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4-7 建前だけの 「与える愛」

2009/12/14 06:32  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第4章  愛なき教団だから 「愛」 を説くのか


  建前だけの 「与える愛」

 阿南は去った。事件は会を大きく揺るがし、会員を動揺させた。なかでも古い会員が受けたショックは小さなものではなかった。二年後のフライデー事件とともに、良識ある会員の心を〈幸福の科学〉から遠ざけることになったできごとだった。
 しかし会は、何事もなかったかのように活動をつづけた。
 この年の会の課題の一つは、本部講師の知的レベルのアップだった。私を含めて六人いた本部講師が、大川隆法じきじきの特訓を受けることになった。毎週木曜日に研修ホールでおこなっているセミナーの後で、本部講師は質問を提出することというお達しが出ていた。

 質問の内容で講師としての力量が問われる。講師同士がライバル意識を燃やし、今まで以上に真剣に講義に耳を傾けた。翌朝一番で、大川に質問状を提出するのである。
 一日おいて、大川からの答えがワープロ打ちされて返される。六人全員の質疑応答集として戻ってくることになっていた。こういう面では、主宰先生は労を惜しまない努力家だった。このQ&Aは順調に進み、何週間かするとかなりのファイルがたまった。

 二月のある週に、 『イエス・キリストの霊言集』 が講義で取りあげられた。霊言集の解説だったが、心に染みる愛の言葉が大川の口からは次々と気持ちよく語られた。
 その夜、私は一行も書き出せないまま、レポート用紙の前に座りつづけた。大きな疑問があった。阿南事件の残り火が心にまだくすぶっていた私は、大川の素晴らしい愛の講義のあいだも、その疑問をどうしても消せずにいた。それを押し隠したまま、あたりさわりのない質問をすることはできない。

 "この質問状で、阿南の処分に対する疑問を率直に投げかけてみよう"
 ようやく腹をくくったときは、すでに夜が明けかかっていた。
 しかしそれは、大川に対する重大な挑戦を意味していた。ハッキリと反旗をひるがえしたことになる。これまで最も身近な弟子として、常に私は主宰先生の傍らにいた。会員なら羨まない人はいない、垂涎の的とも言えるポジション。このまま黙ってついていけば、その座は安泰である。損得だけを考えたら、百人が百人ともおとなしくしているだろう。
 けれど、私の正義感が、求道心がもはやそれを許さなかった。

 "世俗的な望みを捨ててきたはずじゃないか。あれだけの犠牲を払い選びとった道を行くのに、いまさら何を恐れるんだ。即刻クビというなら、それもいい。これをきっかけに大川先生に、ホンモノの大如来として、大きな愛の輝きを持っていただくことのほうが大切ではないのか"
 一方には、不安もあった。もしかしたら、今度のことは私には理解できない愛の表現なのではないか。冷血を装って私たちをハラハラさせてから、すぐ後でウーンと唸らせるような ドンデン返しが用意されていたら、どうしよう……。
 "大恥をかくことになるが、こんな嬉しい恥はない。大いに笑われてやろう"
 私は〈幸福の科学〉の愛の神髄を確かめるべく、思い切って筆を握った。

   〈質問〉 迷える小羊の扱いについて
 イエス様の愛の表現の仕方としては、九九匹の羊を待たしても一匹の迷える小羊を探し出して連れて行くというふうに聞いております。私の考えでは、今回神託結婚を拒否したAさんが迷える小羊に見えるので、先生には一対一でよく諭して欲しいとお願いしたのですが実現しませんでした。
 会が急速に伸びなければならない時期という点はわかりますが、先生とイエス様の「愛の表現の違い」 をわかりやすくご指導ください。

   〈答え〉
 問題の本質が十分に見えていないようです。総務の仕事は火消し役です。火種に油を注いではなりません。知恵なき愛は人を我が儘にさせ、増長させ、そしてついに堕落させます。A氏の問題でなく、自分の問題として考えてください。過去自分の意図に反して人が行動した際に、それがなぜであるか考えてみてください。
 結婚の現象は、幸福の科学の指導霊団が今回の仕事の実証として計画しているものです。そしてこの現象を妨害して、霊言の信憑性をぐらつかせようとしているルシファーたちの計画があります。幹部たるもの職員たるもの、こちらに加担してはならないのは当然のことです。指導霊団の怒りの真意を看破してください。
 それともう一つは、こうした団体に集う人は、自分の日常生活的な問題や、身体的な問題まで、精神的なもの、霊的なものにスリかえる傾向があります。
 形而上と形而下と峻別する必要があります。             ── 以上 ──

 ?── この人は何を語っているのだろう。これでは、私の質問に何も答えていないのと同じではないか。おまえたちは何も考えず与えられた仕事だけをしていろ、ということなのか。それではヒットラーやスターリンと少しも違わない。そのうえご丁寧にも、「日常生活的な問題や身体的問題を、精神的霊的問題とスリかえるな」と、体の不調を口実に出勤拒否している中原にまで牽制球を投げている。

 どこにも愛はなかった。思いやりも優しさも、仲間を護る暖かさも勇気も、何一つ見出すことができなかった。
 これでも高次元の愛だと言うなら、一〇〇パーセント庇理屈である。昨日までの仲間が悩み、迷っているのだ。光を求め、道を探っているのだ。職を捨てて霊性時代の樹立のためにはせ参じた私たちの同志が、いま迷っているのである。こんなときに、愛の手を差しのべないで、いつ愛をおこなうのか。自分の言うことを聞かないからとサッサと切り捨ててしまう。そんな釈迦如来がいるだろうか?

 "与える愛" は建前だけ、理論として口で唱えるだけだったのか。
 そんな宗教団体なら、今までにも腐るほどたくさんあった。理論だけ、おしゃべりだけなんてクソにもならん。私たちが夢見たものは、そんなものではなかったはずだ。
 怒りを通り越して、落胆した。必死に支えてきた心の奥の何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるのが聞こえてくるようだった。
 "やっぱり、本物のお釈迦さまではなかったのか……"
 寒かった。心が寒くてならなかった。



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