QHS



外部リンク (画像) 文芸春秋の敗訴確定 性の儀式で「幸福の科学」に謝罪 2015年
http://0w.blog.jp/archives/67257482.html (ΦωΦ) へ(のへの)

1-4 仕事を捨てて〈幸福の科学〉へ飛び込む

2009/12/14 06:12  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第1章  ささやかな、けれども爽やかな第一歩


 仕事を捨てて〈幸福の科学〉へ飛び込む

 私はまだ 〈幸福の科学〉 に夢中というほどではなかった。
 当時私は、世田谷の環八通りに自動車販売会社を持っていた。一九六七年の三月三日に、ほとんど無一文でスタートしてから一九年。 一度の赤字もなく、順風満帆で伸びてきた会社である。二年前にはそれまでの借地を買い、四階建ての自社ビルも新築した。
「どうしたら、関谷さんみたいになれるかね」
 仲間からはいつも羨ましがられていた。
 ビルもさることながら、小さいながら楽しい職場であることが私の誇りだった。お客さんも、友人の家のようによく遊びにきてくれた。
 "次の三月三日は、二〇周年記念だ。関係者を呼んでドーンと花火を打ち上げてやろう"
 そう思ったとき、私の心はすでにーつの決意を秘めていた。

 三月三日、二〇周年記念パーティの当日。青山ダイヤモンド・ホールで開いた祝賀会には二〇〇人もの人が集まった。その中に大川隆法と中原幸枝の姿もあった。自動車業界の社長さんたちは、まだ無名の大川隆法には当然目も留めなかった。パワフルな実業家たちの熱気あふれる中で、二人はやはり異色だった。二人がたたずむそこにだけ、静かな、清涼な空気が漂っているように見えたものだ。
 パーティーは愉快に楽しく進行した。琴とバイオリンの二重奏あり、木遺り歌あり。木遺り職人のショーには、取引銀行の支店長が飛び入りもする盛り上がりだった。
 最後に、感謝の意をあらわすために私が壇上に立った。

「みなさんのおかげで、我が社もここまで成長することができました。ところで、私にはこの人生でもう一つやってみたいことがあります。残りの人生は、それに打ち込んでみようと思います」
 誰も予期しない爆弾発言だった。
友人や知人、業界仲間は一斉に驚きの声をあげた。順調な仕事を放り出し、五〇男の関谷が、いったい何を始めるのか ──。 誰もが不思議がった。この人生でもう一つやってみたいこと。それを明言したら、驚きはさらに大きくなっただろう。
 振り返ってみれば、経済的安定のみを求めて生きてきた私の半生である。その結果、ひと通り必要な財産は造りあげた。豪邸とはいかないが、そこそこの住宅を建て、四階建ての粋な自社ビルも持てた。人間関係にも恵まれたほうだろう。
 "これで充分さ。このうえ何がほしいんだ"
 何度も自分に問いかけた。

 当時の私は、互いのわがままから妻や子供と別居し、別々に生活していた。
 "気楽な独り暮らしじゃないか。金もあるし、ある程度の社会的地位もある。男なら、一度は夢見る生活だぞ。何が悲しくて、居心地のいいポジションを投げ捨てるんだ"
 私の 「常識」 はそうささやいていた。
 しかし、私にはこの人生でもっと大切な仕事が待っていると感じられた。その仕事を成し遂げるために、今までの幸せが与えられていたのではないか。妻や子供との別居さえ、そういう天のはからいではないのか。

 二〇周年記念パーティーでの爆弾発言の裏には、こんな自問自答があった。
 私は決して空想的な男ではない。地に足のついた生活をしてきたし、現実的な人間関係を何より大切にして生きてきた。だが心の底には、この現実を超える素晴らしき価値が、必ずどこかにあるはずだという漠然とした思いがあった。
 顔を出してみた宗教団体も、今までに二つほどあった。けれどご利益専門の宗教は、弱い人間の集まりとしか思えない。私が求めるものはそこにはなかった。
 漠然とした思いが、〈幸福の科学〉 の創設に加わることで急にハッキリした形をとり、私自身にも信じられないほど膨らんできたのである。

 この年、八七年は 〈幸福の科学〉 の胎動期だった。
 活動推進委員が選ばれ、委員を中心に会の基礎造りがおこなわれた。委員に任命されたのは、前川節、細田勝義、高橋守人(後に退会)、太田邦彦(後に退会)、そして私の五人である。そこに、秘書室長の中原幸枝を加えた六人が、大川主宰を囲んで会の方針を話し合った。〈幸福の科学〉 は次第に形を成していった。
 お気づきのように、中原と私を含めた初期の幹部六人のうち、すでに四人が退めている。四人という数が多いか少ないか、私にはわからない。しかしホンモノの神理なら、どうして苦楽をともにしながら会をつくりあげた仲間の半数以上が去っていかなければならないのか。これでは大川が豪語するように、すべての日本人を会員にするなど到底不可能だろう。不可能というより、誇大妄想と呼ぶほかない。

 この時期、私はメルセデス・ベンツの新車を購入した。もちろん、会の活動に役立てるためである。講演会のたびに主宰の送り迎えをし、徳島在住の顧問・善川三朗の上京に際しては、羽田からホテル、ホテルから会場へと文字通り大車輪の活躍だった。
 そのたびに私が運転した。人間とは面白いものだと、つくづく思う。何が人生を変えてしまうかわからない。このベンツが、私を全面的に 〈幸福の科学〉 へと走らせるきっかけの一つになったのである。
 何を求めて私はあんなに走ったのだろう。
 かつて自社ビルの工事が始まり、クレーン車が最初の鉄柱を目の前で設置したときも、その夜の棟上の宴席で仲間におだてられたときも、特別嬉しいとは感じなかった。ニコニコ顔で酒をついでまわりながら、心のどこかで強く思っていた。
 "これが何だというのだ。おれの一生は、こんなことのためだけにあるんじゃないぞ "
 二〇〇〇人いる東京の同業者のうち、自社ビルまで建設したのはたった三人と言われていたのに。



関連記事


     TB(0) | CM(0)


コメントの投稿










サイト内検索
新宗教「幸福の科学」に関する、教団側・批判側・マスコミの記事などを紹介しています。



キャッシュでキーワードがハイライト表示

Yahoo! JAPAN

  • ウェブ全体を検索
  • このサイト内を検索

最新記事
月別アーカイブ

>>全記事更新履歴



ワンコ・ニャンコ緊急ツィート コチラへ

http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-2609.html
犬猫リンク集