな心が小さくなる、暗くなる、そうして孤独になっていきます。その頃から親は、どうも家の子供はおかしいな。最近、親の言うことを聞かない。また、ガチッとやるわけですね。子供は段々また、小さくなる。こんな子供に誰がしたなんてね。子供自身は自分でつくって、自分で苦しんでいながら他人のせいにする。親不孝するようになって行くわけです。

 勿論、その家庭において反抗期という、人間の一つの成長する過程における性格的変化がありますけれども、それが、憑依現象として現われてくる場合が多いわけです。心の暗い人々は、その心の暗い分野に、その暗さに比例した悪霊、この地球上というのは丁度、ピラミッドと逆ピラミッドの中間にあるんです。即ち、天上の世界 と、地獄の世界の丁度中間的な世界が物質の世界です。それだけに非常に敏感です。
 ところが、皆さん自身が肉体を持ってしまうと鈍感になります。わかんなくなります。皆さんの、この眼の見える世界なんていうものは、ほんの小さいもの。七色の虹の世界、四〇〇〇オングストロングから七〇〇〇オングストロングの周波数の位置しか皆さんは見ることはできない。現に、虹の両極端は紫色と赤色です。赤色からは赤外線にはいっていきますね。赤外線からは電波にはいっていきます。これも見えない。それから紫色からは紫外線にはいっていきます。紫外線から熱線にはいっていく。これも見えない。ですから人間の眼が、どんなに、いいといったとこで、ほんのわずかな世界しか見ることが出来ないわけです。

 いわんや、嗅覚にしても同じです。聴覚にしても、たいしたことはありません。しかし、私は、聴えます。あの世のことまで見えます。心の耳、心の眼、心の、心の本当のものを持っていればそのように自由自在、観自在、ということになるのです。ひとごとではない。皆さんも、その力をもっているんだが、ただ、ちょっとだけ鈍感になっているだけなのです。その鈍感の理由というのは、日常生活の中で、人を恨んだり、妬んだり、そしったり、又グチを言ったり、自分と言うものの心の中は、まろやかでない。そしてイライラしている。それが、みんなスモッグになってしまうわけです。
 昨夜は、だいぶ風を吹かせました。なるべくならば、今日は雨が降って欲しくないものですから。そのようにスモッグを払うにはそれなりの作用を起さなければなりません。皆さんの場合は反省ですね。反省ということは、まず正しいフィルターをもって、自分の思ったこと行ったことを一つ一つ、振り返って見る。人間なるが故に間違いも犯す、また、間違いも自分自身の心を豊かにする、一つの菩提であるということに、たとえ間違えたからといって、自分はだめなんだといって自分を小さくしてはいけない。
 皆さんの今ある環境は、皆さんの魂をより豊かにする一つの学習の場であるとしたならば、小さなことにこだわる必要はないのです。失敗も又、成功のもとです。〃改むるにはばかることなかれ〃という諺があります。まことに、その通りです。そして、それを土台にして、より自分を豊かなものにし、同じ間違いを犯さないというようにしていくことが大事です。

 そうして今、皆さんは、こうやって原子肉体を持っているけれども、そこに、こちらから2番目の絵があります。皆さんは、もう一つの肉体を持っております。誰れもです。この中で後光の出ている人もいます。頭の毛がなくて、電気によって光っている人もいます。これは誤解の方です。本来は頭の毛があろうと、なかろうと心がきれいで太陽のように美しい丸やかな心で慈悲深い、そして自分というものを常に、自分だけではない、相手もいるんだ、常に調和ということに心掛けて正法の生活をしている人には、きれいな後光が出ております。この後光が、あの世に甦るための、皆さんの肉体なのです。

 今、ちょっとヘタな絵ですが書いてみましよう。こうやって今、禅定している人のことを考えますね。そういたしますと、皆さんの心は丁度、胸のあたりにあります。胸のあたりに、きれいに丸くなっている人とハート型になっている人と、歪みをつくっている人とあります。そして、このように丸くなっている人達の心の中には、この心の絵がありますね。智性と本能と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。丁度、風舟玉のようになっております。そして心の中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。
 これはもう一人一人あります。或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色の光の出ている人は、何かというと、もっか恋愛中ということです。それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人がいますが、こういうのは困りますね。そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダルマさんのような、きれいな光が出ております。こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。

 夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行ったり、もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。ですから、心がこうやって、丸く、感情も智性も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけですね。ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり心が丸くなかったという証拠です。何か心配事がある。何か、何かある場合ですね。更に又、この心というものは、今までは形がないんだなんて思っていたけれども、とんでもないことですね。

 私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断するんだというわけですね。確かに頭で判断するんです。だから心は頭にあるんだというわけですね。一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。その先生が「頭がおかしくなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」ということを僕の前でとうとうと言ったわけです。そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるんだよ」。ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明したわけです。「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか。」「そりゃ君、ここだよ。」「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら「それがわかりゃノーベル賞だ」もうそこまできたら、もう話しにならないんですね。

 そうして、(黒板に図で示し説明)光の方の肉体、こちらの方の見えないところの神の光よって満たされているために、心にスモッグがないから後光が出て来て、実はこれが本当の肉体なんです。皆さんの、あの世に還る舟なんです。そしてそちらにも、ちゃんと大脳も全部あるんです。ですから今、皆さんの脳細胞は受信と送信をする一つの機能にしか過ぎないのです。耳で聞きます。聞いた聴覚神経は皆さんの脳細胞の聴覚の、一つの物を聞く機能、その信号を違う次元の方に送る装置にしか過ぎないのです。ですから、今、物を見ますね。〃赤〃っていったものは、視覚神経の〃赤〃しか見られないのです。その〃赤〃自身を判読しているものは英語であろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、言葉が違うだけで、〃赤〃には変わらない〃赤〃はレッドと言えばレッドなんです。脳細胞は二百五十億あります。この二百五十億の中にそれぞれの一つの分野が神経繊維の一つは一方通行です。それでそれが記憶している訳です。ですから世界各国、〃赤〃は赤なのです。ただ言葉が違うだけです。ですから、本当に記憶しているのは光の方の肉体が記憶しているのです。

 ですから皆さんが夜寝て、夢を見ている時に、自分の肉体を自分が見ていることがあるでしょう。どうでしょう。自分の肉体は、今、寝ているんです。そして寝ている肉体の又、もう一つの肉体が活動しているのを、自分が又見ていますね。そういう経験のある人、手をあげて下さい。それは皆さんの光子体の本当の舟頭さん、その舟頭さんが見ているのです。それが皆さんの真の真我な自分です。ですから、私達の今のこの肉体というものは、本当に皆さん、この世を去っていく時によくもまあ、こんな舟に乗っていたものだと思います。

 なにしろ私達は天上界でよく会議があります。肉体を持っているのは私だけですから、まず醜いですよ。そして僕が一番、年寄りなんです。自分は若いつもりでいるのだけれども、相手側の方は皆、二十六、七歳、ミカエルが二十八、九から三十位、イエス様が三十六、七から四十歳位ですから、それですから膚の色が違うんです。握手したならば、こちらは石のようなもので、相手の方はロイヤルゼリーか何か、なんともいえない、もう違うんです。
 女性の方は、菩薩界におられる方は、何かミス・ユニバースみたいで、皆、美人です。目を覚してがっかりしちゃうわけです。ですからこの地上界の皆さん、少し位顔がまずいからといってガッカリすることはありません。いずれ天上界へ還れば、皆、美人だってことですから。我々のように、ニキビの噴火した跡なんか一つもありませんから。これは光子体の方の肉体、皆、美人ですね。もう、女の方なんか、本当に、全んど美人です。

 地獄界は別ですよ。地獄界へいったら例えば、魔王の近辺におるのなんかは、美人のような顔をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬間に、もう口はサケてしまって、そりゃ、もう、まともには見られませんよ。鬼ババアなんて可愛い方です。おっそろしい顔です。骸骨のような姿になってしまうしね地獄界は又、別の世界です。こりゃ、ミスブスなんてもんじゃない。表面がきれいだから と思ったら、とんでもない話しです。

