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5-5 〈幸福の科学〉との決別 // おわりに

2009/12/14 06:37  Category:「虚業教団」 関谷晧元

                    第5章  さらば、〈幸福の科学〉よ


  〈幸福の科学〉との決別

 八九年の六月十五日に、私は 「嘆願書」 を提出した。
「私はかねてより、自分の器の小ささを自覚しておりました。したがっていつも、幸福の科学のスタート時点にささやかなお手伝いぐらいしかできないと決めて頑張って参りました。今ちょうど幸福の科学は最初の走り出しが終わり、これからは発展がとめどもなく続くという時点にきていると考えます。私の役目もひと区切りついた今、健康上の問題もあり六月一杯で、全ての役職、職務を降りて一会員とさせていただきたく嘆願いたします」

 このときは、退会しようというハッキリした気持ちがあったわけではない。役職についていることが、もう苦痛でたまらなかったのである。ロンドンへ渡り、医師にかかりながら、しばらく静養することだけは決めていた。
 大川も 「それならしかたない」 と一ヵ月の休暇をくれた。

 七月に入って、大宮で大講演会が催された。会場の入口には長い列ができ、聴衆は数千人にもふくれあがった。その日は、私が司会者をつとめることになっていた。
 "先生には申し訳ない"
 大川の講演を聞きながら、そんなことをしきりに思った。いつものように演壇の隅のイスに座り、聴衆に対していた私の目に映る人々の顔、顔、顔。そこにいるすべての人が、なぜか愛しくてたまらなかった。

 講演会は大成功だった。無事に終了したときに、いつにも増してホッとした。自分の役目がすっかり終わりでもしたかのような、快い虚脱感をおぼえた。
 翌日も、その翌日も、私は出勤しなかった。
 そのまま出立の日がきて、私はロンドンへ向け機上の人となった。
 ロンドンでは晴れあがった青空が私を歓迎してくれた。本部の細田事務局長に宛てて正式な辞表を送ったのは、一ヵ月後のことである。二週間ほどすると、一〇〇人近くいた職員全員からのラブコールが届いた。「早く戻って来て、また一緒にやりましょうよ」 と、趣向を凝らして寄せ書きされた七枚の色紙。それを手にして、涙が出るほど嬉しかった。
 しかしそのときは、もう私の心は決まっていた。
 これからは一人で充分だ。一人で修行を重ねていこう ──。


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 おわりに                                                      

 八六年に、新宿の割烹料理店で大川先生に会ってから三年半。私は素晴らしい体験をさせていただいたと思う。私にとって、それは二度目の青春であった。霊性時代の樹立という情熱に燃えた日々。一途に情熱を傾けるものがあるとは、なんと幸せだろう。
 いまは、一九九三年の秋である。大川先生と最後にお会いしてから、すでに四年の歳月がすぎている。

 ロンドンから戻った私の顔を見て、先生は嬉しそうに笑いながらこう言った。
「関谷さんにはうってつけの仕事があるんです。テープと書籍を専門に販売するミニショップを、キヨスク方式で全国展開してもらいたいんだよ」
「いや、それは……」
 という私に、
「いや、こういうことは関谷さんしかいないんだ。実践で頑張ってください」
 たぶんそのときはじめて、私は大川隆法という人に、かすかな憐憫の気持ちをいだいたように思う。                                                   
 この四年のあいだには、〈幸福の科学〉にも私にも、いろいろなことがあった。
 しかし、神理探究の団体〈幸福の科学〉を離れた私は、かつての求道心を忘れただろうか。霊性時代の樹立という理想が薄らいできただろうか。
 いや、むしろますます求道心に燃え、より強く理想を求めている。

 私はこの本の中で、大川先生と〈幸福の科学〉について批判的に語ってきたかもしれない。その心は、大川先生への個人崇拝と、あまりにも露骨な拡張路線に対する、OBとしての危倶である。〈幸福の科学〉はダメだ、と言いたいのでは決してない。それどころか、〈幸福の科学〉にはまだまだ大きな役割があると信じている。
 これまでの自己中心的なご利益信仰の段階から、精神的な世界へ覚醒を促す役割。物質欲に支配されず、心にしたがって生きる理想を説く役割である。

