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1-2 六畳ひと間の事務所からのスタート

2009/12/14 06:10  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第1章  ささやかな、けれども爽やかな第一歩


 六畳ひと間の事務所からのスタート

 大川の本を読み返してみると、八六年六月に諸霊から 「会社を辞めよ」 と勧告され、神理に生きる決意を固めたことになっている。四月下旬の 「作古」での話は、たぶん諸霊の勧告を迎えるための根回し、ということにでもなるのだろう。
 中原幸枝が嬉しそうな声で電話してきたのは、しばらくたってからだった。
「関谷さん、学習会の名前が決まりましたよ」
 彼女の声は弾んでいた。
「大川先生の案で、〈幸福の科学〉 とすることに決まり、今日から会員募集に入りました。関谷さんも、会員番号を登録して一緒に学んでくださるでしょう?」
 コウフクノカガクという言葉に少し戸感ったが、即座にOKした。幸福の科学、 なかなかいいじゃないか。宗教臭くないその名前に、私も好感を持った。

「今度、入会申込み書に記入してくださいね。関谷さんの会員番号は一八番ですよ」
「エッ、一八番? もう、そんなに大勢入ったんですか」
 正直に言うと、たった一日で一〇人も二〇人も同志が集まるとは思いもしなかった。しかし考えてみれば不思議ではないのだ。中原の周辺には、その人柄や考え方を慕う人たち が大勢いたのである。 ヨガのスタッフや生徒がその後も続々と参加し、会はたちまち一〇〇人にも膨れあがった。
 今あらためて 〈幸福の科学〉 の順調なスタートを振り返るとき、中原幸枝の道を求めるまっしぐらな熱意によるところが、いかに大きかったかを痛感する。彼女の純粋で強烈な求道心。良くも悪くも、それがまわりを巻き込んでいったのである。

 大川の霊言を読んで参加した山田篤、安岡一男のような人たちもいた。 しかし全体としては、大川隆法の会というより、中原が中心の会という感じがあった。ただ中原は、「大川先生、大川先生」 と最大限の敬意を込めて持ち上げていた。
「中原さんがあれだけ尊敬するのだから、さぞかし立派な先生だろう」
 初期の会員の多くは、おそらくそんな気持ちだったのではないかと思う。
 ここに陥穽があった。 

 中原や私が望んだものは、信仰に凝り固まった宗教団体ではなかった。私たちは学習の場をつくろうとしたのである。 大川隆法という宗教的天才を先生として、歴史に現れた神の理法を学び、実践していく 学校。 そう、学校だ。霊言や 「作古」での話し合いから、私はそんなものをイメージしていた。 この点では、少なくともその言葉を信じるかぎり、大川の考えもそんなにかけ離れたものではなかっただろう。
「幸福の科学は、いわゆる宗教にはしたくない」
 ハッキリと彼は断言していた。しかし私たちは、中原の大川賛美を無条件に受け入れることで、個人崇拝への道を敷いてしまったのではなかったか。 自分の写真を宗教法人〈幸福の科学〉 の本尊とし、自らを仏陀の生まれ変わり、宇宙の最高霊エル・カンターレであると称するような、ある種の "狂気" に道を開いたのではないか。

 仏陀は涅槃に入る前に、弟子たちを集め、「これからは人を師とするのでなく、法を師とせよ」 と説かれた。慙愧の念なしに、私はこの教えを思い出せない。悪評を買った九一年の "御生誕祭" に、「星の王子さま」 さながらの姿で演壇に登場したエル・カンターレ。冷やかし半分のテレビでそれを見せられ、複雑な思いを味わった人も、初期の会員には多かったに違いない。
 だが当時、そんな日がやってくるなどと誰が想像しただろうか。

 その夏、中原は軽井沢にある父親の別荘へ大川を案内した。すでに大川は七月半ばで トーメンを退職していた。中原家の別荘で、大川は 『正心法語』 『祈願文』 の二つを書きあげて戻ってきた。覚えやすい七五調の現代語で会の指針を説く 『正心法語』 は、今でも会の「お経」になっているはずである。

 ── 大宇宙に光あり 光は神の命なり
      命によりて人は生き、命によりて歴史あり
      命は永遠に不変なり ……
         (とわ)

 言葉は今でもスラスラ口をついて出る。学校の校歌みたいだと、意地の悪いことを言う人もいる。しかし私たちは、そこに霊性時代の幕開けの声を聞いたのである。
 指針は示された!
 誰もがワクワクしていた。特に若い会員は熱っぽく語り合い、イキイキと働いた。彼らの手で、 『正心法語』 『祈願文』 はワープロ打ちされ、コピーされ、紐とじされて、表紙には金色のスタンプが押された。
「手作りのこの二冊が、将来はとても価値あるものになるのね」
 誰もが中原のそんな熱意に動かされ、喜んで作業に励んだ。新しい価値を自分たちの手で創り出しているのだという感動を、みんなが共有していた。そしていつの間にか、この会なしに神理の探究は不可能である、と思い込んでいったのである。

 最初の事務所は、杉並区西荻窪にある中原の自宅を改造した六畳一間だった。中原は改築のために、なけなしの貯金をはたいた。デスク代わりの小さなちゃぶ台が一つに、茶碗が五、六個。部屋の一部がカーテンで仕切られ、 そこで大川が相談者の話を聞くことになっていた。
 そこに息苦しいほど籠もっていた若者たちの熱気を、私は懐かしく思い出す。



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