 過日、私の家を訪問してきましたアステリアという魔王・サタンの姪が来ました。それは私の持っている法輪をパーンと投げましたら、そこに引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、この通りだよと言って、手の中に踊っていたものですから、ポンと投げて、そのまま寝ちゃったら、夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。私のフトンの中にはいって来たんです。アレ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、はいってくるの。そして、しかし丁度アンマさんにかかっていたものですから〃なんで、お前は、こんな所にはいってくるか、出なさい!〃と言った訳です。 ところが按摩さんは見えないですからね。メクラだしね。〃私は何もしてません〃と言う。それはそうでしょうね。本人はビックリしちやうわけです。こっちの方は見えちゃうし、向うは見えないんですから。「いや、あんたじゃなくて、今、外人のものすごい美人の女の人が、私の隣りへ、お見舞いに来たといって、お見舞いに来たのに何でフトンの中に、はいるのか、出れ!」と言ったんだと言ったんです。
「ハアそうですか、私はそんな積りではなくて、私は何か悪い気がしました。」「いやそれは違うんだ」と、そんなことがありました。それはもう外国の映画女優の、ものすごくきれいな女の人に似ていますね。それでも、一旦、彼女が心をガラッと変えたら、もう悪党、鬼婆です。口許は切れるは、まともには見られません。それが地獄界の実体ですね。天上界はそんなことはありません。怒りもありません。


 そして又、天上の世界の、今度は、心の調和されているエルランティという方になりますと、ここにパワートロンというものを持っています。(以下図を書きながら説明)頭にちゃんとパワートロンというのをつけています。パワートロンといいます。神の光をストレートで受けている光ですね。このパワートロンから、光がピューッとこうやって出ているわけです。ですから見ておりますと、頭からも、身体からも光が出てきておりますから、光の化身だと思えばいいですね。
 そうして、このパワートロンと、その人の、エル・ランティの心のところと、全く同じ位置、だいたい八十センチから七十センチのところに玉があります。このようになっております。これがドームです。そして、このドームからも光が出ています。やわらかい金色の光です。こういう光が出ております。大きな光ですね。

 そして、このパワートロンの光が、このように発射していると同時に、ここに今度は魂の分霊ですね。光の分霊である、イエス様、モーゼ様、カンターレ、この意識がはいっております。これから七十センチ位ですね。この頭の上から、そして例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、例えば、これがイエス様だとすると、今度、これがクルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいってくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。お釈迦様のこんど、話をしますと、こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけです。

 ですから、普通、私が講演を全国して歩いとって〃あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ〃という人が出てくるわけですね。見えちゃうから。インドの時、耳たぼなんかこんなに小さいのに、こうなってくるわけですね。眼の方が、ずーっと、こうやって細くなってきちゃう。見とって、皆んなビックリしてしまうわけです。そうすると、その人達にとって、お釈迦様に見えちゃうわけです。
 これは光の分霊っていうわけです。エル・ランティの光の分霊、この光の分霊というのが、個性を持っておりますから、そうやって出て来ますね。ところがいつのまにか、お釈迦様や、モーゼや、イエス様や、或いは又、もっと下の方の段階におるところの回教、こういうのをメシヤというわけですね。このメシヤを拝むようになっちゃった。メシヤ信仰になってしまった。これは大きな間違いですね。メシヤの説くのは神の心である法を説きに来ているのです。人間はこのようにしなければいけないんだ。メシヤ信仰ではなく、メシヤを信じることです。メシヤの言葉を信ずることです。そうして、その言葉が法なのです。その法を行ずることです。これが本当の信仰なのですね。ですから本来はメシヤ信仰であってはならない。

 仏教では、お釈迦様は絶対ですね。だからいつのまにか〃オシャカ〃なんて言葉が出来ちゃうわけです。それは困りますね。お釈迦様の説かれた法、その法を生活の中に生かすことです。そうして、自分自身が、説かれた、その悟られたメシヤのような豊かな心になるということ。イエス・キリストを拝んじまって、何んでもイエス様、イエス様。迷惑ですね。イエス様は一人しかいないんだから世界中の人が、イエス様を呼んだらどういうことになるでしょう。そこでエル・ランティーであるところのヤハベー(ヤーベー)は「汝ら、みだりにヤハベーの名前を呼ぶことなかれ。」といっていますね。それなんです。一人なんですから、呼ばれたって仕様がないんです。
 皆さんだってそうでしょう。仕事をしておって、仕事の途中で何回も呼ばれると、「うるせえなあ」ということになりますね。これは同じです。我々は、ややもすると、次元の違う世界を呼べば、何んでもやってくれると思っているがとんでもない事です。一番大事なことは、メシヤの説く、法というものを実行するということ、これが大事です。

