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はしがき

2009/12/14 06:05  Category:「虚業教団」 関谷晧元

虚業教団  〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか
 関谷皓元 著  初版1993年12月31日/発行所-現代書林




  はしがき

 コウフクノカガク。
 この不思議な名前に、人は何を思い浮かべるだろうか。
 講談社へのファックス攻撃で、教団の名を一躍世に知らしめたフライデー事件。
 ハンドマイクを握り、絶叫する小川知子や景山民夫の勇姿。
大手広告代理店・電通が制作し、繰り返し茶の間に流れたCM ──「時代は今、幸福の科学」をおぽえている方も多いと思う。

 それとも、一九九一年七月十五日東京ドームで催された "御生誕記念祭" だろうか。集まった五万人のド肝を抜いた、主宰・大川隆法の 「星の王子さま」や「冒険ダン吉」を思わせる異様ないでたちや、おかしな抑揚をつけた演説だろうか。
 しかし私たちは、誰一人そういうものを望んで〈幸福の科学〉を設立したわけではなかった。たぶん、大川隆法その人にしても。

 コウフクノカガク。
 元会員の胸には、さまざまな思いが去来するはずだ。去ることになった理由は何であっても、この名前に一度は夢をみた。それは確かなのだから。
 いま、私の胸に一つの苦い問いがある。
 ── 宗教に団体は必要なのか!?
 神と共に生きるのには、組織が必要なのか。一人では、神の望む生活は不可能なのか。教団に入らなければ、幸福は科学できないのか。
 断じて、否である。
 むしろ団体が、組織が、人を神から遠ざける。 そんな場面を、私は 〈幸福の科学〉 という神理探究の集団に幾度となく見てきた。
"これでいいのか!"
 そのたびに、心がかきむしられた。

 私は一人になって静かにまわりを見まわす。
 素晴らしい人たちが身近にたくさんいる。宗教を知らなくても、明るく優しく、暖かく、協調性に富んだ人々。健全で、力強く、楽しい人々。私たちが必死で追い求めた宗教の理想を、彼らは易々と実現しているように見える。
 どんな教団にも属さず、理屈を振りかざすこともなく、職場で、あるいは家庭で、精一杯生き生きと暮らしている。
 この人たちこそ、神のみこころの実践者ではないのか。
 そのことを知るために、私は一つの教団を通過してきたのかもしれない。
 私にとって 〈幸福の科学〉 は一つの通過点であった。だから卒業の時がやってきた。

「そんなことを言うおまえは誰か」と、読者は問うだろうか ──。
 私は一九八六年〈幸福の科学〉発足以前から学習会の基礎造りに人生を懸けてきた男である。 順調な仕事を閉鎖し、自社ビルを処分し、家族との辛い別れを体験しながらも、すべてを捨てて打ち込んできた者である。
 そのあいだには、教団の最重要ポストを幾つも歴任してきた。
 組織として形が整う前は、活動推進委員として基盤造りに励んだ。会が動き出すと、秘書課長として大川隆法に密着。その私生活にも深くかかわった。大川隆法・恭子夫妻の仲人もしている。

 初代総務局長としての華々しい武勲もいくつかある。幹部人事を担当し、資金計画を立て、出版ルートを開拓した。他教団との折衝も手がけた。あの紀尾井町ビルヘの入居も、それを発案し、折衝し、勝ち取ったのは私である。
 本部講師となり、会の基本原理である 「四正道」 を解説して全国を巡回した。
 あの頃にあった草創期の熱気 ―─。
 いま思い出しても、自然と熱いものがこみあげてくる。文字通りゼロからの出発。 情熱の奔流に身を任せ、しゃにむに舟を漕ぎつづけた。そして、小さな舟が堂々たる大型船になったとき、伸び盛りのこの会を私は "卒業"した。
 一九八九年十月のことである。
 決別の日から、早くも四年が過ぎようとしている。

 その後、さらに会は大きく発展した。会員は急速に膨張し、その数は五〇〇万人とも七〇〇万人とも言われるほどになった。しかしその半数、いや九割以上はすでに脱会していると聞く。
 いま脱会者の多くは宗教難民となって、心をさまよわせている。何かを求め、 辿り着くべきところを懸命に探しつづけているに違いない。私には、その思いが痛いほどよくわかる。一度宗教に夢を託した人間の宿命である。
 四年の歳月は、過去を冷静に振り返る余裕を私に与えてくれた。客観的な目で、ようやく会を見ることができるようになった。今こそ、〈幸福の科学〉の設立から脱会に至るまでの魂の遍歴を、率直に語ろうと思う。

 いま、しみじみ思うことは、宗教団体に身を置いて学習する以上の、神理探究法、自己変容の道の存在を強く感じていることである。
 しかし、それを語ろうとする時、どうしても一度は、今までの過程・事実について是非を問い、中立公平な第三者の立場に戻らねばならない。
 この書は、その意味で私自身の点検書でもある。

 最初にお断りしておきたいのは、私は〈幸福の科学〉のすべてを非難するつもりなど毛頭ない、ということである。
 その教義内容は、たとえ世間の有識者が何と言おうと、良いことを言っているのだし、また「霊性時代の樹立」 「偉大なる常識人」というスローガンも、時節柄を鑑みて思うに的を得ていると賛同している。
 ただ問題なのは、その本来の素晴らしい教えが、〈教団〉 という形に形勢されていく途中のどこかで、天の御心にあるまじき形態に、 内容が変化してしまうことである。
 僅か数十人、数百人の天使の集いだったものが、飛躍するうちに 「虚業教団」 になっていく。言っていることと、やっていることにどうしてもズレが出てくる。
 宗教教団とは魔物であり、多くの場合には虚業でもある。その意味では大川隆法や善川三朗も私達同様に、大きな魔物に振り回された被害者なのだろう。

 人によっては、〈幸福の科学〉 と大川隆法の未知の部分の暴露本だろうから、思いきり悪く書いてくれるだろうとの "期待" もあった。しかし誹膀中傷は、私たち求道者の本意であるはずがない。
 体験した事実を事実として、ありのままにストレートに書いた。
 どのように受け止めるかは、読んでくださる方々の心境に委ねるしかない。そう思うと、何の力みもなく安心して書き上げることができた。

 事実は小説よりも奇なり、という。読み方によっては、本書は三面記事的な面白い読み物にもなるだろう。また、別の受け止め方をすれば、理論理屈の本より、いっそう深い神理を本書からくみ取っていただけるものと信じる。
 コウフクノカガク …… それは、私たちの夢と挫折の物語である。

   一九九三年九月   関谷 皓元

          本書に登場する人物の名前は敬称を略し、
         〈幸福の科学〉会員の名はすべて仮名とします。



もくじ 【詳細】
はしがき
第1章 ささやかな、けれども爽やかな第一歩
第2章 「神」は結婚を 命じたまうのか?
第3章 「裸の王様」への道 
第4章 愛なき教団だから愛を説くのか
第5章 さらば〈幸福の科学〉よ
おわりに

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