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1-6 〈幸福の科学〉に集う純真な求道心

2009/12/14 06:14  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第1章  ささやかな、けれども爽やかな第一歩


 〈幸福の科学〉に集う純真な求道心

 一九八七年(昭和六十二年)は、〈幸福の科学〉 が本格的活動を開始した年である。
 この年は、牛込公会堂での第一回講演会をかわ切りに、講演会が確か五回、合宿による研修会が二回、ほかに上級、中級、初級セミナーが計画、実行された。四月からは会の月刊誌も発行されている。
 中原幸枝はまさに八面六臂の大活躍だった。ヨガスタッフの山田篤、中村恵子(後に退会)、五十嵐真由美、安岡一男 (本年退会)などが、中原の手足となって献身的に働いた。会場の手配、会員への連絡、パンフレットや機関紙の編集・出版の作業に、喜々として取り組む彼らの姿は私にも気持ちのいいものであった。

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 しばらくすると、阿南浩行(後に退会)、高橋秀和、福本孝司(後に退会)、河本裕子といった初期の優等生たちが読者の中から現れた。
 なかでも、阿南は二八歳という若さながら霊的に非常に覚醒していた。仏教やキリスト教など宗教全般に詳しく、大川の霊言集に関してはどんな角度からでも、理路整然と解説できた。理論では会員中随一だったろう。一部上場企業の社員だったが、上司が止めるのを振り切って退職し、会の活動をしてきた。
 純粋な求道心を持つ中原とはウマがあったようだ。

 大川は、この阿南を釈迦の十大弟子の一人、アーナンダ(阿難)の生まれ変わりであると宣言していた。釈迦が亡くなるまで二五年間にわたって師につかえ、最も多く教えを聞いていたことから、「多聞第一」 と呼ばれたのがアーナンダである。仏典結集に際しては、亡くなった師の代わりに教えを語って聞かせたとされている。

 不思議なことに、阿南も霊言集の編集に携わっていた。テープに吹き込まれた霊言を文字にし、整理する仕事であるが、これは阿南と中原だけがタッチすることのできる最重要の仕事だった。
 しかし、このアーナンダはある事件がきっかけで、間もなく 〈幸福の科学〉 を去った。もし大川と阿南が、大川主宰の言う通り、真の仏陀とアーナンダだったとしたら、どうして袂を分かつなどということがあっただろうか。この事件は、中原と私の心に深い傷を残した。いや、当時の会員すべてに、言いようのない衝撃を与え、大川主宰に対する疑念を生じさせたのである。
 事件については、もう少し後に譲ろう。

 阿南についてだけでなく、事あるごとに大川は "生まれ変わり" の話をした。私はといえば、中国の天台開祖・智顗の高弟の一人を、前世として大川から頂戴した。もっとも私には、そんなものはどうでもよかった。大切なのは現在である。
 しかし後に、大川夫妻のあいだに誕生してくる子が、天台智顗の生まれ変わりだと聞かされたときは、前世話のご都合主義にさすがに首をかしげた。

 阿南より少し遅れて、やはり本がきっかけで高橋秀和が参加してきた。実直で、とくに事務処理には大変たけていた。おかげで、会の仕事はテキパキと進んだ。会議録の整理、レジュメ、マニュアル作りをさせたら天下一品。ただ、あまりにも狂信的で、融通が利かず、頭の固いところがあった。
 最も初期の仲間には、いなかったタイプの人物である。後日、阿南事件が起こると、阿南の電話をすべてメモし、主宰先生に逐一注進に及ぶという実直ぶりを示した。大川は、高橋を十大弟子の中でも筆頭格のマハーモンガラナー(大目蓮)と呼んでいた。

 新しく参加した阿南や高橋が厚遇される一方で、発足記念講演会で開会の挨拶をした太田邦彦などは冷遇されていた。前世の話でも彼一人が除け者にされた感じだった。
 「あなたはまだまだ霊格が低い。この人たちは後から来たけど、あなたよりずっと魂が大きいんだ」
 大勢の前で大川が太田をやり込めたことがある。しかし今にして思えば、太田という人は、大川を神格化しようとする人たちと一線を画していたにすぎない。それが主宰先生には気にいらなかったのか。結局、太田は最も早い脱会者の一人になった。

 こうした話を聞いて、ワンマン社長が牛耳る中小企業を連想する人がいても不思議はない。つまり、どこの集団にもある人間関係のさまざまなトラブルや軋轢が、ここにもあったということである。その意味では、現実世界を超越した集団でもなく、〈光の天使〉の集まりでもなかった。
 それどころか現在の宗教団体は、ほかのどんな集団よりも、露骨に権力や金の問題が現れてくる、極めて世俗的な場所であると言ったほうが正しいだろう。
 だが、ここでお話ししている最も初期の段階では、そうした問題もまだハッキリとは現れていなかった。専属の職員など一人もいなかったし、一般会員から区別されるような幹部も存在しない。言い換えれば、全員がボランティアだったのだ。

 昼間は会で働き、夜はアルバイトする。そんな会員たちの情熱が会を支えていた。
 誰もが新しい時代を予感しつつ、神理を学ぶことを第一の目的と考えていた。
 八七年の五月、第一回の研修会が催された。琵琶湖湖畔のホテルでの三日間にわたる研修会には、一一〇名の参加者があった。
 研修会は後に、講師を養成する場所となっていった。三日間は、講義とディスカッション、意見発表の連続だった。それは、素晴らしく、そして楽しかった。大川主宰や善川顧問に親しく接し、神理を学べることが嬉しくてならなかった。
 もっと学ぼう、もっと学びとろう。参加者のそんな思いが最高潮に達したところへ、あの最終日がやってきた。

  第一回研修会における大川隆法の最終講義は、〈幸福の科学〉 では、今日でも語りぐさになっている。『正心法語』の解説だったが、それは力強さと格調に満ちていて、私たちの心をワシづかみにした。高級神霊が語るとはまさにこれなのか。朗々と響く 大川の声に圧倒されながら、私はそう思った。
 その時まで私たちはまだ比較的冷静で、大川を見る目もどちらかと言えば客観的だった。神様あつかいしたり、妄信していたわけではない。しかしあの講義は、私たちの心に何かの火を灯したのである。

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 私たちは魂を深く揺さぶられ、感動を通り越してほとんど呆然自失していた。
 そのときの大川の言葉を引いてみても、私の筆力では、その感動の万分の一も伝えられないのがもどかしい。
「我々は一致団結し、霊性時代の新しい価値をつくり出さなければならない。ここに集まっているのは、そのために目覚めたエリートなのだ。いまだに物質欲や金銭欲に縛られているほかの人間とは違う。素晴らしい時代をつくっていく、光の天使である」
 私たちは、天の進軍ラッパを聞いたのである。
"我々の手で新しい霊性の時代を樹立する! ここにいる一人ひとりが、みんな光の天使になって世の中を変えていくのだ!"
 みんながそう考えた。勇気が体を満たし、希望に心が燃えあがるのを感じた。



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