 そして、このエル・ランティは、光そのものです。天上の世界へ行くと光そのものです。光の化身です。といって、神ではありません。神は、又、こちらにあるわけです。いまだかつて地球上に神だなんて言って出て来た人は百%嘘です。どんなものだって、神様になんかにはなれないんです。神は一つです。宇宙には神は一つです。こういう、エル・ランティと同じような人達が、宇宙に、真のメシヤという人達がおります。

 遂に、過日はM37という星があります。M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤはついに、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の、軌道修正コントロールセンターというのがあります。太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。その中心の心臓部に伝達があるわけです。宇宙的ですね。そして、真のメシヤが、それぞれの惑星の地上界に出て、皆んな互いに連絡がとれるようになって、真の調和が完成されたとき、そのメシヤが神になるのです。大変なことですね。M26、この太陽系それぞれに出て来ておりますね。今、出て来ているのは、太陽系で、一人、悟っております。M37で悟っております。M27、M26、出ております。

 このMというのはメシヤという意味で、つけたようですね。我々の出て来たところのベーター星というのも、調和されている世界、ユートピアです。その、皆さんも出て来た所ですね。ところが、今、我々が住んでいるのは、自分の住んでいる地球だけだと思っているだけなのですね。かつて皆さんは、三億六千数百年前には、そのベーター星という所から、移住民族として、地球上へ来たわけです。そして、その間に何回も転生輪廻して、まあ全んど皆さんは地獄へは行かなかったと思いますけれども、まあ、今、いるわけですね。そして、自分というものを知るようになっていくわけです。

 で、それは、何んのために、現象の世界に出て来るかというと、この色心不二といいまして、皆さんが肉体と魂を 持っているように、神の身体も、また、物質と心から成り立っているわけです。神の身体の地球という細胞を、神の子である人々と心と心の調和によって、はじめて、地球は円満に調和されていくんです。それが神の子である地球の中の細胞の一部分が、互いに争い、闘争を繰返される。即ち、皆さんのツバキ、ダ液のようなもの、皆さんは、地球の消化する、ダ液のようなもの、そのダ液の中にバイ菌がはいったら、どういうことになるでしょう。消化不良を起こしちゃいますね。同じです。

 ですから地球に住んでいる人達の心の丸くない人達が多ければ、即ち不調和な人達、法を間違えた人達が多ければ、その分野に天変地変が起るんです。神の光をその分野が失ってしまうからです。地獄が多くなれば、そのような現象が起りますね。だから恐ろしいことです。ですから、心がきれいな人達が集まれば、その集まっただけ、その環境は調和されて、光明に満たされるわけです。
 それは事業だって同じですよ。家庭だって同じです。ですから、家の中が、どうも不幸が続いているっていう人が、こん中にも、何人か来ておりますねえ。自動車事故で亡くなっちゃったとか、私は一生懸命に拝んでんのに、何んで、何んで不幸なんだろう。というのは、何か原因があるんですね。思っていること、行ってる性格を通して、何か原因があるんですね。夫婦の関係、子供の関係、その原因は、それを除かない限りは、そっからは、光明は満たされないわけです。その原因はどういうところにあるのか、それをどのように除けばいいのか、ということを私達は教えているわけです。

 ところが、普通、宗教は、そうじゃなくて、不幸があると、お前さんとこの先祖が浮かばれないんだよ。一生懸命、お経をあげれば、なおるんだよ。と馬鹿なことを言っている。又、それを信ずる。〃溺れる者、ワラをも掴みますからね。〃その原因はどこにあるかということ、その原因の根を、どのように取り除くかということに努力しなさい。出た結果に翻弄されちまってね。増々、深まりにはいって行く。だから神様、拝めば拝むほど、不幸になっていくわけです。ですから、宗教家、お坊さんとか、或いは神主さんとか、宣教師とかいう人達ね、神様を扱っている人達、偶像を拝んでいる人達の家庭をご覧になって下さい。混乱してますよ。あんなに信仰深い人が、なんでだろう、と、こう思うんですね。そういうのは本当の信仰ではないんです。皆んなは兄弟が、円満で仲良く、お互いに助け合っているのが本当の信仰なんです。