 霊性時代の樹立という〈幸福の科学〉用語を繰り返し使ってきたが、それは、この理想が社会的にも実現するときを意味している。
 大川先生は、この理想をわかりやすく、ときには 「面白おかしく私たちに教えてくださったのである。たとえ世間で言われるように、先人の言葉のパッチワークであってもいい。浅く、軽い教えでもいい。もしかすると、批判記事を書いた出版社へデモをかけるのもいいかもしれない。それによって、この人たちが言っている霊性時代とは何なのだろうと考える人が一人でも増えるなら。
 物質的な原理を超えた理想に、人々の眼差しを導く。それが〈幸福の科学〉に、神が与えられた会の存在理由ではないだろうか。

 いま、改めて、愛をもって幸福の科学の存在意義に拍手を贈る。
 最後に、私と同じように、幸福の科学を卒業した数百万人の人達、そして、さまざまな宗教団体の中で疑問に苦しんでいる人や、多くの宗教難民にはこう伝えたい。
 信じなければならないのは、教祖や教義以上に、自分自身の〈善我〉なのだ、と。
 心の奥底に埋もれていた〈善我〉にこそ、神が、法が、すべての聖書・仏典が、既に内在されていたのだ、と。そして、自分が変容してこそのユートピアなのだ、と。
 一時は、誰の心も難民としてさまよい師を求めた。が、しかしそれらはみんな必要なプロセスであった。我ら求道者の命は、まさに 〈日々是転生〉。一日一日新しく生まれ変わって成長していく。            

 汝(己)自身を知る(悟る)ために ──
 新しい学習も必要であった
 賢人の訓示も、大いなる参考とはなった
 いままで、外部から何かを吸収し続けてきた
 しかしそれでも、変容し切れなかった自分 ──
 最後にもう一歩
 生きたこのままで転生し
 理想の人生を生きたいと本心から望むなら
 己自身の 〈内なる光〉 を掘り起こそうではないか!
 素直に自分を振り返ってみよう
 過去の幾つかの出来事の一つ一つが
 その出来事こそが
 悟りに至るための、最高の神示ではなかったか?
   神仏の、光求めて幾星霜、悟ればほとけ、我が心なり  高橋信次


 私はいま、内在された偉大なる仏智と出会うための自己啓発法、D・ I ・L (ディスカヴァー・インナー・ライト)の研究に打ち込んでいる。研究成果をいずれご披露できる日もあるだろう。
 私にこのような道を歩ませてくれたのも、決して皮肉ではなく 大川先生であり、〈幸福の科学〉であった。幸福の科学を卒業したからこそ、現在の自分があると感謝している。
 願わくば幸福の科学自らが、でき得るならば私の初期の理想のように、独創性をもった〈神理学習学校〉に軌道修正して、愛ある上昇飛行されんことを祈るばかりである。



関谷晧元 著

虚業教団
〈幸福の科学〉で学んだものは何だったのか
(c) Kougen Sekiya 1993

1993年12月31日 初版第1刷
現代書林 ISBN4-87620-700-3 C 0036
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

著者略歴 
1936年新潟県生まれ。
セールスマンを経て、67年、自動車販売会社フタバ商事(株)を設立。22年間社長業。
86年、大川隆法氏と出会い、すべてを処分して、〈幸福の科学〉の基礎造りに励み、初代総務局長、関東支部長のほか、本部講師、出版社の重責も兼任。89年10月退会。以後 4年間神理の探求を深め、93年 〈D.I.L探求会〉 を創立。
自分の過去の出来事こそが最高の師であるとした新しい自己啓発法を探求中である。
 



「幸福の科学」との6年越し裁判に勝訴した“元幹部”=FOCUS 2000/08/30

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