 ですから家の中で色々、まずい問題が起ったりするのは、俺達の考え方、生活のあり方に何か間違っているんだと、正しい法則を踏みはずしているんだ、先祖がどうではないんだよ。苦しんでいるのは自分達です。それを、その根っ子を考えることです。そうして、それをなおすことですね。そうすると、なおっていきますね。ここにも、そういう人が何人も来ています。ですから、その時は、拝むんじゃなくて、私達の考え方、生活の在り方、物の考え方、これらのものの修正、そのチャンスを与えているわけですね。それで、その根っ子は、どこにあるのか、その原因はどこにあるのか。その悪い面を取り除かない限り、だめ、それをただ、先祖のせいにして、先祖を拝めば、なおるんだと、それじゃ、先祖に、いい戒名をあげようじゃないかといってね。そこにパックリ待っているのが、パックリ屋ですよ。戒名のいいのをあげれば救われるなんて、馬鹿みたい。先づ、皆さんね。戒名をどんないいものをあげたって地獄は地獄ですよ。


〇〇院殿〇〇大居士というのが何年か前に死にましてね。その方が、東急の社長をやっておりまして、私の親分出してくれって、言うもんだから、すっかりゴトウ・ケイタだと思ったんです。そうしたら違うんですね。元総理ですよ。「ワシじゃ」って出て来ましてね。ノドから声が出ないわけですよね。ガンで切って死んだ総理ですから。それが地獄にいるんだから、どうしようもならないじゃないですか。名前みたら、院殿大居士ですよ。そしたら、「ワシャ、そんな名前は勝手につけたんだから、俺には関係ねえ」って「高野山へ行って聞いてくれ」って。そういうものなのです。

 皆さん名前じゃない。〃冥途の沙汰も金しだい〃なんてナンセンス。一銭の金がなくたって天上界へ行けるよ。そういうことを知って下さい。絶対に戒名なんか、どんなにいいのつけたって、地獄へ落ちるものは、地獄へ落ちるんです。名前なんか、どうでもいいんです。地獄へ行って、戒名なんか名乗っているのなんか、一人もいないから。これは日本人の、色々都合が御座居まして。戒名っていうのは本来はね、生きている内につけるんです。昔の坊さん達はね、自分の寺子屋みたいな所へ連れてきてね、正法をよく教え、仏教を教えて「ア、あなたは、大分よく勉強し、生活も変わって来ましたな、じゃ、このあたりで、今までの名前をかえて、じゃ、居士という名前を与えましょう。」「ありがとう御座居ます。お蔭げ様で、私も、心がなごみました。」そうしてなったものですね。
 それが、そうじゃなくて、日本は、死んで、しばらく過ってからね、お金持って行ってから戒名つけるんですよね。死んでいる人がわかる訳ねえじゃないですか。「あなた、どなた?」ったら、自分の本名を言うんです。〇〇院殿〇〇大居士なんて知らねえよ、なんて。同じですね、だから冥途の沙汰は金次第じゃないんですよ。それは都合の悪い人が、そう言ったんでね、だから皆さんは戒名なんて本当はいらないんです。
 生きているうちに、自分の心と行いをなおして〃よっしゃ〃と今までの名前を捨てて、新たに、生まれ変わった積りで、人生をやり直すんだと言って、名前を変えるんだったら大いにやりなさい。死んでから貰うんだったら、そんなのはいらないんです。生きている内に自分の心を改造してね、生活を改めて名前を貰う、これが本当のものですね。

 戒名とはインドの当時、ブッダの弟子に、シャーリー・プトラ(註 般若心経の中に舎利子とある人、舎利佛)という男がおります。彼はウパテッサという名前でね、どうもウパテッサというんじや、うだつがあがらねえんじゃないかと言うんでね。(笑)お前はよくやるから、お母さんの名前のね、シャーリーというお母さんの名前のね、お母さん、なかなか陰徳のある方で、一つその名前を貰ったらどうだ、心を改めて心身を改めてシャーリープトラという名前にしたらいいといって戒名を変えていったのですね。
 或いは又、コリーターという名前がありまして、何度もこりても困るから。(笑)なんとしろ、お前の名前を一つ、この際、心もきれいになったことだから、モンガラナーということにしよう、と言って、マーハーモンガラナーという名前に変わりました。これは大目連ですね。それ生きている内です。死んでから、いくら、どんないいの貰ったって、どうにもしようがないじゃないですか。

 最近、日本人、そういうのが好きになりましてね、死んでから、一パイ貰うのがいいんじゃないか、と。最近は結婚にまで影響しましてね、お墓行って、戒名見て、この家の先祖は、余りいいのじゃないからダメだなんてね。馬鹿みたいなこと言って、院殿大居士がねえから、結婚の対象にならんよなんて、そこまで来たらもう、悪霊ですね。ですから皆さんは、そんなもんじゃないんです。
 その点はクリスチャンの皆さんの場合は、生きている内に、自分の心を入れ換えて、マリヤに近い、マリヤ様のような気持ちになりたい、とマリヤとつけてみたり、色々と人の名前をつけている人もいますね。クリスチャンの方は、はるかに御立派です。生きている内に変えるんだから、ものの考え方を。ところが仏教は死んでから変えるんですからね。死んでから変わる訳、ないじゃないですか。だから、そんなものに皆さんは心、うばわれてはいけません。だから「GLA」のお坊さんはそんなことしませんよ。「院殿下さい」と来ても「まあ院でいいじゃないですか」なんてね(笑)そんなことでやってますね。ですから商売繁盛しちゃうわけです。仕事が忙しくなっちゃうわけです。あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけで、葬式多くなっちゃう。

 本当は、お坊さん、葬式専門じゃ困るんですよ。生きている人を救うことでね。死んだ人はもうしようがないんだ、これは。ところが日本はお坊さんイクォール生きている人には関係がないんだな。だから、お坊さんが入院している患者さんをお見舞いに行きますと、縁が悪いや、なんて。そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に「お前さん、あの世があるんだよ、といつまでも執着を持っているな、みな捨てちまえ、子供達にみな分けてあげなさい」と教えてやりゃあいいんだよね、本当は。ところが、お坊さんが行ったら、縁起が悪いや、あいつは死ぬんじゃねえか、なんてね。
 僕が丁度、この間、坊主になって船に乗っとったら、「坊主と一緒じゃ魚一匹つれねえや」(笑)なんてね。だから坊さんは縁起が悪いことになっちゃってんだ。私も一応、心を改めて、自分の頭の毛を、一つ形の方からやってみようと思いまして、色々検討の結果、頭を三分刈りにしてみた訳です。そうしたところが、「坊主と一緒じゃ、魚も釣れねえや」なんてね。こりゃ不思議なものです。

 ですから本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。インドの、本当のお釈迦様のお教えはね、お弟子さん達、ブッダが亡くなる時にね、アナンという方に、アナンがブッダがなくなったら、どうしたらいいでしょうか、私達はよんどころがありませんと、彼はブッダの枕辺で泣きました。その時、ブッダが、何を言うかと、ワシが説いた四十五年間の法は、お前達の心にあろう。お前達は、その法をたよりとして、人々を救うことなんだと教えているんだね。それが、何か、死んだ人を教えるように坊さん、変わったんだなあ、こりゃ。本当は、もうだめです。その坊さんが、〃見えて、聞えて、話せ〃たらなお、いいんだけど、〃見えて聞えて話せない〃のが(註 見えず、聞えず、話せないのが…の意)引導を渡すというから、どうしようもならない。

 どういうわけですか、私達は、死んだら「ああ、こいつ地獄へ行くゾ、こら、お前ちょっと待て」と。こないだ、ある人が亡なりましてね、ショック喰いました。私、行って見たら、無意識界にいるわけですね。事業やっとるもんですから。ソレーッちゅうわけで、すぐ行きまして、「あなた、どうしたんですか」っちゅったら、「私しゃ便所でこんなことになっちゃって」、便所におったままステンと去っちゃったわけですね。予告なしですよ。大抵の場合なら、報告があって何日頃死にますと、あるんですがね。元気なもんだから、こっちは元気だと思っていた。朝になったら、電話来まして、亡くなったっちゅうから、〃エエーッ〃って、私が、パーッと、もう行きましたところが、無意識界、自分の肉体から離れて、自分で意識ないわけですね。「あなた、どうしました」「私は便所にいる間は、わかったけれども、後はわかんなくなっちゃった」と。しっかりして下さいよ、と。「あなたはこんなに早く、いくなんて思わなかった」それでイエス様、イエス・キリスト、「イエス様、すぐ行って協力してくれ」って、すぐ魂をゆさぶりましてね。今、修養所におります。労働組合につるし上げられ、家庭の中から反発されてね。精神的よんどころなく、心悩んでいる時に、そういう一つの死を迎えたわけです。だから恐ろしいですね。

 ですから無常です。人間はいつ、この世を去るかわからないんです。ですから、皆さんの場合も、自分の心は、いつでも準備体制は整えておかねばいけない。これが私が言う〃一日一生〃ですね。明日、生きとったら又、一生懸命やろう。今、若いからって、わからないんだから。それで又、なんというと、しめっぽくなるから、まあまあ、明日生きていることにして頑張るわけです。そうして希望を持ちながらね。そうして、死んだ、生きたって区別つけられる人は少いですよ。アー俺は、今、死ぬんだなんてね。そういう人は御立派ですよ。でもGLAの人達の中には、死ぬことが、わかってりゃ、親孝行する人もいます。或る人は二日前に、もうわかりましてね。「ワシャもう、あと二日だよ、皆さん、どうも永い間、本当にスマンかったね。本当は、もっともっと、生きたいんだけれども、どうも、もうだめなんだよ、あと二日のちには、この世をかえるけど、ま、一つ、よろしく頼んまっさ、せっかく家も作ったから、GLAで、ぜひ使って下さい。家内も、さみしいようですし、今度、又、生まれて来た時は、正しく自分を知って行きます。しかし、今生は、本当に楽しくありました、ありがとう御座居ました」ってかえっていった人、一杯いますよ。硬直なんか、全然しません。生きている時よか、もっときれいになっていくわね。これが本当の成仏ですよ。

 もう、こうやって硬くなるのは、皆んなダメ。ですから、皆さん、死んだ時、みてね、亡くなった人、見て硬くなったら、こりゃ、地獄だなって思って下さい。その時は、「ちょっと、あなた、ここにおりなさい」と。あなたは今、この地上界を去るんです。執着を捨てなさい。今、あなたの肉体は滅びるのです。あなたは今、新しい肉体を持つのです。いつまでも、そんなことをやっとったら、あなたは地獄です。死というのは大変な行事なんですよ。地獄霊が皆、来ますからね。モーゼの時など、モーゼの肉体をサタンが欲しくてね。そして引き取りに来たのです。その時にミカエルを中心とした七大天使が、モーゼの死体をかわしましてね。その死体を渡さなかった。その死体を渡しちゃったら、モーゼが生き返って、サタンになっちゃうんです。
 それで、皆さん死んだあと、よく魔よけっていって、刀をあげるでしょう。あれは、そういう習わしなんですよ。復活されちゃうから、おかしくね、悪霊がおれば、だから、そのように教えて、それが本当の引導ですね。

 ところが、最近のお坊さんなんか、「なんで、あの世なんかあるものか」ってね。現に、僕んとこに言って来ている大僧正ちゅうのがいるからね。そいで檀家を何百軒も、何百人も持っていて、「あの世なんか、あるもんか、GLAでいっているのなんか、ありゃ気違いだ」なんてね。その内に、お灸すえに行こうと思ってるんですがね。(笑)GLAのお坊さんとこ大分、いじめているからね。皆んなの前でやっつけられるもんですからね。毎日新聞にもだいぶ、出ました。
 あの世なんかなくてね、引導渡しとったら、詐欺じゃないですか、あの世なんかなかったらねえ、お経なんか、あげるこたあ、ねえじゃないですか、だけど、ま、こりゃ商売だからって、言っているっていうから、ま、その内にお灸すえに行きます。あの世があることを教えにね。又、その檀家からも、GLAへだいぶ来ているわけです。不思議なもんですね、これは。それも、ま、なかなか悪党坊主ですよ。でも、私が出たら、一番恐ろしいんじゃないでしょうかね。

 そういうもので、皆さん、心が大事なのです。肉体からサーッと離れると地獄へなんか、行きませんしね。そこで、又、ここで、こんど地獄の話になりましたから。神様が出てくる人がおりますから。そこで「ちょっと出て来て下さい」 四十代の細面の女の人が登場する。「あなた何か信仰しているの…大権現というのを拝んでいた訳ね、家で。」

(こうして引き続き、「霊道現証の時間」へと入っていった。)


※註:高橋氏の奇妙な霊界話は置いておくとして(当方では全く信用しません)、太陽系には地球以外に人類は存在しないでしょう。M27とかM26とか上げて、「このMというのはメシヤという意味で、つけたようですね」と言っていますが、メシヤではなく「メシエ」であり、救い主とは全く関係がない。フランスの天文学者シャルル・メシエの名をとった銀河などの整理番号です。コジツケがひどすぎます。

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